疾風のように美濃へ舞いもどった庄九郎は白雲とただ二騎、自分の城である加納城に入った。
「あっ、殿様」
と大手門の番士が槍《やり》を投げすてて地にひざまずき、面《おもて》をおおって哭《な》きだしたのは、同行した法師白雲にとって目に痛いほどの印象であった。
(この男は、これほどまでに家来の信望を得ておるのか)
が、番士の泣き崩れはむりもない。
城主みずから雲がくれした城など、聞いたこともないはなしなのだ。
そのため、主に捨てられた家来どもは国中の侮辱を受け、ずいぶんと肩身がせまかったらしい。
(われら美濃がいやで、京にお帰りなされたのか)
(雲水におなり遊ばして、旅の空にござるとやら)
などと、城内ではさまざまに取り沙汰《ざた》したが、家老株の赤兵衛がかろうじて統制していままで城を保ってきた。
みな、つらかったらしい。
なぜならば、土岐頼芸のいる美濃の府城川手では、国中の年寄連があつまり、
——かの者、逐電《ちくでん》と認め、加納城には他の城主をお入れなされては如何《いかに》。
という議論が多かったのである。
そういう議論をあくまでおさえて、
「いずれ、帰る」
と強硬に主張してきてくれたのは、明智城の城主明智頼高である。
頼高の庄九郎への友《ゆう》誼《ぎ》によるものだが、通りいっぺんな気持ではなく、異常なほどにかれは庄九郎という男に惹《ひ》かれている。
——それほどにいうなら、いますこし、様子をみてみよう。
ということで、城はそのままに捨ておかれていた。
そこへ、尾張勢が国境の木曾《きそ》川《がわ》を渡って乱入したのである。
「加納城を、あのまま主《ぬし》無くして捨てておいては尾張者がそれを攻めとり、美濃侵略の拠点にするかもしれない」
という懸《け》念《ねん》があった。
事実あぶない。
尾張国境にいちばん近い城は、川手の府城と加納城だからである。
そこへ、庄九郎が帰ってきた。
番士でさえ、泣き崩れるのも当然なことであったろう。
しかも。
城の内外の者が目をまるくしたのは、仇とねらって庄九郎を討ちに行ったはずの法師白雲を連れて帰ったことである。
(どうまるめこんだのやら)
庄九郎のやることは魔術《げどう》めいている、とみな思った。
庄九郎は大広間に入るなり、おもだつ家来に法師白雲をひきあわせ、すぐ、
「合戦はどうなっている」
とたずねた。赤兵衛らがそれぞれ言上したが、庄九郎はどの報告もにがい顔できいた。
(間違っておる)
とどなりたいくらいだ。どうせ国境付近を見に行った者もいないらしく、報告に実感がないのである。
「城に、ありったけの旗、のぼりを樹《た》てよ」
と命じた。
早速、城壁にすきまもなく旗やのぼりが押したてられ、それが早春の風にさわやかにひるがえった。城が、戦闘態勢をとった、というしるしであった。
「白雲殿」
と庄九郎はいった。
「甲冑《かっちゅう》を着なされ。采《さい》もお持ちねがう。わしはこの城を二日ほど留守にするゆえ、それまでに敵が寄せたら、城将として防がれたい」
「そこもとは、どうなさるのだ」
と白雲は、庄九郎の行動の見当がつかない。
「守護職のもとに伺《し》候《こう》なさるのか」
「いやいや、左様な悠長《ゆうちょう》なことは、敵を攘《う》ちくだいてからのことじゃ」
そういって庄九郎は城を出、二日間、すがたをくらました。
草刈り男に身をやつし、国境付近をつぶさに踏査した。
その結果、織田信秀の率いる尾張勢が侵入した、というのは誇大に伝わったうわさで、ありようは、尾張の野武士連中が、木曾川を渡って美濃の村々の貯蔵米を掠奪《りゃくだつ》してしまっているのである。
ただ、数が多い。
千人はいる。その軍の進退もじつに巧妙で表面野武士をつかい、じつは指揮は織田家の歴とした武士がとっているらしい。
(背後には、織田信秀がいる)
とみた。
目的は、単に兵糧掠《ひょうろうかす》めか。それとも美濃を疲弊させようとしているのか。あるいは、美濃に挑戦《ちょうせん》して合戦にもってゆこうとしているのか。
わからない。
意図は謎《なぞ》とはいえ、合戦は滅法強く、近在の美濃の地侍が小部隊ずつ掃蕩《そうとう》に出ても、苦もなく打ち破られてしまう。
敗報しきり、と京で耳次からきいたのは、それである。
(とにかく)
と庄九郎は見さだめた。背後に織田信秀がいるにせよ、おらぬにせよ、前面の敵は草賊である。
その砦《とりで》、砦も庄九郎はその目で十分に偵察《ていさつ》し、なに食わぬ顔で帰城した。
その夜、白雲に秘策をさずけ、かつ兵百を与えて、最も手薄そうな野武士の巣の一つを襲わせた。
白雲は猛気のかたまりのような男だ。味方の死傷をかえりみずに、わっと寄せて行って力押しに攻めとってしまった。
