南《な》無妙法蓮華経《むみょうほうれんげきょう》
南無妙法蓮華経
…………………
…………………
唱えながら三条の橋をわたって花曇りの京の町へ入ってゆく旅の僧がある。
頭には、ござ《・・》の両はしを巻いただけの簡素な回峰行者笠《かいほうぎょうじゃがさ》をいただき、首には百八個の鉄玉を結びつけた大《おお》数珠《じゅず》をかけ垂らし、麻の手《てっ》甲脚絆《こうきゃはん》で身をかため、帯には犬よけの大脇差《おおわきざし》をさしている。
どこからみても旅の乞食坊主である。
これが、京洛《けいらく》きっての油問屋山崎屋の店内に入ってゆくと、
「お万阿《まあ》はおるかね」
といった。
折りよくお万阿が奥から出てきて、店の土間におりようとしたところだった。
「お万阿、わしだよ」
変わりはてた姿の庄九郎の眼が、笠の下からのんきそうに笑った。
「まあ旦《だん》那《な》様」
と、お万阿は声も出ない。
「そ、そのお姿は、どうなされました」
「わけは、あとだ。まずすすぎ《・・・》の水をもってきて呉りゃれ」
「たしかに旦那様じゃな」
と、お万阿は真剣な眼で笠の下の庄九郎の顔をのぞきこんだほどであった。
「わしにはまちがいない」
手足をすすぎ、黒衣のちり《・・》をはらって上へあがり、
「飯」
と命じた。
「ひやめしでよいぞ。酒か、大徳利の口まで満たしてもって来い。それに、寝床を敷いておけ。慾も得もない。二日ほどぐっすりねむりたいわい」
と矢継ぎ早やにいった。
美濃の旦那様のにわかのお帰りとあって、店じゅう沸きたつような騷ぎになった。
魚を焼く者、酒壺《さかつぼ》をかかえて廊下を走る者、土間にころぶ者、それを叱《しか》る者……
「なんとも喧《やか》ましいことだ」
と、奥屋敷で庄九郎が顔をあげたときは、三杯目のめしをたいらげていた。
「あのう、……」
とお万阿がめしのおかわりをする合間々々にこの姿のわけをきこうとするが、
「あとだあとだ」
庄九郎は、とりあわない。
音をたててめしを食い、酒をのみ、魚を食い、さらに酒をのみ、胃の腑《ふ》を充分に満たしてから、
「寝る」
と、坊主頭をふりたてた。
「ではお万阿も。——」
まだ宵《よい》の口だのにお万阿がいつもの帰洛のときの習慣でそういうと、
「それも、あと、あと」
と手をふり、ひとり寝床に入ってしまった。
(怪態《けったい》な)
お万阿はあきれざるをえない。もともと世の中を相手に手品をつかっているような男だが、こんどの手品はどうやら様子がちがうようなのである。
陽《ひ》が落ちてからお万阿はおそい夕食をすませ、手燭《てしょく》をもって廊下に出た。
庄九郎の寝所の前までゆき、ふすまをそっとひらき、手燭のあかりだけを差し入れて室《な》内《か》をたしかめてみた。
「杉丸《すぎまる》、杉丸」
とお万阿は手代の杉丸をひっぱってきて、廊下から室内を見させた。
「杉丸はどう思います。あれはたしかにお万阿の旦那様でありますな」
「いささか」
杉丸は、首をひねった。
「ご様子はちがいまするが、どうやら旦那様と見受けられまする」
「たよりない。まさか、鴨川《かもがわ》のかわうそ《・・・・》が化けたのではありますまいな」
「そう申せば、鴨川の鮎《あゆ》をうれしそうにお食べあそばしておりました。かわうそ《・・・・》は鮎が好物ときいております」
「杉丸」
ぎゅっ、と杉丸のほっぺたをつねった。
「痛い、痛うございます」
「折檻《せっかん》じゃ」
そのくせ、お万阿はコロコロとのどで笑っている。多少怪しいふしがあるにせよ、庄九郎が帰ってきたことがうれしいのであろう。
翌々日の夕刻、庄九郎は寝所から出てきて裏庭へとびおり、井戸端で頭から水をかぶりたんねんに体を清めた。
春だが、水はまだつめたい。
が、庄九郎はむかし妙覚寺本山での修行時代、水行《すいぎょう》をさんざんやったから馴《な》れているのである。
お万阿は、あたらしい下帯、それに僧侶《そうりょ》の白衣、黒衣まであたらしくととのえて、縁側で待った。
「お万阿、よく気がつく」
庄九郎は麻の布で全身を拭《ふ》きながら、
「頭が濡《ぬ》れた。髪も結いなおしてくれ」
といった。
「ホホ……」
坊主頭であることをわすれている。お万阿は笑いながら、だまっていた。
「ああ」
庄九郎は青い頭に手をやり、そのことに気づいたらしいが、笑いもしなかった。縁側にすわっているお万阿の裾《すそ》のはだけたうちうら《・・・・》をじっと見ているのである。
