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国盗り物語41

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:上意討 道はほそい。北へ。稲葉山ふもとの長井藤左衛門の城館にむかってまっすぐについている。享禄《きょうろく》二年十二月二
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上意討

 道はほそい。
北へ。
稲葉山ふもとの長井藤左衛門の城館にむかってまっすぐについている。享禄《きょうろく》二年十二月二十八日の最後の時間はすでに去った。
刻《とき》は二十九日の子《ね》ノ刻《こく》(午前零時)すぎになっていた。
庄九郎はなお鞭《むち》をあげて駈けた。かれに従うのは赤兵衛以下、屋敷内の長屋にすむ手飼いの郎党にすぎず、さほどの侍はいない。
赤兵衛は、馬の鞍《くら》に大掛《おおかけ》矢《や》をくくりつけていた。この打撃道具で城門をたたき割ろうというのである。
騎馬団は、稲葉山麓《さんろく》につきあたった。森が多い。
森を西へまわった。
坂がある。
藤左衛門の城館にむかう大手道路である。
城の空濠《からぼり》についた。
「かねての手《て》配《くば》りどおり、三方にわかれよ」
庄九郎は兵を散らせた。
みな空濠へとびこみ、さきに熊《くま》手《で》のついた縄《なわ》を投げあげ投げあげ、城壁をのぼりはじめた。
赤兵衛は城門へ進み寄り、
ぐわーん
と大掛矢で門をたたいた。
びくともしない。
「ばか、赤兵衛、貸せ」
庄九郎は大掛矢をとりあげ、柄《え》のはしをにぎり、ゆるやかに虚《こ》空《くう》に弧をえがきはじめ、やがて弧をえがく速度がはやくなり、うなりを生じて回転したかとおもうと、
ぐわあーん
と門を打撃した。
はめ板が割れ、門の金具が吹っとび、さらに三度、四度と打撃をくわえるうちに、人が入れるほどの穴があいた。
「たれぞ、飛びこんで閂《かんぬき》をはずせ」
と命ずると、「承って候《そうろう》」と郎党の一人がとびこんだ。
すぐ門がひらき、一同槍の穂さきをならべ、どっと攻め入った。
 一方、藤左衛門である。
すでに一刻《いっとき》も前に寝酒を終え、めかけの小筈とともに寝所に入っていた。
藤左衛門は、伊賀から傭《やと》い入れた忍びが帰って来るのを心待ちに待っている。
(はて、うまくゆくかどうか)
それを思うと、寝つけない。
(まあよい。それがしくじったところで、あとあとよき計略がたてられよう)
小筈は、愛《あい》撫《ぶ》に疲れはてて、かるい寝息をたてている。恥毛がない。寝顔も、まるっきりの童女であった。
藤左衛門は、いつのまにか、寝入った。
小筈は、眼をひらいた。
(………?)
と藤左衛門の顔をのぞきこみ、寝入った、と見すますと、そっと臥《ふし》床《ど》をぬけた。
隣室に、宿直《とのい》の間がある。侍が二人、寝ずに詰めている。
「厠《かわや》へ参ります」
と小筈はちいさく声をかけ、さらさらと廊下を渡った。
(三四郎殿のお言葉では今夜あたり、なんぞ異変があるときいていたが)
小筈は、庄九郎の児小姓関三四郎という者と従兄妹《いとこ》同士になっていた。その三四郎をとおして、かねて「なにか異変があれば藤左衛門様から離れるな」と言いふくめられている。
異変
とはなにか。
知らない。
小筈は疑問ももたず、せんさく《・・・・》もしなかった。その髪形が童女のままであるように、心も童女からぬけきっていない。
小筈には、習慣がある。
腰に鈴をつけていることであった。起き臥《ふ》し、鈴を体から離したことがない、小筈のゆくところ、いつも鈴が、
ちろちろ
と鳴った。それがいかにも可愛《かわい》い。
厠から帰ってきて、ちろちろと音をたてながら臥床に入ると、藤左衛門がものうげに眼をひらき、
「どこぞへ行っておったか」
ときいた。
「はい、厠へ」
小筈は悪びれもしない。当然なことで、小筈は庄九郎一味の陰謀などつゆ《・・》知らないし、いまも厠へ立ったことは嘘《うそ》いつわりもないことだからである。
そのときであった、藤左衛門が、
ぐわあーん
という地響きするような音をきいたのは。
「あれはなんだ」
はねおきた。
つづいて、二度、三度、四度とすさまじい物音がおこった。
「地震か」
「殿、殿」
侍が二、三人、廊下を叫びわたりながら駈けこんできた。
「う、討入りでござりまするぞっ」
「あわてるな」
藤左衛門はこうとなれば、さすが豪勇で近《おう》江《み》、尾張まで名を知られた男である。