庄九郎の秘策どおりに、退《ひ》かずにそのまま砦に居すわり、夜はおびただしく篝火《かがりび》を焚《た》き、昼は自分の定紋を染めたのぼり《・・・》を樹てて気勢をあげた。
だけではなく、討取った野武士二十人の首を木曾川の河原にさらし、目鼻を尾張の方角に向けた。
付近の村々に巣を作っている野武士はこれをみて大いに怒り、どっと押しよせた。
白雲の砦は、背後を木曾川にのぞむ小さな丘の上にある。
丘まで、道はひとすじしかないが、尾張の野武士はその一筋道を、矢を射られようが石を投げられようが、面《おもて》もふらずに押し寄せてきた。
「防げえっ」
と白雲は、土塁の上を駈けまわって必死の指揮をするが、なるほど、たびたび美濃衆を打ち破ってきただけあって、尾張の野武士は、
(これが草賊か)
とあきれるほどに手《て》強《ごわ》い。
ともすれば、土塁に鉤《かぎ》を投げてはいのぼろうとした。
白雲は、士卒をはげましつつ、みずから槍をふるって突き伏せ突き伏せするが、敵はいよいよ勇奮して登って来ようとする。
ところが。
約束の庄九郎の部隊はあらわれないのである。
庄九郎が授けた策というのは白雲がその砦でオトリになることであった。敵を引き寄せ十分に引き寄せたときに、庄九郎が兵を提《ひっさ》げて駈けつけ、背後から包囲し、白雲隊、庄九郎隊で挟《はさ》み撃ちにしてみなごろしにしてしまうという作戦であった。
が、来ない。
(あの男。——)
と白雲は壁塁を駈けまわりながら、歯咬《はが》みしておもった。
(はかりおったなっ)
ここで白雲を野武士に殺させてしまう。手をかけずに返り討にすることができるのだ。
丘に、松が密生している。通称松山、という地名で、どちらかといえば守るに不適当なところだ。寄せ手は、そのあたりの松という松にそれぞれ身をかくしその幹を楯《たて》にし、矢を射放しつつじりじりと寄せてくる。
白雲は、全身、返り血で真赤になりながら駈けては突き伏せ、突き伏せては駈けた。息がようやく切れてきた。
「あっ、殿様」
と大手門の番士が槍《やり》を投げすてて地にひざまずき、面《おもて》をおおって哭《な》きだしたのは、同行した法師白雲にとって目に痛いほどの印象であった。
(この男は、これほどまでに家来の信望を得ておるのか)
が、番士の泣き崩れはむりもない。
城主みずから雲がくれした城など、聞いたこともないはなしなのだ。
そのため、主に捨てられた家来どもは国中の侮辱を受け、ずいぶんと肩身がせまかったらしい。
(われら美濃がいやで、京にお帰りなされたのか)
(雲水におなり遊ばして、旅の空にござるとやら)
などと、城内ではさまざまに取り沙汰《ざた》したが、家老株の赤兵衛がかろうじて統制していままで城を保ってきた。
みな、つらかったらしい。
なぜならば、土岐頼芸のいる美濃の府城川手では、国中の年寄連があつまり、
——かの者、逐電《ちくでん》と認め、加納城には他の城主をお入れなされては如何《いかに》。
という議論が多かったのである。
そういう議論をあくまでおさえて、
「いずれ、帰る」
と強硬に主張してきてくれたのは、明智城の城主明智頼高である。
頼高の庄九郎への友《ゆう》誼《ぎ》によるものだが、通りいっぺんな気持ではなく、異常なほどにかれは庄九郎という男に惹《ひ》かれている。
——それほどにいうなら、いますこし、様子をみてみよう。
ということで、城はそのままに捨ておかれていた。
そこへ、尾張勢が国境の木曾《きそ》川《がわ》を渡って乱入したのである。
「加納城を、あのまま主《ぬし》無くして捨てておいては尾張者がそれを攻めとり、美濃侵略の拠点にするかもしれない」
という懸《け》念《ねん》があった。
事実あぶない。
尾張国境にいちばん近い城は、川手の府城と加納城だからである。
そこへ、庄九郎が帰ってきた。
番士でさえ、泣き崩れるのも当然なことであったろう。
しかも。
城の内外の者が目をまるくしたのは、仇とねらって庄九郎を討ちに行ったはずの法師白雲を連れて帰ったことである。
(どうまるめこんだのやら)
庄九郎のやることは魔術《げどう》めいている、とみな思った。
庄九郎は大広間に入るなり、おもだつ家来に法師白雲をひきあわせ、すぐ、
「合戦はどうなっている」
とたずねた。赤兵衛らがそれぞれ言上したが、庄九郎はどの報告もにがい顔できいた。
(間違っておる)
とどなりたいくらいだ。どうせ国境付近を見に行った者もいないらしく、報告に実感がないのである。
「城に、ありったけの旗、のぼりを樹《た》てよ」
と命じた。
早速、城壁にすきまもなく旗やのぼりが押したてられ、それが早春の風にさわやかにひるがえった。城が、戦闘態勢をとった、というしるしであった。
「白雲殿」
と庄九郎はいった。