「お万阿、ひさしぶりだな」
「いまごろ何をおっしゃっています」
と、お万阿はあわてて裾をかきあわせた。
「さあ、奥でゆるりとその後の物語をしよう。酒はあるかね」
「鮎もございます」
「それは気のきくことだ」
「鮎という魚はかわうそ《・・・・》の好物だそうでございますな」
と云《い》いながら、お万阿は半分本気で、庄九郎の顔色をうかがった。
「かわうそ?」
庄九郎は興もない。その顔つきのまま、縁側へあがってきた。
南無妙法蓮華経
…………………
…………………
唱えながら三条の橋をわたって花曇りの京の町へ入ってゆく旅の僧がある。
頭には、ござ《・・》の両はしを巻いただけの簡素な回峰行者笠《かいほうぎょうじゃがさ》をいただき、首には百八個の鉄玉を結びつけた大《おお》数珠《じゅず》をかけ垂らし、麻の手《てっ》甲脚絆《こうきゃはん》で身をかため、帯には犬よけの大脇差《おおわきざし》をさしている。
どこからみても旅の乞食坊主である。
これが、京洛《けいらく》きっての油問屋山崎屋の店内に入ってゆくと、
「お万阿《まあ》はおるかね」
といった。
折りよくお万阿が奥から出てきて、店の土間におりようとしたところだった。
「お万阿、わしだよ」
変わりはてた姿の庄九郎の眼が、笠の下からのんきそうに笑った。
「まあ旦《だん》那《な》様」
と、お万阿は声も出ない。
「そ、そのお姿は、どうなされました」
「わけは、あとだ。まずすすぎ《・・・》の水をもってきて呉りゃれ」
「たしかに旦那様じゃな」
と、お万阿は真剣な眼で笠の下の庄九郎の顔をのぞきこんだほどであった。
「わしにはまちがいない」
手足をすすぎ、黒衣のちり《・・》をはらって上へあがり、
「飯」
と命じた。
「ひやめしでよいぞ。酒か、大徳利の口まで満たしてもって来い。それに、寝床を敷いておけ。慾も得もない。二日ほどぐっすりねむりたいわい」
と矢継ぎ早やにいった。
美濃の旦那様のにわかのお帰りとあって、店じゅう沸きたつような騷ぎになった。
魚を焼く者、酒壺《さかつぼ》をかかえて廊下を走る者、土間にころぶ者、それを叱《しか》る者……
「なんとも喧《やか》ましいことだ」
と、奥屋敷で庄九郎が顔をあげたときは、三杯目のめしをたいらげていた。
「あのう、……」
とお万阿がめしのおかわりをする合間々々にこの姿のわけをきこうとするが、
「あとだあとだ」
庄九郎は、とりあわない。
音をたててめしを食い、酒をのみ、魚を食い、さらに酒をのみ、胃の腑《ふ》を充分に満たしてから、
「寝る」
と、坊主頭をふりたてた。
「ではお万阿も。——」
まだ宵《よい》の口だのにお万阿がいつもの帰洛のときの習慣でそういうと、
「それも、あと、あと」
と手をふり、ひとり寝床に入ってしまった。
(怪態《けったい》な)
お万阿はあきれざるをえない。もともと世の中を相手に手品をつかっているような男だが、こんどの手品はどうやら様子がちがうようなのである。
陽《ひ》が落ちてからお万阿はおそい夕食をすませ、手燭《てしょく》をもって廊下に出た。
庄九郎の寝所の前までゆき、ふすまをそっとひらき、手燭のあかりだけを差し入れて室《な》内《か》をたしかめてみた。
「杉丸《すぎまる》、杉丸」
とお万阿は手代の杉丸をひっぱってきて、廊下から室内を見させた。
「杉丸はどう思います。あれはたしかにお万阿の旦那様でありますな」
「いささか」
杉丸は、首をひねった。
「ご様子はちがいまするが、どうやら旦那様と見受けられまする」
「たよりない。まさか、鴨川《かもがわ》のかわうそ《・・・・》が化けたのではありますまいな」
「そう申せば、鴨川の鮎《あゆ》をうれしそうにお食べあそばしておりました。かわうそ《・・・・》は鮎が好物ときいております」
「杉丸」
ぎゅっ、と杉丸のほっぺたをつねった。
「痛い、痛うございます」
「折檻《せっかん》じゃ」
そのくせ、お万阿はコロコロとのどで笑っている。多少怪しいふしがあるにせよ、庄九郎が帰ってきたことがうれしいのであろう。
翌々日の夕刻、庄九郎は寝所から出てきて裏庭へとびおり、井戸端で頭から水をかぶりたんねんに体を清めた。
春だが、水はまだつめたい。
が、庄九郎はむかし妙覚寺本山での修行時代、水行《すいぎょう》をさんざんやったから馴《な》れているのである。
