以前から抒情詩とか、叙事詩、散文詩等という呼び方はありましたが、最近そういう質的な分類とは違った、別の分けかたで呼ばれる詩が多くなりました。主義主張による、ダダとかシュールというのでもない、プロレタリア詩といった自覚によるものとも違う、職業別、所属別に近い、たとえば生活詩、働く者の詩といった呼び名。
職業の分野でも専門化、細分化が進んできたので、詩もその傾向から逃れられなかったか、と冗談に聞いてみたいような気がします。
私の書いたものが、少しでも世間にとりあげられるきっかけになったのは、この働く者というひとつの立場からでした。第二次世界大戦後、組合運動がさかんになり、その一端として文化活動が強く推進された。食糧も娯楽も乏しかった時期、文芸といった情緒面でも、菜園で芋やかぼちゃをつくるのと同じように自給自足が行われ、仲間うちに配る新聞の紙面を埋める詩は、自分たちで書かなければならなかった。実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は広島に原子爆弾が投下された八月六日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に、原爆被災の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。