商店街から少しはずれた不動産屋の二階で、彼女は小料理屋をやっていた。五十がらみで如才ない人柄が好かれ、結構客はついていた。ここ四〜五日、店が閉まっているのを不審に思った階下の家主が、合い鍵を持って様子を見に行った。
とくに店内に変わった様子は見当たらない。カウンターわきの四畳半が彼女の部屋であった。襖《ふすま》を開けると、彼女は布団の中で寝ていた。声をかけたが返事はない。揺り起こそうと中に入って気がついた。死んでいたのだ。
通報を受け、刑事が二人やって来た。密室内で布団に入り、寝たまま女が死んでいる。大筋の状況はつかんだ。掛け布団をはがしたが、乱れなどはなく、ごく自然の寝姿である。顔がやや赤褐色にうっ血しているようであった。
一月中旬、寒い季節であったが、死後日数がたっているため、腐敗が加わったせいかも知れない。しかし、眼瞼《がんけん》結膜下に溢血点があるので、念のため詳しい検視の必要があると、本署に連絡した。刑事課長は数人の部下を引き連れて、現場に急行した。
鑑識係が現状をつぶさにカメラにおさめ、警察官による本格的な検視が開始された。彼女はこの密室の中で、何故に死亡したのか。就寝中の急病死か、自殺か、あるいはほかに原因があるかなど、死体を含め現場などをくまなく見、調べるのが警察官の検視である。人権擁護の立場から言っても、判断の中心は法律である。
状況からみて、犯罪の可能性は低く、病死のようであった。いずれにせよ、そこに死体がある以上、医師の診察(死体検案)が必要である。監察医制度のある都内では、変死者を専門に検死したり解剖する監察医が、現場に出向くことになっている。警察官立ち会いで、監察医の死体検案(検死)が行われた。死体をくまなく観察して、死因を判断し、死亡時間の推定やらその他いろいろな所見をチェックする。判断の中心はあくまでも医学であり、警察官の検視に医学的協力をするのが、医師の検死である。
死体には軽度の腐敗が見られ、角膜も混濁し、死体硬直は解け気味になっている。死体所見や状況から考えて、五日前の死亡と推定された。そのためか顔面は、赤褐色に変色している。しかし、よく観察すると、顔面にはうっ血のほかに溢血点もあり、眼瞼結膜下にも溢血点が多数出現していた。単なる腐敗と片づけるわけにはいかない。頸部に絞殺のような索溝や、扼殺《やくさつ》のような指の圧痕などはっきりした所見はないが、頸部圧迫などによる窒息死の可能性が高いと、監察医は判断した。
ところが警察は捜査上、鍵がかかり密室状態で外部から他人が出入りするようなことはまず考えられない、就寝中の急病死の可能性もあるのではないか、と反論した。窒息死に限らず、急病死の場合にも顔面にうっ血や眼瞼結膜下に溢血点が出現することもあるからである。
また窒息死の場合に見られる、舌を噛んだ状態がないことや、下着や布団の汚れはなく、大小便の失禁がなかったことなどから、窒息死というよりも病死の可能性が強いと、法医学的所見を踏まえての意見であった。
死体を前にして、監察医と警察官のディスカッションは続いた。死体所見、現場の状況から自殺は否定されていた。一方、店内に乱れはなく、引き出しの中には、その夜六人の客の売上伝票があり、現金もそのまま手つかずに残っていた。近くに住む愛人関係にある六十五歳の男が午前一時すぎに帰って、その夜は閉店したことがわかった。
参考人として、その男から事情聴取をしていた。帰りぎわに男は、病死でなければ私が犯人かも知れないね、と不敵な言葉を残して警察を出て行ったという。検視でわかるのは、ここまでである。
あとは遺体を解剖するしかない。犯罪の可能性が大きければ、検事の指揮下で司法解剖となろうが、単なる病死という判断であれば、監察医による行政解剖でよい。これらを区別するため検視官も、この事件には初めから関与していた。警察の幹部で、変死を専門に検視し自他殺の鑑別をするのが主たる任務である。法医学的知識もまた豊富である。結局、検視官も監察医の意見を汲んで、司法解剖の手続きをとることになった。
被疑者不詳に対する絞扼殺事件ということで、翌日大学の法医学教室で解剖となった。結果は、手で首をしめられたために甲状軟骨が折れ、その周囲の筋肉内にも出血があり、扼殺された事実が明白になった。
店内が荒らされていない。
売上金も盗まれていない。
合い鍵を持っている。
これらのことから、親しい間柄にあるものの犯行と推定され、愛人関係にあった男は指名手配された。逃げ廻っていたが、一ヵ月後に逮捕された。冷たくなった彼女に腹を立て扼殺後、寝巻きに着がえさせ、布団に入れ就寝中の病死のように偽装したものであった。
死者の生前の人権を擁護するために、捜査と医学の専門家が力を合わせ、協力し合って事件の真相に迫っていく。間違いは許されない。これが検視、検死なのである。