お万阿は、あたらしい下帯、それに僧侶《そうりょ》の白衣、黒衣まであたらしくととのえて、縁側で待った。
「お万阿、よく気がつく」
庄九郎は麻の布で全身を拭《ふ》きながら、
「頭が濡《ぬ》れた。髪も結いなおしてくれ」
といった。
「ホホ……」
坊主頭であることをわすれている。お万阿は笑いながら、だまっていた。
「ああ」
庄九郎は青い頭に手をやり、そのことに気づいたらしいが、笑いもしなかった。縁側にすわっているお万阿の裾《すそ》のはだけたうちうら《・・・・》をじっと見ているのである。
「お万阿、ひさしぶりだな」
「いまごろ何をおっしゃっています」
と、お万阿はあわてて裾をかきあわせた。
「さあ、奥でゆるりとその後の物語をしよう。酒はあるかね」
「鮎もございます」
「それは気のきくことだ」
「鮎という魚はかわうそ《・・・・》の好物だそうでございますな」
と云《い》いながら、お万阿は半分本気で、庄九郎の顔色をうかがった。
「かわうそ?」
庄九郎は興もない。その顔つきのまま、縁側へあがってきた。
「お万阿」
庄九郎は奥で酒を注がせながら、
「また名前が変わったぞ」
といった。
まずふりだしは妙覚寺本山の学生法蓮房《がくしょうほうれんぼう》、ついで松波庄九郎、一転して奈良屋庄九郎、さらに山崎屋庄九郎、美濃へ行ってふたたび松波庄九郎になり、あとは出世するたびに西村勘九郎、長井新九郎などと、みじかい期間に名前がめまぐるしくかわった。
変わるたびに環境が一変し、いわば階段を一段ずつのぼるように立身している。
「どのような?」
と、お万阿は物の本の一章をめくるような興味と期待で、きいた。
——旦那様は、いつか将軍になる。
と、お万阿は、無邪気に信じていた。将軍でないにしても、国主、大名にはおなり遊ばすであろう。
(でなければ)
わたくしはこのようにおとなしく京で山崎屋の富の番人はしておりませぬ、とおもっている。
当然、庄九郎はこんどもまた出世をし、大名、将軍の地位へさらに一段近づいたはず、とお万阿はおもった。
「おもしろいこと。——」
お万阿は、自分の旦那様が、まるで自分の目の前で伝奇小説をくりひろげてくれるようにおもしろい。
「どのようなお名前におなり遊ばしました」
「道三よ」
「え? どうさん?」
お万阿は、拍子ぬけした。
「それはなんのお名前でございます」
「法名《ほうみょう》よ」
「されば旦那様、そのお姿のとおりお坊主様におなりあそばしたのでございますか」
「おおさ、振り出しに戻《もど》った」
「振り出しに? すると、こんどは何城をもち、何貫の所領を得た、というのでなく?」
「ああ、ないない」
「すると?」
「そうだ、乞食坊主にもどった。美濃を追い出されてきたのよ」
「まあ」
あいた口がふさがらない。
ところが、こんどはおなかの底からえたい《・・・》の知れぬおかしみがこみあげてきて、口をつぐみ、顔を真赤にして、やがて我慢ができなくなり、
「ホホホ……」
と肉《しし》置《お》きの豊かな体をゆすって笑いだした。
「なんだ、なにがおかしい」
「可笑《おか》しい」
こみあげてくる笑いに堪えかね、体を曲げ、ひざを崩し、ついに突《つ》っぶせになってしまった。
「おいおい」
庄九郎はにがい顔である。
「笑いをやめろ。亭主殿に無礼ではないか。なぜそのようにおかしい」
「ではございませぬか」
「なにがだ」
「たかがもとは油屋の商人。それが、旦那様、話がうますぎましたもの。そうでございましょう? 美濃へ行ったとたんに知行あるお武家様におなり遊ばし、すぐ城持にお進みなされ、西村、長井といった美濃の名家の姓をお継ぎあそばし、もったいなくも美濃の守護職様の執事をおつとめなされる……となりますと、お話がとんとん拍子にゆきすぎてうますぎましたもの。ね、旦那様、いいえかわうそ《・・・・》様」
「なんだ、その川獺《かわうそ》とは」
「鴨川に棲《す》んで人をだますとかいうけものでございます。そうそういつまでも拍子よくひと様はだまされてはおりませぬ。だまされているのは、お万阿ぐらいのものでございます」
「おいおい」
「あらあら、しくじりました」
とお万阿はあわててひざを手の甲でぬぐった。酒器から酒をこぼしたのである。いったい、底意地のある利口者なのか単に無邪気なのか、お万阿という女は庄九郎にとっても、いまだに謎《なぞ》である。
「お万阿をだましてはおらぬ」
庄九郎は、にがい顔でいる。
「そうでございましょうか」