「甲冑《かっちゅう》を着なされ。采《さい》もお持ちねがう。わしはこの城を二日ほど留守にするゆえ、それまでに敵が寄せたら、城将として防がれたい」
「そこもとは、どうなさるのだ」
と白雲は、庄九郎の行動の見当がつかない。
「守護職のもとに伺《し》候《こう》なさるのか」
「いやいや、左様な悠長《ゆうちょう》なことは、敵を攘《う》ちくだいてからのことじゃ」
そういって庄九郎は城を出、二日間、すがたをくらました。
草刈り男に身をやつし、国境付近をつぶさに踏査した。
その結果、織田信秀の率いる尾張勢が侵入した、というのは誇大に伝わったうわさで、ありようは、尾張の野武士連中が、木曾川を渡って美濃の村々の貯蔵米を掠奪《りゃくだつ》してしまっているのである。
ただ、数が多い。
千人はいる。その軍の進退もじつに巧妙で表面野武士をつかい、じつは指揮は織田家の歴とした武士がとっているらしい。
(背後には、織田信秀がいる)
とみた。
目的は、単に兵糧掠《ひょうろうかす》めか。それとも美濃を疲弊させようとしているのか。あるいは、美濃に挑戦《ちょうせん》して合戦にもってゆこうとしているのか。
わからない。
意図は謎《なぞ》とはいえ、合戦は滅法強く、近在の美濃の地侍が小部隊ずつ掃蕩《そうとう》に出ても、苦もなく打ち破られてしまう。
敗報しきり、と京で耳次からきいたのは、それである。
(とにかく)
と庄九郎は見さだめた。背後に織田信秀がいるにせよ、おらぬにせよ、前面の敵は草賊である。
その砦《とりで》、砦も庄九郎はその目で十分に偵察《ていさつ》し、なに食わぬ顔で帰城した。
その夜、白雲に秘策をさずけ、かつ兵百を与えて、最も手薄そうな野武士の巣の一つを襲わせた。
白雲は猛気のかたまりのような男だ。味方の死傷をかえりみずに、わっと寄せて行って力押しに攻めとってしまった。
庄九郎の秘策どおりに、退《ひ》かずにそのまま砦に居すわり、夜はおびただしく篝火《かがりび》を焚《た》き、昼は自分の定紋を染めたのぼり《・・・》を樹てて気勢をあげた。
だけではなく、討取った野武士二十人の首を木曾川の河原にさらし、目鼻を尾張の方角に向けた。
付近の村々に巣を作っている野武士はこれをみて大いに怒り、どっと押しよせた。
白雲の砦は、背後を木曾川にのぞむ小さな丘の上にある。
丘まで、道はひとすじしかないが、尾張の野武士はその一筋道を、矢を射られようが石を投げられようが、面《おもて》もふらずに押し寄せてきた。
「防げえっ」
と白雲は、土塁の上を駈けまわって必死の指揮をするが、なるほど、たびたび美濃衆を打ち破ってきただけあって、尾張の野武士は、
(これが草賊か)
とあきれるほどに手《て》強《ごわ》い。
ともすれば、土塁に鉤《かぎ》を投げてはいのぼろうとした。
白雲は、士卒をはげましつつ、みずから槍をふるって突き伏せ突き伏せするが、敵はいよいよ勇奮して登って来ようとする。
ところが。
約束の庄九郎の部隊はあらわれないのである。
庄九郎が授けた策というのは白雲がその砦でオトリになることであった。敵を引き寄せ十分に引き寄せたときに、庄九郎が兵を提《ひっさ》げて駈けつけ、背後から包囲し、白雲隊、庄九郎隊で挟《はさ》み撃ちにしてみなごろしにしてしまうという作戦であった。
が、来ない。
(あの男。——)
と白雲は壁塁を駈けまわりながら、歯咬《はが》みしておもった。
(はかりおったなっ)
ここで白雲を野武士に殺させてしまう。手をかけずに返り討にすることができるのだ。
丘に、松が密生している。通称松山、という地名で、どちらかといえば守るに不適当なところだ。寄せ手は、そのあたりの松という松にそれぞれ身をかくしその幹を楯《たて》にし、矢を射放しつつじりじりと寄せてくる。
白雲は、全身、返り血で真赤になりながら駈けては突き伏せ、突き伏せては駈けた。息がようやく切れてきた。
庄九郎は、まだ加納城内にいる。すでに具足に身を固めていた。
白雲を、裏切るつもりはなかった。こういう約束にかけては生涯《しょうがい》物堅かった男で、絶対といえるほど破ったことはない。
(将になるほどの者は、心得があるとすれば信の一字だけだ)
約束したことは破らぬ、という信用だけが人を寄せ、次第に心をよせる者が多くなり、ついには大事が成就《じょうじゅ》できると思っている。
ただ庄九郎には人数が足りない。白雲に百人を割《さ》いたために、百人しかいなかった。
そのために、明智郷と可児《かに》郷に使いを走らせ、明智頼高と可児権蔵から人数を借りようとしたのである。それが、まだ来ない。
陽《ひ》が老い、傾き、もう一刻《とき》もすれば落ちるであろう。
夜になれば、寄せ手の有利で、庄九郎の作戦の挟み撃ちも、きかなくなるのである。
