昨年の十二月はじめに、高崎市にある音楽茶房�あすなろ�から速達がきた。新年のはがきに刷り込む、八行以内の詩を書くように、とある。日数は五日、遠慮するひまも無いので、有難く引き受けることにした。
何とか約束の日までに届け、二日ほどしてまた訂正の原稿を送った。それがどうなったかわからないでいると、突然三越から新巻《あらまき》鮭が家に届けられた。依頼主はあすなろ。
コレヤコノ鮭一尾、見事ナオ顔シテ、遠路ヨクオイデ下サイマシタ、コノ陋屋《ろうおく》ニ。
私は板の間に手をついて、北海道産の鮭に挨拶した。けれど、受け取って良いものかどうか、実は迷っていた。あすなろはいつも私に『あすなろ報』というのをタダで送ってくれている。その喫茶店が新装開店の通知も兼ねた年賀状に使う、というのなら、お祝いに上げるのがちょうどいいくらいのものである。そんな気持で四日も放って置いたら冷蔵庫のない台所で、冷凍の氷が解け、鮭がビッショリ泣いている、「今更帰るわけにゆきません」と。
一週間たち、ようよう食べる決心をし、私は両手に新巻鮭をささげて魚屋に行った。
「切っていただきたいんですが」
親切な魚屋のおにいさんは、片身を切り身にこしらえ、「良い品ですね、いっぺんには食べきれないでしょう」と、残り半分に塩をしてよこした。
「詩はクエない、と言うのに、クエたじゃない?」
そばでそんなことを言われながら、うすくれないの鮭を焼いた。魚の味は良かったけれど、詩の方の味はどうだったのか。原稿を受け取った答えが、無言の鮭は一寸気になる、と思い、市外電話を入れると、「あの詩は適当でなかったので、他のかたのを使いました、お詫《わ》びのしるしまでに送ったのです」と言いにくそうである。それほど聞きにくいことでもないのに、気を遣わせたものだ、と思い、さてこちらが詫びようにも、塩まみれになった半身の鮭には、もう頭もないのである。
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「新年」
それは昨日に続く今日の上
日常というやや平坦な場所に
言葉が建てた素晴しい家、
世界中の人の心が
何の疑いもなく引越して行きました。
「新年」
それは昨日に続く今日の上
日常というやや平坦な場所に
言葉が建てた素晴しい家、
世界中の人の心が
何の疑いもなく引越して行きました。
「どうもこれでは」そんな話がきこえてきそうで、私は二、三日キャッキャッとさわいで自分のはずかしさから逃げていた。それにしても詩が適当であったら、あの鮭は私の所に来たろうか、すでにからだの奥深く泳ぎ去ってしまった鮭に、エニシの深さを感じる。
いつか私は、鮭のようにまるごと一尾のおいしい詩を書いて、詩をひろめることに熱心な、あの奇特な茶房にお返しをしなければいけない。
いつか私は、鮭のようにまるごと一尾のおいしい詩を書いて、詩をひろめることに熱心な、あの奇特な茶房にお返しをしなければいけない。