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ユーモアの鎖国56

时间: 2020-04-24    进入日语论坛
核心提示:女湯 一九五八年元旦の午前0時ほかほかといちめんに湯煙りをあげている公衆浴場はぎっしり芋を洗う盛況。 脂と垢で茶ににごり
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女湯

 一九五八年元旦の午前0時
ほかほかといちめんに湯煙りをあげている公衆浴場は
ぎっしり芋を洗う盛況。
 脂と垢で茶ににごり
毛などからむ藻のようなものがただよう
湯舟の湯
を盛り上げ、あふれさせる
はいっている人間の血の多量、
 それら満潮の岸に
たかだか二五円位の石鹸がかもす白い泡
新しい年にむかって泡の中からヴィナスが生まれる。
 これは東京の、とある町の片隅
庶民のくらしのなかのはかない伝説である。
 つめたい風が吹きこんで扉がひらかれる
と、ゴマジオ色のパーマネントが
あざらしのような洗い髪で外界へ出ていった
過去と未来の二枚貝のあいだから
片手を前にあてて、
 持っているのは竹籠の中の粗末な衣装
それこそ、彼女のケンリであった。
 こうして日本のヴィナスは
ボッティチェリが画いたよりも
古い絵の中にいる、
文化も文明も
まだアンモニア臭をただよわせている
未開の
ドロドロの浴槽である。
「野火」に連載されている伊藤桂一さんの〈抒情詩入門〉を愛読しておりますが、そのなかの——余韻のある読後感——で�匂い立つ後味こそ、大切�と、書いていられました。
ここに掲げた「女湯」は、匂い立つ後味に欠けているため、私のあまり好む詩ではありません。公衆浴場の、言ってみれば風俗詩のようなもので、匂うものがあるとすれば、作者も鼻をつまみたくなるような臭気ばかりです。
けれど、ドロドロの汚れの中で、女達がすっくりと健康な裸を上気させ、洗い清めることをしていた。安い石鹸で、彼女たちはそのことをしていた、明日を迎える儀式のように。
お風呂屋さんもひとつの社会です。その悪条件の中から、一人一人からだを拭いて上がってゆく姿を美しいと思いました。ゴマジオ色のパーマネント、は事実をありのままに書いたものです。私は多少のおかしさをこらえ、日本のヴィナスを見た、と思いました。
これを書いてから十年余り、浴場の設備はだいぶ良くなり、値段まで向上してしまいました。そのことで、この詩の内容も古くなり、何の共感も呼ばなくなったでしょうか? そうかも知れません。伊藤さんの文中にある�人が与えてくれる評価こそ真実�ということにまかせる外ありません。
余談になりますが、大晦日の混雑から新春二日の朝湯にうつると、前には流し場のタイルに三ツ指ついて挨拶しているのをよく見かけました。最近は、番台で買った牛乳を湯気の立つからだでラッパ飲みする、勇ましい風景に出逢います。そんなとき、私はあわてて目を裸にします。何しろお湯に来ているのです、目が着けている衣装、たとえば常識のようなものもぬぎ捨て、まずよく見る、ことからはじめようと思うわけです。
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