「赤兵衛、まだかえ」
庄九郎は、湯漬《ゆづ》けを掻《か》きこみながらいった。
「まだのようでございますな」
「遅ければ、白雲は死ぬえ」
と語尾をあげ、眉《まゆ》をひそめた。
「死ねば、殿にとって目ざわりが無《の》うてよろしゅうございましょう」
「そうはいかぬ」
庄九郎は、香の物をがりっと噛《か》んだ。
「借りる人数が来ねば、わが身を捨てる覚悟で勝敗を考えず、手勢だけで急行する」
「へーえ」
赤兵衛は、首をふった。
「わしらのような下司下《げすげ》根《こん》とはちがいまするな」
「人間、大をなすにはなにが肝要であるかを知っているか」
「存じませぬな」
「義だ。孟《もう》子《し》にある。孟子が百年をへだてて私淑していた孔《こう》子《し》は、仁《じん》だといった。ところが末法乱世の世に、仁など持ちあわせている人間はなく、あったところで生まれつきのお人好しだけだろう。そこで孟子は、義といういわばたれでも真似《まね》のできる戦国むきの道徳を提唱した。孟子の時代といまの日本とは、鏡で映したほどに似ている」
「孔子孟子というのは、唐《とう》土《ど》で聖賢の道を説かれた人でございますな」
「そうだ」
と、庄九郎は、湯漬けをかきこむ。
「すると、旦那様は聖人の道を歩こうとなさるので」
「そのとおりだ」
庄九郎は、香の物を口に入れた。
事実、庄九郎はそのつもりでいる。古《いにしえ》の聖賢も、庄九郎の立場でこの乱国にきたならば奸雄《かんゆう》の道をとったであろう。あらゆる手段をつくして乱国を一手におさめ、あたらしい秩序の国家をつくり、自分の理想とする政治を布《し》いたにちがいない。
庄九郎は、聖賢の道を理想とし、現実の克服には奸謀を用いようとしている。ところが奸謀は、単に奸謀であっては人がついてこない。そのために、
「義」
「信」
をこの男は、自分に課した「道徳」にしているらしい。
「来ぬか」
と庄九郎は立ちあがって兜《かぶと》をかぶった。
「出陣の太鼓を打て、馬を曳《ひ》け」
そう命じてから、赤兵衛に、
「そちは残れ。明智、可児の兵が来れば、明智殿にはこの城を守ってもらい、可児権蔵にはすぐ後詰《ごづ》め(予備隊)として駈けつけてきてくれるように頼め」
「へっ、かしこまりましたが、するとおおせのごとくであれば、この加納城を空っぽにしてお出かけあそばすのでございますか」
「そち一人が残る。鼠《ねずみ》にひかれるな」
庄九郎は玄関をとびだし、大手門の内側で馬に乗り、
「開門」
と叫んで鞭《むち》をあげた。
どっと百余人が真黒のかたまりになって飛び出し、木曾川畔の松山をめざして駈けた。
みちみち、
「相手は野武士といえども、命を惜しむな」
と叫び、
「強力《ごうりき》の怯者《きょうしゃ》は、非力の勇者に劣る。城を出たときにすでに死者になったるものと思え。死勇をふるう者ほど世に強い者はないぞ」
と叫んだ。庄九郎の兵はかならずしも合戦馴《な》れはしていない。教育している。死にむかって駈けてゆく途中の教育ほど、骨身に沁《し》みるものはない。
さらに十町ほど駈けたあたりで、
「相手は千人ぞ」
とおそるべき敵軍の数量を報《し》らせた。
「が、このわしの下知のとおりに戦えばかならず勝つと思え」
「さらには」
と庄九郎は叫んだ。
「野武士の首といえども恩賞はとらすぞ。財宝でとらすぞ」
そういったのは、野武士を攻め殺したところで、相手に土地はない。土地の分け前を恩賞として、普通ならもらえないのである。ひとつはそのために、正規兵が野武士や一《いっ》揆《き》を退治する場合に武威がふるわず、美濃だけでなくどの国でもしばしばかれらに負けるのだ。
が、庄九郎には、京の山崎屋という汲《く》めども尽きぬ富の泉がある。金銀や高価な織物をもって恩賞とする能力をもっている。
兵はみな勇奮した。やがて前方に、
きらっ、
と夕陽が反射した。
近い。映えたのは木曾川の流れである。たちまち、野武士が包囲している松山に迫った。
「弓組、前へ。長《なが》柄《え》組はそれにつづけ。騎馬の者も、半弓《はんきゅう》を鞍《くら》からはずせ」
と駈けながら口ばやに部署し、指図した。
鉄砲は、ない。この天下統一のためにすさまじい威力を発揮した火器は、庄九郎の中年以後に日本に渡来して来、その後は、庄九郎をもふくめて世の武将は戦国後期の史的段階に入るのだが、この物語のこの時期は、弓矢時代の最後のころといっていいだろう。
庄九郎の軍隊だけは、この当時、妙な馬上戦法をもっていた。騎乗武士が、みな鞍壺《くらつぼ》に半弓をくくりつけているのである。
槍を入れる前に、半弓に矢をつがえる。ひ《・》ょう《・・》と射放してから、槍を入れる。
「喚《わめ》けえっ」