「か《・》は余分だ。天上天《てん》下《げ》、お万阿のみを頼るゆえに、このようにしてそなたの膝《ひざ》もとへもどってきたではないか」
「道三様におなりあそばして。——」
と、お万阿はまたはじけるように笑いだした。庄九郎の、取りすました坊主姿や、あおあおとしたまるい頭がおかしかったのであろう。
「本当に、思いもかけぬお姿におなりあそばしましたな」
「これでなくては、美濃をのがれ去ることもできなんだわい」
と、庄九郎は変わりはてたわが身をちょっと見、あらましの物語をして聞かせた。
「あな、おもしろや」
と、お万阿は、お伽草《とぎぞう》子《し》でも読みきかされるような興味できいた。
「それで、これからどうなされます。もう将軍や国主のお夢はお捨てあそばして、死ぬまでこの山崎屋に居てくださいましょうな」
「お万阿よ」
道三坊主はいった。
「人の世にしくじりというものはないぞよ。すべて因果にすぎぬ。なるほどわしの場合、昨日の悪因がきょうの悪果になったが、それを悪因悪果とみるのは愚人のことよ。絶対悪というものは、わしが妙覚寺本山で学んだ唯《ゆい》識論《しきろん》、華《け》厳論《ごんろん》という学問にはない。悪といい善というも、モノの片面ずつにすぎぬ。善の中に悪あり、悪の中に善あり、悪因悪果をひるがえして善因善果にする者こそ、真に勇気、智力ある英雄というわい」
「むずかしいこと」
お万阿は、庄九郎の弁力についてゆけるほど、物を考えることに馴れていない。
「要するにお万阿の知りたいことは、旦那様がこのまま山崎屋にいてくださるかどうか、ということでございます」
「わからん」
庄九郎は、いった。
「わかれば、こんな姿になってもどっては来ぬ。二、三日、あるいは二、三カ月、油でも売りながら考えるわい」
庄九郎は、杯をかさね、語るほどにだんだん酔ってきて、ついに大酔した。
ごろりと横になった。
「膝をお貸し致しましょう」
と、お万阿は寄って行って、後頭部のよく発達した庄九郎の坊主頭を、自分の膝の上にのせてやった。
「これはよい気持じゃ」
「いかがでございます。そのように美濃で結びもせぬ白昼夢をごらん遊ばすより、この膝の上で生涯《しょうがい》お暮らしあそばしては」
「くさいな」
と、庄九郎は、頬《ほお》をお万阿の膝の割れ目に押しつけた。
「失礼な」
とお万阿は声をたてて笑った。
「なんの、お万阿よ、失礼なことはない。美濃では庄九郎は君子人にてこのような真似《まね》はできぬ。女房《にょうぼう》どのなればこそじゃ」
と恩に着せながら、奥をのぞいた。
「これはこれは、法華経でいう霊鷲山《りょうじゅせん》とはお万阿のかような所であろうな」
「南無妙法蓮華経のお声がしまするか」
「するとも。経文《きょうもん》にあるわい。——わがこの土《ど》は安穏《あんのん》にして天人《てんにん》つねに充満せり。その園《おん》林《りん》たるやもろもろの堂閣および種々の宝をもって荘厳《しょうごん》し、宝樹《ほうじゅ》華果《けか》多くして、衆生《しゅじょう》の遊《ゆ》楽《らく》する所なり。……」
「まあ」
お万阿は無邪気に叫んだ。
「わたくしののの《・・》様のことが、そのように経文にあるのでございますか」
「馬鹿《ばか》だな」
庄九郎は、お万阿をもてあまさざるをえない。
「いまのは仏のいます霊鷲山という所の描写だ。それはお万阿ののの《・・》様のことだと、わしはたとえて言うている」
「つまりませぬこと」
お万阿は、くっくっと笑っている。庄九郎の手がなにやらしているらしい。
「もうし、お坊様」
お万阿はいった。
「そのようなことを仏弟子の身でなされてよいものでございますか」
「まあ、よいとせい」
庄九郎はよろりと立ちあがって、いきなりお万阿を抱き上げた。
寝所へ行こうとするのである。
そのとき、廊下を駈《か》けわたる足音がして、部屋の外にぴたりととまった。
「たれじゃ」
と、お万阿はいった。
「杉丸でござりまする」
「なんぞ用でありますか。たいした用でなければ明日の朝にしや。いま旦那様とたいせつな御用がありますほどに」
「はい。……」
杉丸は、判断に迷っている様子である。
「なんの用か」
と、庄九郎がいった。
「おそらく、美濃から耳次が駈けてきたのであろう」
「はい、左様でござりまする。いまこれに耳次殿も控えておりまする」
「耳次、それにて申せ」
「はい」
と、耳次の声がした。