長押《なげし》から小《こ》薙刀《なぎなた》をとり、さらに手をのばして長押の上の石ころ五つばかりをふところに入れた。
長押は、投石と書くという説があるほどで、武士の城館では長押の上に小石をおきならべてある。討入られた場合、室内戦闘につかうためである。
「小筈、逃げろ」
藤左衛門はいったが、小筈はここだとおもい、この初老の小守護様の腰にしがみついてはなれない。
「小筈は怖《こお》うございます」
三四郎がそう教えてくれた。「武家奉公する者のこれは心得ごとだぞ、万一異変があれば屋敷中の者は殿のご身辺をまもり、殿お一人を安全な場所へ落し参らせるから、殿のお身まわりにしがみついておれば身は安全だ」といったのである。
「うるさいっ」
藤左衛門は突きはなそうとしたが、小筈は泣きだしていっかな《・・・・》離れない。
「敵は何者ぞ」
「し、しれませぬ。ただ、お上意、お上意と叫んでおりまする」
「お上意?」
藤左衛門は、激怒した。
(お屋形はわしを御《ぎょ》意《い》討《うち》になさるか)
思いあたるふしはある。もともと藤左衛門は亡命した先代の守護職政頼を擁立していた男であった。当代の頼芸に好かれようはずがない。
一瞬、藤左衛門は決意した。
思いもよらぬことを決意した。たったいまからクーデターをおこし、頼芸を追い、あとに頼芸の庶弟《しょてい》の揖斐《いび》五郎を押したてて守護職にすることを。
どうせ、頼芸も庄九郎に押したてられクーデターによっていまの地位についたお屋形様ではないか。
「やる。——」
藤左衛門は、昂奮《こうふん》で顔が真赤になった。大声で手配りをした。
「太田伝内、伝内やいずれにある」
「おん前に」
家老の伝内が走り出た。
「すぐのろし《・・・》を打ちあげよ、五郎の殿に使いを走らせよ、美濃じゅうの軍勢を駆り催《もよお》すのじゃ。めざす敵はお屋形ぞ」
「はっ」
太田伝内は走った。
藤左衛門も尋常な男ではない。邸内に討ち入られながらそれを防ぐよりも、——いやむしろ防ぎをわすれて積極的な攻勢に出ようとした。
邸内はひろい。
建物の配置も複雑である。
藤左衛門は、あちこちを走った。そのうしろから、
ちろちろ、
ちろちろ、
と鈴の音がついてきた。

一方、庄九郎である。
「逃げる者は追うな、無用の殺生《せっしょう》はするな」
とどなっているが、庄九郎は庄九郎でどうかしていた。
藤左衛門方の人数は、五十人はいる。庄九郎方はその半分以下の二十人でしかない。
——逃げる者は追うな。
というどころではない。庄九郎の人数のほうが、逆に藤左衛門方の人数に追われて邸内を逃げまわっているのである。この男の強気は、底が知れない。
「者ども、聞け」
庄九郎はりんりんと声をあげた。
「めざすは、小守護殿(藤左衛門)ひとりであるぞ、余《よ》の者と掛けあうな」
「推参《すいさん》。——」
と、屈強の武士が大太刀をふるって飛びかかってきたのを、庄九郎は身をひくめ、
びしっ
と太刀を横に薙《な》ぎはらった。武士はどっと倒れた。
その死《し》骸《がい》をとびこえ、廊下を駈けた。廊下や回廊、ぬれ縁、庭さきなどのあちこちに敵味方の松明《たいまつ》が入りみだれている。
「………?」
庄九郎は耳を澄ました。
ちろ、
ちろちろ、
という鈴の音が、壁のなかからきこえてくる。右手に塗り籠《ご》めの部屋があるのだ。
(ここか)
がらっ、と戸をあけ、飛びのいた。小石が庄九郎の頭上をかすめて飛んだ。
庄九郎は室内に松明を投げこんだ。真暗な室内が、茫《ぼお》っとあかるくなった。
藤左衛門が、小薙刀をかまえている。そのそばで、小筈が顔を畳に伏せてうずくまっていた。
「小守護様でおわすや。お上意でござる。神妙に首《こうべ》をさし出されよ」
「お、おのれか」
藤左衛門はおどりあがるようにして、小薙刀をふりまわした。
きゃっ
と小筈が藤左衛門にとびついた。
「はなせっ」
藤左衛門は、蹴《け》り倒した。
わっと小筈は倒れたが、それでもなお藤左衛門が頼りとおもうのか、夢中に駈けよってきた。
「こいつ。——」
小薙刀が、旋回した。
無残、というほかない。小筈の細首が音もなく飛んでしまった。
(や、やったか)
藤左衛門は、うろたえた。小筈の死がかれをさらに物狂いにした。
小薙刀がぶんぶんうなりを立てて庄九郎にせまってくる。手に負えない。
そこへ赤兵衛が駈けてきた。
「赤兵衛、手槍を」
庄九郎はひったくるなり、構え、猪突《ちょとつ》し、飛びちがえた。
横に薙ぎまわしてきたのを、庄九郎は手槍の石突を畳の上に突ったてて、木のぼり猿《ざる》のようにとびあがった。
すぱっと槍の柄が切られた。
切って、薙刀の刃が去った。
庄九郎は、とびおりた。