と、庄九郎は馬上で命じ、槍をとりなおした。
太鼓、陣貝、武者押しの声が草木がふるえるほどに響きわたり、その大音響を割って弓組が進出し、斜面にとりつき、さしつめ引きつめしてたちまち五十余人を斃《たお》して退《ひ》きさがり、同時に長柄組が突撃した。
長柄組のあとから、騎馬隊がゆく。庄九郎の「二頭波頭」を染めぬいた旗はその群れのなかにある。
一方、山上では、法師白雲が、兜の目庇《まびさし》をあげて、援軍と庄九郎の旗をみた。
「あざむかざりしか」
と土塁の上で、雀躍《こおど》りした。
「わがほうも、陣貝を吹け、太鼓を打て、急調子に打て」
形勢は、一変した。
野武士団は挟み撃ちされるのをきらい、当然ながら山上に背をむけ、麓《ふもと》の庄九郎隊にむかって坂をころがり落ちるようにして突撃を開始した。
その集団が半ば麓におりたときを見はからい、庄九郎はふたたび、弓組、長柄組、騎馬隊の半弓、というぐあいに手順よく繰りかえして相手にすこしずつ打撃をあたえ、やがて、
「われに続け」
と流星のように一騎突出し、敵群のなかに突き入って得意の槍をつかいはじめた。
そこへ白雲の隊が、どっと逆落《さかおと》しに敵の背後を突いたから、野武士群はささえきれずにあちらの田、こちらの竹藪《たけやぶ》、河原《かわら》などへ四散しはじめた。
崩れた、となると野武士の群れほど弱いものはない。泣きながら逃げまどっているのもあり、素早いのは河を渡って尾張領へ逃げはじめた。
庄九郎、白雲は、それらをあちこちに追いつめ、悪《あっ》鬼羅《きら》刹《せつ》のように刀槍をふるった。
陽が落ちるころ、戦いはおわった。
庄九郎は河原で首実検をおこない、ことごとく首帳に記せしめた。
その数、六百七十。
それを尾張領からよく見えるように河原に梟《さら》し、兵馬をまとめ、一気に駈けて加納城にもどった。
この戦闘と勝利の評判ほど、庄九郎のその後の美濃国内での活躍に利したことはない。
「海内《かいだい》一の勇将」
という評判は、美濃一国の郷々、村々で鳴りひびいてしまった。
おそらく、庄九郎の中年すぎまでの好敵手になった尾張の織田信秀の耳にも痛いほどに入ったであろう。
もはや、
「油屋」
などと蔑《さげす》む者はいなくなった。
この戦勝の翌日、川手の府城へ登城し、頼芸に拝謁《はいえつ》、報告している。
小見《おみ》の方《かた》
女が熟しはじめている。
庄九郎の手で明智郷から連れて来られ、この加納城の一隅《いちぐう》で育ち、城主の庄九郎が曲芸のような生活を送っているうちに、彼女はほのぼのと熟《う》れたのである。
明智氏の娘、那那姫であった。
(……もはや)
�《も》ぎどきではないか。と庄九郎はおもったのであろう。
庄九郎はかねてからこの美濃の名族の娘を手活《てい》けにして育て、ゆくゆくはこれを妻にし、那那姫の出身氏族である明智一族を無二の味方にしたい、そう考えていた。
その遠謀が、実を結ぶときがきた。那那姫を自分の邸内に移し植えたときはまだ苗木にすぎなかったものが、いまは茎がのび、蕾《つぼみ》をふくらませ、その蕾が露をふくんであすにも花をひらこうとしている。
庄九郎は念のために明智頼高をはじめその一族の重だった者に諒解《りょうかい》をえた。正室にしてくれるならば願ってもなきこと、という色よい返事であった。
が。——
納得させねばならぬものが、身近にいる。
深《み》芳《よし》野《の》である。
庄九郎は、かつて主君頼芸《よりよし》の妾《めかけ》であった深芳野を、頼芸の手からさらうようにして得た。それほどにして得た深芳野に対し、まだ「正妻」の位置をあたえていないのである。
「殿御は、おなごを得てしまえば、そのおなごをどうあつかってもかまわぬものでございましょうか」
と、ある夜、深芳野は臥《ふし》床《ど》のなかで怨《うら》みごとをいったことがある。
「そなたを二なきものと思っている」とそのとき庄九郎は答えた。「さればこそ夜《よ》毎《ごと》に愛《め》でているではないか」
「からだだけを」
愛でている。深芳野はそう怨みたかったがこの天性、自分を主張することのない女は、ついに言葉に出してはいわなかった。
深芳野には子がいる。庄九郎の子であるかどうか。深芳野が、頼芸のもとから離されて庄九郎のもとに来たとき、すでに胎内にあった子である。
「あの男には」
と、頼芸は、深芳野を離すとき、ひそかに彼女にささやいた。
「秘めて云《い》うな。その胎内の子はあの男の子であるがごとく、生め」
やがて男児が出生した、ことはすでにのべた。幼名は吉祥丸。
それが、いまでは四つになる。
庄九郎の世継ぎたるべき子であった。かれはこの子を溺愛《できあい》した。