「日護上人様、なかなかのお働きにてお屋形様を説き奉り、お屋形様が美濃一国のおもだちたる侍衆をあつめ、じゅんじゅんと説き聞かされたそうでございます」
「なにをだ」
と庄九郎はきいたが、大体のことは推察がつく。
庄九郎は、ただ僧衣をまとっただけで京に舞いもどったのではない。
腹心の者をみな残し、それぞれ活動すべき役割りをきめ、仕事を教え、庄九郎の復帰の工作をつづけさせている。
その最大の運動者が、日護上人であることはいうまでもない。
「報告は明朝、きく。今夜はさがってよくやすめ」
「はい」
耳次と杉丸は、さがった。
法師白雲
翌朝、耳次がまかり出て、
「吉報でござりまする」
といった。
庄九郎は、お万阿に座をはずさせ、耳次を近《ちこ》う寄らせた。
「申せ」
庄九郎がいうと、耳次ははっと平伏し、
「美濃ではお屋形様のご説得、日護上人のご奔走が功を奏し、もろもろの国衆は在所々々に帰り散りましてござりまする」
といった。
「散ったか」
庄九郎は、鼻毛をぬいた。
耳次の話では、すべて日護上人の働きであったという。上人は、優柔不断な頼芸をはげまし、
——あなた様を、美濃の国主になし奉ったのはかの者ではありませぬか。ここで見捨てては後生《ごしょう》がわるうござりまするぞ。
と、地獄へゆくとおどし、
——もしかの者を失えば。
ともいった。
「やがてはお屋形様も美濃を追われ、弟君にその地位を奪われる憂《うき》目《め》にお遭いなされましょう。古語にもござる、唇亡《クチビルホロ》ンデ歯寒シ、と。お屋形様とかの者とは唇《しん》歯《し》輔《ほ》車《しゃ》の間柄《あいだがら》でござりまする。そのことをおわすれありませぬように」
頼芸もそう思っている。そこで、国衆のおもだつ者どもをよび、日護上人ともども、説得した。
国衆どもは、頼芸よりもむしろ長井一族の出でしかも徳望のある日護上人の言葉に気持を折った。
——上人がそう申されるならばわれわれとしては何もいうことはない。このたびは鉾《ほこ》をおさめよう。
といって、それぞれの領地へ帰ったというのである。
(学友はありがたいものだ)
と、庄九郎は感謝した。
庄九郎は生涯《しょうがい》、日護上人に感謝し、かれが天下の斎藤道三になってから日野、厚《あつ》見《み》の内の二カ村二千石を常在寺に寄進している。
「ひとまず、片づいたわけか」
と、庄九郎は苦笑し、そのはずみに二、三本いちどに鼻毛をぬいてくしゃみをした。
「しばらくは、美濃の国衆も騒ぐまい」
と庄九郎はひとりごとをいった。
余談だが、この時代までの武士は平素は領地の村々にいて、事あれば集まってくる。武士を城下町に集団居住させたのは道三からのことで、それまでは、いざ集まろうと思ってもなかなか容易でなく、団結力や機動力を欠いた。庄九郎のような男が美濃で存分に跳梁《ちょうりょう》できたのは、こういう盲点のおかげであった。
「では、早《さ》速《そく》にご帰国あそばしますか」
「京で遊んでいるわい。久しぶりの都は、意外とよい。ひょっとすると京のお万阿のもとでこのまま一生送るかもしれぬ」
「そ、それは」
耳次は驚いた。美濃に帰らぬというのは、自分の解雇《めしはなち》を意味するからである。耳次は美濃侍の庄九郎の家来で、京の山崎屋庄九郎の手代ではなかった。
「耳次は悲しゅうござりまする」
本気なのだ。耳次だけではなく、美濃での道三の家来は、他家に類がないほど、その主人の道三に心服している。
「そう申していた、と日護上人にいえ」
と、庄九郎はいった。むろんこれは本気ではない。しかし、庄九郎は泥棒猫《どろぼうねこ》のようにこそこそと帰れぬではないか。日護上人を通じ、頼芸から、正式に、
「帰ってくれ」
との使者か手紙でも来ぬかぎり、おなじつ《・》ら《・》をさげては帰れぬのである。
「されば」
耳次は正直者だ。すぐ美濃へ馳《は》せ帰って日護上人にその旨《むね》を伝え、むりやりにでも帰っていただくほかはない。
「すぐ美濃へもどりまする」
と、帰って行った。
「吉報でござりまする」
といった。
庄九郎は、お万阿に座をはずさせ、耳次を近《ちこ》う寄らせた。
「申せ」
庄九郎がいうと、耳次ははっと平伏し、
「美濃ではお屋形様のご説得、日護上人のご奔走が功を奏し、もろもろの国衆は在所々々に帰り散りましてござりまする」
といった。
「散ったか」
庄九郎は、鼻毛をぬいた。