瞬間、庄九郎の太刀が、藤左衛門の左肩から袈裟《けさ》に斬《き》りおろしていた。
「赤兵衛、首をとれ」
庄九郎は、廊下へ駈け出、
「敵味方とも聞け、長井藤左衛門殿はお上意によって討ち取った」
言いながら、用意の退《ひ》き鉦《がね》を打たせた。
 そのあと、半刻のちには庄九郎は川手の府城の頼芸の御前にいる。
夜は、明けそめていた。
「御上意により、大奸《だいかん》をば誅戮《ちゅうりく》つかまつりました。御検視ねがわしゅう存じまする」
藤左衛門の首をみて、頼芸は声もない。
「お言葉を」
庄九郎は、強制した。
「大儀であった」
ほめざるをえない。
ところが、そのあとが大変であった。美濃の国中は、譬《たと》えどおり、蜂《はち》の巣をつついたような騷ぎになった。
「かの油商人を殺せ」
と口々にいい唱え、美濃八千騎の地侍のうち、藤左衛門の息のかかっていた五千騎が武装し、在所々々から郎党をひきい、
「お屋形様に願い奉る儀あり」
と押しかけてきたのである。
みな、城外に野営した。
その数は日に日にふえ、七日目には五千騎二万人を越える人数になった。
夜は、大カガリ火を焚《た》く。
その数、無数といってよく、城の櫓《やぐら》から見ると城外の野はことごとく火を噴いて燃えあがるようであった。
美濃はじまって以来といっていい。
国侍の一《いっ》揆《き》にも似た集団陳情がおこなわれたのは。
その主導をにぎる者は、かつて藤左衛門と腹をあわせて庄九郎誅殺の謀議に参加した連中で、その中心人物は頼芸の庶弟揖斐五郎に同鷲《わし》巣《ず》六郎、同土岐八郎。
さらに土岐家一門の重鎮斎藤彦九郎宗雄《むねかつ》、国島将監《しょうげん》、芦《あ》敷《しき》左《さ》近《こん》、彦坂蔵人《くらんど》。
それに、殺された小守護長井藤左衛門の実子で名族斎藤家の出身である斎藤右衛門利賢《としかた》(すでに僧形《そうぎょう》になっており、僧名は白雲《びゃくうん》)が、当然、復仇《ふっきゅう》のために、急先鋒《きゅうせんぽう》でいる。
「あの者を、われらが手にお渡しくだされますように」
と、一同頼芸にせまった。
「さもなくば、われらに追討の下し文をおさげ願わしゅうござりまする。さればこの軍勢を駆って一挙にあの者の加納城を陥《おと》してごらんに入れまする」
いずれにしても、庄九郎を殺す、という要求である。
庄九郎は、どこにいたか。
自分の城館である加納城にはいなかった。いいおとしたが、この加納城も、数千の人数でかこまれているのである。
庄九郎は、放胆にも頼芸の川手の府城にいた。一室にひそんでいる。
書院には陳情団が詰めかけているというのに、庄九郎はなすこともなく毎日酒をのんでいた。
「お屋形様、相手になされまするな」
と頼芸には念を押してある。
頼芸もまた、自分をこんにちの栄華の地位に押しあげてくれた庄九郎を裏切ろうとはおもわなかった。
頼芸は、無智粗豪な同族や国侍どもよりも、庄九郎のほうがいい。庄九郎とは、たとえば牧谿《もっけい》(中国宋《そう》代の画家。水墨画の名手とされ、とくに、竜、虎、猿、鶴、蘆《ろ》雁《がん》、山水樹石、人物をよくした。中国での評価よりもむしろ日本でもてはやされ、この時代での世界最大の画家とされていた)について語ることができる。牧谿という名さえ知らぬ肉親よりも、牧谿を知っている他人のほうが、頼芸の身にとって近い。頼芸はたとえば無人島に流されたとして、一人だけの友をえらべといわれれば躊躇《ちゅうちょ》なく庄九郎をえらんだであろう。
ところが。
陳情団は承知せぬ。
「されば、われら勝手にふるまいます。かの者を攻め殺すなり、なんなり自《じ》儘《まま》にいたしまするが、お屋形は眼をつぶっていませよ」
とまで強要した。
頼芸は、返事をしない。
一同、川手の府城からさがり、野に待機している五千騎二万人の人数にそれぞれの族長が、
「立て」
と命じた。
庄九郎の加納城を襲うのである。
おそらくこれだけの大軍なら、攻めつぶすのに一刻《とき》という時間も要らないであろう。
庄九郎はそれを、川手城の矢狭間《やざま》から見おろしていた。
顔が、だんだんにがっぽくなってきた。
(こんどこそ、かなわぬ)
正直な実感であった。
(すこし、やりすぎた)
後悔はしないが、このところすこし図に乗りすぎたようであった。
(馬鹿《ばか》も集団になると力だ。それをわすれていた)
さすがの庄九郎も、この集団にはかなわない。
(どうするか。……)
智恵の緒も切れたようで、頭がすこしも働かない。
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