眼の大きすぎる子で、顔のどの部分も、庄九郎の異相には似ていない。どころか、どうかした拍子に、実父である美濃の守護職とそっくりな表情をした。しかし庄九郎は気づかぬのか、それとも気づかぬふりをしているのか、そういう疑問を深芳野に対しても、たれに対しても、口外したことがなかった。
(あれほど慧敏《さと》いお人なのだ)
と深芳野は、底知れぬ庄九郎の肚《はら》の中をおそれた。
(きっと気づいていらっしゃるにちがいない。知らぬ顔であのようにわが子として振舞っておわす)
家来どもも噂《うわさ》しているらしい。吉祥丸、のちの斎藤義竜《よしたつ》が庄九郎の子ではないことは、たれの目にもわかった。
第一、吉祥丸は、深芳野が庄九郎のもとに来てたった七カ月目にうまれているのである。世間にそういう早生児はあるであろう。しかし早生児ならば小さいはずだ。ところが吉祥丸は、並はずれて大きい嬰《えい》児《じ》であったし、いまも七、八歳にみえるほどに手足が発育している。
たれがみても、庄九郎の子ではない。
ところが庄九郎だけは、
「わしの子だ」
という顔をしているのである。深芳野にはそれがかえっておそろしかった。
庄九郎は沈黙している。
四年間もそれについて沈黙しつづけたあと、ある夜、そのことよりももっとおそろしいことを、熱っぽい愛《あい》撫《ぶ》のあとでいったのである。
「深芳野」
と、その夜、庄九郎は深芳野の体をなお抱きながらささやいたものであった。
「吉祥丸の母を、もうひとり加えてもかまわぬな」
えっ、と深芳野がおどろいたのも、むりはなかったであろう。
「頼む」
と庄九郎はいった。
「恋しいおなごがいる」
庄九郎は、その恋しいおなご《・・・・・・》が深芳野であるかのように、彼女の髪をなでた。
「恋しいのだ」
「あの」
と深芳野は、やっと息を吐いた。
「それはどなたでございます」
「那那姫よ」と庄九郎はいった。さらに「深芳野」と呼び、庄九郎は髪をなでつづける。
「わしの恋を遂げさせてはくれぬか」
「ご勝手になされませ」
と、深芳野は掻巻《かいまき》をひっぱって顔をおおった。
「そう申すな。わしは、欲しい、とおもえば矢もたて《・・》もたまらぬ男だ。そなたをほしい、と思ったときもこうであった。わしはどうやら、慾が人の倍もつよいらしい」
「いいえ、百倍も」
深芳野は、泣きはじめている。
「百倍も、とはなんだ」
「ご慾が」
「強い、と申すのか。そう思ってくれればよい。そなたはわしをよく理解してくれている」
と、庄九郎は心からほめてやった。
(ばかにしている)
と深芳野は、おもったかどうか。ただひたすらに泣いている。
「泣いてくれるな」
庄九郎は、いい気なものであった。深芳野の髪を撫《な》でつづけている。
「わしは慾つよく生まれついた。体も、人の三、四倍は強靱《きょうじん》である。意思《こころ》も力も人の数倍はつよく、智恵も、人が十人額を集めてもわからぬことを一瞬に解くことができる。しかしながら深芳野よ」
庄九郎は、深芳野の恥所に触れた。べつに意味あっての行為ではない。癖である。
「そういうわしでも、寿命だけはひととおなじ五十年だ」
これだけは、庄九郎の力をもってしてもどうにもならぬというわけであろう。
「五十年」
不公平ではないか、と庄九郎は天をも恨みたいほどである。天は、庄九郎という男に、常人の数倍の能力を持たせて生みつけておきながら、定命《じょうみょう》が経《た》つと、愚夫と同様、平等にその生命をうばってしまう。
「わしのような男は」
と庄九郎はいった。
「おなじ五十年のあいだに、ひとの十人分ぐらいの人生を送らねば、精気が体内に鬱屈《うっくつ》しついには黒煙りを吐き、狂い死にしてしまう。そなたも存じているとおり、わしは京に妻がいる。わしが将軍になるのを待ち望んでいる。名はお万阿《まあ》という」
「存じております」
「可愛《かわい》い女だ」
と、庄九郎は心からいった。
「しかしそなたも可愛い。常人ならば、二人の女をもてば自然、愛に濃淡ができ、ときには一人を愛し、一人を憎悪するようになる。しかしわしはそうではない。お万阿も深芳野も同じように濃く、同じように深く、同じように初々《ういうい》しい恋心をもって愛している。深芳野、そうであろう。そなたは、わが心とわが体をよく知っているはずだ」
「…………」
深芳野は、泣きつづけるしか、自分を表現することができない。
「愛している」
庄九郎は、闇《やみ》のなかでぎょろりと目をむいた。天地神明に誓っても、深芳野を、常人一人分の心と体をもって愛していることは、まぎれもない。お万阿に対しても、同然である。
「ただ」
と庄九郎はいった。
「もう一人、愛することができる」
断固と、虚《こ》空《くう》の神仏に対していい放つような語気である。