耳次の話では、すべて日護上人の働きであったという。上人は、優柔不断な頼芸をはげまし、
——あなた様を、美濃の国主になし奉ったのはかの者ではありませぬか。ここで見捨てては後生《ごしょう》がわるうござりまするぞ。
と、地獄へゆくとおどし、
——もしかの者を失えば。
ともいった。
「やがてはお屋形様も美濃を追われ、弟君にその地位を奪われる憂《うき》目《め》にお遭いなされましょう。古語にもござる、唇亡《クチビルホロ》ンデ歯寒シ、と。お屋形様とかの者とは唇《しん》歯《し》輔《ほ》車《しゃ》の間柄《あいだがら》でござりまする。そのことをおわすれありませぬように」
頼芸もそう思っている。そこで、国衆のおもだつ者どもをよび、日護上人ともども、説得した。
国衆どもは、頼芸よりもむしろ長井一族の出でしかも徳望のある日護上人の言葉に気持を折った。
——上人がそう申されるならばわれわれとしては何もいうことはない。このたびは鉾《ほこ》をおさめよう。
といって、それぞれの領地へ帰ったというのである。
(学友はありがたいものだ)
と、庄九郎は感謝した。
庄九郎は生涯《しょうがい》、日護上人に感謝し、かれが天下の斎藤道三になってから日野、厚《あつ》見《み》の内の二カ村二千石を常在寺に寄進している。
「ひとまず、片づいたわけか」
と、庄九郎は苦笑し、そのはずみに二、三本いちどに鼻毛をぬいてくしゃみをした。
「しばらくは、美濃の国衆も騒ぐまい」
と庄九郎はひとりごとをいった。
余談だが、この時代までの武士は平素は領地の村々にいて、事あれば集まってくる。武士を城下町に集団居住させたのは道三からのことで、それまでは、いざ集まろうと思ってもなかなか容易でなく、団結力や機動力を欠いた。庄九郎のような男が美濃で存分に跳梁《ちょうりょう》できたのは、こういう盲点のおかげであった。
「では、早《さ》速《そく》にご帰国あそばしますか」
「京で遊んでいるわい。久しぶりの都は、意外とよい。ひょっとすると京のお万阿のもとでこのまま一生送るかもしれぬ」
「そ、それは」
耳次は驚いた。美濃に帰らぬというのは、自分の解雇《めしはなち》を意味するからである。耳次は美濃侍の庄九郎の家来で、京の山崎屋庄九郎の手代ではなかった。
「耳次は悲しゅうござりまする」
本気なのだ。耳次だけではなく、美濃での道三の家来は、他家に類がないほど、その主人の道三に心服している。
「そう申していた、と日護上人にいえ」
と、庄九郎はいった。むろんこれは本気ではない。しかし、庄九郎は泥棒猫《どろぼうねこ》のようにこそこそと帰れぬではないか。日護上人を通じ、頼芸から、正式に、
「帰ってくれ」
との使者か手紙でも来ぬかぎり、おなじつ《・》ら《・》をさげては帰れぬのである。
「されば」
耳次は正直者だ。すぐ美濃へ馳《は》せ帰って日護上人にその旨《むね》を伝え、むりやりにでも帰っていただくほかはない。
「すぐ美濃へもどりまする」
と、帰って行った。
それから数日たったある日、稲葉山下に風が吹いた。そのあと、夜に入って滅入《めい》るような陰雨にかわった。
そういう夜にふさわしい。
ここ、山麓《さんろく》の藤左衛門洞《ほら》にある長井屋敷では、いまは亡《な》き美濃小守護藤左衛門の法事がいとなまれている。
導師は、まだ若い。
その若さで、おおぜいの僧を従えて読経《どきょう》をつづけているのはよほど身分のよい出なのであろう。
眉《まゆ》が、けわしい。
眼がするどく、削《そ》ぎたったような頬《ほお》をもち唇が反《そ》っている。一種の美男である。
が、僧として一生を円満に終えられるような顔ではない。
眼を閉じ、ときにくわっとひらき、読経の声も音程がさだまらない。よほど、心中、さだかならぬことがあるのであろう。
白雲和尚《びゃくうんおしょう》。
とよばれていた。
実は藤左衛門の末子である。その経歴はちょっと複雑で、幼いころ、長井家の宗家である斎藤家を継いだ。
継いで斎藤利賢《としかた》と名乗ったが、すでに斎藤家は人が絶えていて、その姓と墓とわずかに残っている田地は故長井藤左衛門と、庄九郎道三の保護者だった長井利隆とが共同であずかっていた。
——どうせ、絶家になっている家だ。家を継ぐよりも僧になってその墓所をまもったほうが斎藤家代々の霊のためには供《く》養《よう》になるのではないか。
という意見が一族のあいだで出、この少年は俗姓斎藤をついだものの、すぐ得《とく》度《ど》出家して臨済禅《りんざいぜん》の本山である大徳寺に入り、数年して帰ってきた。
