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死体は生きている16

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:親指隠せ 大きなランドセルを背負った子供が、泣きながら歩いてきた。「どうしたの?」犬を連れ、散歩中の私は立ち止って声をか
(单词翻译:双击或拖选)
親指隠せ
 
 大きなランドセルを背負った子供が、泣きながら歩いてきた。
「どうしたの?」
犬を連れ、散歩中の私は立ち止って声をかけた。
しゃくり上げながら子供は、不審そうに私を見ていたが、うしろの方を指さした。
遠くの方に学校帰りの子供ら四〜五人が、たむろしているのが見えた。お兄ちゃん達にいじめられたのだろう。
「おじさんが、視《み》ていてあげるから、泣かないでお家へお帰り」
と元気づけた。
しかし、その子は、
「ママが死んじゃうの」
といったのである。
母の悲報をうけ、急ぎ下校中の子なのだろうか。こんな小さい子が、と思った瞬間、
「おじさん、こうやらないとママ、死んじゃうの?」
といいながら、子供は両手の指を握って見せたのである。
何んのことだか、私にはわからなかった。
「それ、何んなの?」
子供の説明は、仲々理解できなかったが、どうやら霊《れい》柩《きゆう》車《しや》を見たら、四本の指で親指を隠すように握りこぶしをつくらないと、親が死んでしまうという意味らしかった。
はじめて聞く話であった。
子供の世界の迷信のような、遊びのような風習でもあろうが、子が親を思う気持ちがほのぼのと感じられ、近ごろにしては心温まる出来事であった。
その子はそうした動作を知らなかったために、先輩達に親指を隠さなかったから、お前のママは死んじゃうぞ、とおどかされたのであろう。
「大丈夫、大丈夫。坊やのママは死なないよ」
といって、頭を撫《な》で、私は立ち去った。
迷信とはいえ、子供らの仕草はいじらしかった。
結婚して間もないころ、葬儀に参列して帰宅すると、家内は玄関先で塩をまき、清めてから私を家へ入らせた。これも迷信、風習の類であろう。
私は監察医で検死や解剖をするのが仕事である。それこそ毎日、死者と対面している。おかしなことは、しないでくれといって笑ったことがある。
これらの話は、笑い話ですまされるが、深刻な事件も多い。
金属バットで子が親をなぐり殺した事件。家庭内暴力が社会問題になっている今、子供側にも、また親の側にもそれなりの原因はあるのだろうが、ニュースに接するたびにやりきれない気持ちになる。
親の子を思う気持ちが、子に伝わらないはずはない。
三十近くにもなって、親にカメラをねだり、買ってくれなければ家に火をつけると暴れ出し、石油ストーブを倒したり、母親を殴る、蹴《け》るなどしたため、見かねた父親が電気コードで首を絞め、わが子を殺してしまった。高校時代から家庭内暴力を振るっていたという。
その息子も幼いころ、霊柩車を見て親指を隠していたのではないかと思うと、ひどくむなしくなってしまった。
どこかで、なにかがかみ合わなくなっている。
現代の世相と、かたづけるわけにはいかない。
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