深芳野は、泣くことをやめた。なにやら、この男を相手に泣いていることが、ばかばかしくなってきたのである。
(世には、こういう男もいるのだ)
掻巻《かいまき》のえり《・・》口から眼を出し、あらためて庄九郎を見た。むろん暗くてわからないが、顔の輪郭だけは窺《うかが》える。奇相である。なにやら、はじめて接する生きもののような想《おも》いがして、深芳野は不意に可笑《おか》しさがこみあげてきた。
「おや、笑っておるのか」
庄九郎は、深芳野の腹あたりに手をおいた。ふくふくと動いている。
「笑ってなどはおりませぬ」
(おなごとはふしぎなものだ。泣いているか笑っているか、どちらかしかない)
庄九郎は、深芳野の腹をおさえつづけている。掌《て》につたわってくる痙攣《けいれん》が、なまめいて好もしい。
不意に、いま一人分の情念がこみあげてきた。たったいま、一人分の情念を消費したくせに、また湧《わ》きおこってきたのである。なるほど、この男は一人で何人分かの人生をしているのであろう。
「深芳野、わしは満ちてきたわい」
と、その細い腰のくびれを掌《てのひら》ですくい、掻《か》きよせようとした。
「い、いやでございます」
「無用の我意はたてぬことよ」
と、庄九郎の掌はすでに指に化して、深芳野の股《こ》間《かん》をさぐっている。
「いや」
身をよじらせたが、身が濡《ぬ》れはじめた。それでもなおもがいた。もがいている深芳野の運動の芯《しん》を、庄九郎の指がたくみにおさえている。その庄九郎の指を中心に、深芳野は所《しょ》詮《せん》は舞っているようなものであった。舞いが、やがて哀《かな》しいほどにこころよいものに変じた。
「淫《いん》婦《ぷ》。——」
と、深芳野は小さく叫んで自分を責めた。
「淫婦ではない」
庄九郎は、低くいった。なぐさめているのではない。男と女の論理とは、所詮はこういう甘美なうやむや《・・・・》のなかにあるのだ。それでこそ尊い、という意味のことを、庄九郎は、この男独特の抑揚のある言葉つきでささやいた。
庄九郎の手で明智郷から連れて来られ、この加納城の一隅《いちぐう》で育ち、城主の庄九郎が曲芸のような生活を送っているうちに、彼女はほのぼのと熟《う》れたのである。
明智氏の娘、那那姫であった。
(……もはや)
�《も》ぎどきではないか。と庄九郎はおもったのであろう。
庄九郎はかねてからこの美濃の名族の娘を手活《てい》けにして育て、ゆくゆくはこれを妻にし、那那姫の出身氏族である明智一族を無二の味方にしたい、そう考えていた。
その遠謀が、実を結ぶときがきた。那那姫を自分の邸内に移し植えたときはまだ苗木にすぎなかったものが、いまは茎がのび、蕾《つぼみ》をふくらませ、その蕾が露をふくんであすにも花をひらこうとしている。
庄九郎は念のために明智頼高をはじめその一族の重だった者に諒解《りょうかい》をえた。正室にしてくれるならば願ってもなきこと、という色よい返事であった。
が。——
納得させねばならぬものが、身近にいる。
深《み》芳《よし》野《の》である。
庄九郎は、かつて主君頼芸《よりよし》の妾《めかけ》であった深芳野を、頼芸の手からさらうようにして得た。それほどにして得た深芳野に対し、まだ「正妻」の位置をあたえていないのである。
「殿御は、おなごを得てしまえば、そのおなごをどうあつかってもかまわぬものでございましょうか」
と、ある夜、深芳野は臥《ふし》床《ど》のなかで怨《うら》みごとをいったことがある。
「そなたを二なきものと思っている」とそのとき庄九郎は答えた。「さればこそ夜《よ》毎《ごと》に愛《め》でているではないか」
「からだだけを」
愛でている。深芳野はそう怨みたかったがこの天性、自分を主張することのない女は、ついに言葉に出してはいわなかった。
深芳野には子がいる。庄九郎の子であるかどうか。深芳野が、頼芸のもとから離されて庄九郎のもとに来たとき、すでに胎内にあった子である。
「あの男には」
と、頼芸は、深芳野を離すとき、ひそかに彼女にささやいた。
「秘めて云《い》うな。その胎内の子はあの男の子であるがごとく、生め」
やがて男児が出生した、ことはすでにのべた。幼名は吉祥丸。
それが、いまでは四つになる。
庄九郎の世継ぎたるべき子であった。かれはこの子を溺愛《できあい》した。
眼の大きすぎる子で、顔のどの部分も、庄九郎の異相には似ていない。どころか、どうかした拍子に、実父である美濃の守護職とそっくりな表情をした。しかし庄九郎は気づかぬのか、それとも気づかぬふりをしているのか、そういう疑問を深芳野に対しても、たれに対しても、口外したことがなかった。
(あれほど慧敏《さと》いお人なのだ)