「悟れた」
というわけではない。とにもかくにも一族で寺を建ててくれたから、その住僧になるべくして帰った。
この美濃では、
「一人出家すれば九族天に生ず」
という信仰習慣があり、たとえば日護上人などもその習慣から僧にさせられ、一族で建てた常在寺の住僧になったのである。余談だが、この習慣はほんの最近まで岐阜県につよく残っており、この県出身の僧侶《そうりょ》が多い。
白雲も、そうであった。斎藤家の菩《ぼ》提《だい》寺《じ》の僧としてまだ若い日をすごしている。
そこへ実家の父藤左衛門が、京からきたあの流れ者に殺された。国衆は騒いでくれたが、結局は頼芸や日護上人になだめすかされ、うやむやになってしまった。
(これも、兄たちが不甲斐《ふがい》ないからだ)
兄がふたりある。ひとりは魯《ろ》鈍《どん》、ひとりは無能力同然で、三十を過ぎても、人前に出ると動《どう》悸《き》が打って座に堪えられぬというこまった体質である。
白雲のみが、武家の子らしかった。
むしろ、らし《・・》すぎた。剣をつかい、棒をつかい、射芸に巧みで、そのいずれもが抜群の若者なのである。
ただ、性格が正常ではない。
またしても余談であるが、この白雲和尚はのちに還俗《げんぞく》して女房《にょうぼう》をもち、子を生んだ。子の名が斎藤利三《としみつ》。のちに庄九郎道三が可愛がった明《あけ》智《ち》光秀の家老になり、その利三の娘が、徳川三代将軍の乳母で、大奥に威勢をふるった春日局《かすがのつぼね》である。つまり、春日局は白雲の孫ということになる。
さて、法師白雲。
眼をひらいた。
すでに読経を中絶してしまっている。
「父上。——」
叫んだ。
「かような読経で、お成仏《じょうぶつ》なされまするや。なさるまい。かの油売りの生首こそ、千僧万僧の経よりも供養になるであろう」
「こ、これ」
と、一族の年寄りどもが白雲のひざもとへ這《は》い寄り、袖《そで》をとらえた。
「経をつづけよ、経を」
「腰ぬけめが」
と、左右をどなり、丁《ちょう》と数珠《じゅず》を投げすて、立ちあがった。
みなが立ちさわぐなかを、雨の庭へとびおり、ツツと走りだしたときには、大刀を小わきにかかえている。
ばさっ
と、庭の椿《つばき》の老樹を真二つに斬《き》り倒し、
「かの者も、いずれかくの如《ごと》し」
そのまま法事の座から導師みずから姿を消した。
京も雨。
それから十日ほども経《た》っている。
夜、庄九郎が僧形のままで読経していると、雨戸がかすかに動いた。
(………?)
夜盗か、と思い、庄九郎は傍《かたわ》らの数珠丸の一刀に手をのばしてわきへ寄せた。
雨戸の外、中庭のあたりをひたひたと歩く足音がするのである。
(足音にしては、おかしいな)
すこし小さすぎるような気がする。
「たれだ。——」
とひくくいってみたがむろん応《こた》えはなく、依然としてひたひたと足音がする。
曲者《くせもの》、と判断した。
「たれかある」
と声を殺して人を呼び、廊下、台所、厠《かわや》、部屋々々にのこらず明りをつけまわるよう命じた。
「なにごとでございます」
とお万阿が起きてきた。
「曲者が忍びこんでいる」
庄九郎がいうと、お万阿はおどろき、亭主の手にすがったが、好奇心だけは旺盛《おうせい》で、
「どこに?」
と顔をあげた。
「中庭にいるらしい。いや、ひょっとすると雨だれの音かも知れぬ。とゆ《・・》でもこわれている場所があるのか」
「いいえ」
かぶりをふる。
そのとき、廊下に灯を点じてまわっていた手代の一人が、何の気もなく雨戸の桟《さん》に手をかけ、からりとひらいた。
「わっ」
と、雨と風と真黒な物体がおどりかかってきて、手代にかみついた。
「犬だ」
庄九郎が叫ぼうとしたとき、臆病者《おくびょうもの》のお万阿が、庄九郎のそばをすりぬけて手代をたすけようとした。お万阿は、自分の少女のころから店に仕えてきている手代たちを、異常なほどに可愛がっている。それが、前後を考える余裕をうしなわせたらしい。
「お万阿、わしがゆく」
庄九郎がいったとき、犬はお万阿ののどぶ《・・・》え《・》をめがけて跳びかかっていた。
お万阿は、長い廊下をばたばたと逃げた。
犬がそれを追う。
庄九郎は刀を抱いたまま、そのお万阿と犬のあとを追った。
そのときである。
影が、忍びこんだのは。
坊主頭を五条袈裟《けさ》で包んで山法師のように両眼だけ出し、腰に大刀をぶちこみ、五体は鎖帷子《くさりかたびら》で包みかためている。
それが、まず手代を刺した。心得ている証拠に、声もたてさせずに殺している。
さらにさらさらと廊下を渡り、庄九郎の背後に近づき、
「やっ」
と、ふりおろした。
一寸《いっすん》、の差で庄九郎は身をかわし、二の太刀を、数珠丸の鞘《さや》ごとで受け、受けたまま抜いて鞘をすて、同時にとびのいた。
「何者ぞ」
「長井藤左衛門の一子、仏門に入って俗縁は断ったけれども子は子じゃ、覚えがあろう」
「たわけっ」
一喝《いっかつ》したが、庄九郎は逃げた。お万阿がそこで犬の下になってあがいている。
救おうとした。
が、それが犬連れの刺客の手である。そういう庄九郎の崩れを、一《ひと》太刀《たち》、二太刀と踏みこみ踏みこみしては、斬ろうとした。
庄九郎は一方で受け、一方で犬を追おうとした。
刺客は、畳みこんできた。
庄九郎は、思いきって、犬とお万阿の上に倒れこんだ。
犬は驚き、庄九郎に噛《か》みついた。
「お万阿逃げろ」
いいながら、自分の血の匂《にお》いを嗅《か》いだ。犬はそのにおいで、ますます狂おしくからみついてくる。
「だ、だんなさま」
お万阿が庄九郎の右にしがみついてくるのを、庄九郎は、
「馬鹿《ばか》っ」
と蹴《け》倒《たお》し、同時に剣をひるがえし、すぱりと犬の首を切りおとした。
そこへ、法師白雲の太刀が殺到した。庄九郎ははじきかえして、大きく踏みこむなり、相手の右肩を斬った。
刃が、はねかえった。
(鎖帷子《きこみ》を着ておるのか)
刀では、役にたたない。
相手が撃ちこんできたのを幸い、つばもとで受け、そのままずず《・・》と寄せて行って、敵の足を踏んだ。
踏むなり、両腕で、どんと押した。
同時に足をはなすと、相手はどっとたおれた。
庄九郎はのしかかって、組んだ。
組むや、左腕を相手ののどに押しあて、
「うむ」
と力を入れると、相手はしばらくもがいていたが、やがて気絶した。
「お万阿、怪我はなかったか」
と抱きおこして体をしらべると、軽いかみ傷がある程度で、たいしたことはなさそうであった。
「病み犬かもしれぬ」
と思い、その場でお万阿を裸にし、焼酎《しょうちゅう》をもって来させて、お万阿の傷口をあらった。
酒が滲《し》み、傷口が鳴りひびくように痛い。お万阿は気をうしなってしまった。
あとはあぶら薬を塗り、杉丸以下の手代に寝室へ運ぶように命じた。
「旦《だん》那《な》様のそのお傷は?」
と、杉丸はおろおろしていった。庄九郎の両腕の噛み傷から血がしたたっている。
「おれはよいわ。これしきの傷から病毒が入るようなおれではない」
と笑いすてて、法師に近づいた。
手燭《てしょく》をかざした。
「よい、面魂《つらだましい》をしている」
庄九郎は、若いたくましい男の顔をみるのが好きである。まるで美術品でも見かざすようにして鑑賞しながら、
「あの阿呆《うつけ》の藤左衛門にこれほどの子があったのか」
と、むしろ楽しげであった。
「杉丸、みなでこの男を裸にし、顔、手足をぬぐい、ありあわせのものなど着せ、手足だけは縛ってわしの居間にほうりこんでおけ」
と命じた。
ついで、死んだ手代の供養である。
庄九郎は自分の手で体を浄《きよ》めてやり、人をよんで湯《ゆ》灌《かん》をさせ、棺におさめ、僧を呼んでその夜は通夜をした。
みな感激し、杉丸などは、
「旦那様、ありがとうございます、ありがとうございます」
と何度もはなみずをすすりあげた。庄九郎は、べつに演技ではない。
この男の美質といっていい。卑《ひ》賤《せん》のあがりだけに、自分のまわりの者を愛する点では、美濃あたりの村落貴族化した国衆どもの比ではない。
「御料人様のために医者をよびましょうか」
と杉丸がいった。
なんといってもこの山崎屋では、お万阿が中心なのである。
(万一のことがあっては、わしどもはどうしよう)
と杉丸は、まるで血の気はなかった。
「よい」
庄九郎はいった。
「わしに心得がある。看病はわしがする」
そういうことで、夜があけた。
ところが。
庄九郎の運命をふたたび変える事態が、美濃でおこった。
美濃へ、尾張の織田信秀が大軍をひきいて攻めこんできたというのである。
美濃勢は、随所に敗《ま》けているらしい。
その変報をもたらしたのは、手代の通夜のあけた朝であった。
耳次がもたらした。