と深芳野は、底知れぬ庄九郎の肚《はら》の中をおそれた。
(きっと気づいていらっしゃるにちがいない。知らぬ顔であのようにわが子として振舞っておわす)
家来どもも噂《うわさ》しているらしい。吉祥丸、のちの斎藤義竜《よしたつ》が庄九郎の子ではないことは、たれの目にもわかった。
第一、吉祥丸は、深芳野が庄九郎のもとに来てたった七カ月目にうまれているのである。世間にそういう早生児はあるであろう。しかし早生児ならば小さいはずだ。ところが吉祥丸は、並はずれて大きい嬰《えい》児《じ》であったし、いまも七、八歳にみえるほどに手足が発育している。
たれがみても、庄九郎の子ではない。
ところが庄九郎だけは、
「わしの子だ」
という顔をしているのである。深芳野にはそれがかえっておそろしかった。
庄九郎は沈黙している。
四年間もそれについて沈黙しつづけたあと、ある夜、そのことよりももっとおそろしいことを、熱っぽい愛《あい》撫《ぶ》のあとでいったのである。
「深芳野」
と、その夜、庄九郎は深芳野の体をなお抱きながらささやいたものであった。
「吉祥丸の母を、もうひとり加えてもかまわぬな」
えっ、と深芳野がおどろいたのも、むりはなかったであろう。
「頼む」
と庄九郎はいった。
「恋しいおなごがいる」
庄九郎は、その恋しいおなご《・・・・・・》が深芳野であるかのように、彼女の髪をなでた。
「恋しいのだ」
「あの」
と深芳野は、やっと息を吐いた。
「それはどなたでございます」
「那那姫よ」と庄九郎はいった。さらに「深芳野」と呼び、庄九郎は髪をなでつづける。
「わしの恋を遂げさせてはくれぬか」
「ご勝手になされませ」
と、深芳野は掻巻《かいまき》をひっぱって顔をおおった。
「そう申すな。わしは、欲しい、とおもえば矢もたて《・・》もたまらぬ男だ。そなたをほしい、と思ったときもこうであった。わしはどうやら、慾が人の倍もつよいらしい」
「いいえ、百倍も」
深芳野は、泣きはじめている。
「百倍も、とはなんだ」
「ご慾が」
「強い、と申すのか。そう思ってくれればよい。そなたはわしをよく理解してくれている」
と、庄九郎は心からほめてやった。
(ばかにしている)
と深芳野は、おもったかどうか。ただひたすらに泣いている。
「泣いてくれるな」
庄九郎は、いい気なものであった。深芳野の髪を撫《な》でつづけている。
「わしは慾つよく生まれついた。体も、人の三、四倍は強靱《きょうじん》である。意思《こころ》も力も人の数倍はつよく、智恵も、人が十人額を集めてもわからぬことを一瞬に解くことができる。しかしながら深芳野よ」
庄九郎は、深芳野の恥所に触れた。べつに意味あっての行為ではない。癖である。
「そういうわしでも、寿命だけはひととおなじ五十年だ」
これだけは、庄九郎の力をもってしてもどうにもならぬというわけであろう。
「五十年」
不公平ではないか、と庄九郎は天をも恨みたいほどである。天は、庄九郎という男に、常人の数倍の能力を持たせて生みつけておきながら、定命《じょうみょう》が経《た》つと、愚夫と同様、平等にその生命をうばってしまう。
「わしのような男は」
と庄九郎はいった。
「おなじ五十年のあいだに、ひとの十人分ぐらいの人生を送らねば、精気が体内に鬱屈《うっくつ》しついには黒煙りを吐き、狂い死にしてしまう。そなたも存じているとおり、わしは京に妻がいる。わしが将軍になるのを待ち望んでいる。名はお万阿《まあ》という」
「存じております」
「可愛《かわい》い女だ」
と、庄九郎は心からいった。
「しかしそなたも可愛い。常人ならば、二人の女をもてば自然、愛に濃淡ができ、ときには一人を愛し、一人を憎悪するようになる。しかしわしはそうではない。お万阿も深芳野も同じように濃く、同じように深く、同じように初々《ういうい》しい恋心をもって愛している。深芳野、そうであろう。そなたは、わが心とわが体をよく知っているはずだ」
「…………」
深芳野は、泣きつづけるしか、自分を表現することができない。
「愛している」
庄九郎は、闇《やみ》のなかでぎょろりと目をむいた。天地神明に誓っても、深芳野を、常人一人分の心と体をもって愛していることは、まぎれもない。お万阿に対しても、同然である。
「ただ」
と庄九郎はいった。
「もう一人、愛することができる」
断固と、虚《こ》空《くう》の神仏に対していい放つような語気である。
深芳野は、泣くことをやめた。なにやら、この男を相手に泣いていることが、ばかばかしくなってきたのである。
(世には、こういう男もいるのだ)
掻巻《かいまき》のえり《・・》口から眼を出し、あらためて庄九郎を見た。むろん暗くてわからないが、顔の輪郭だけは窺《うかが》える。奇相である。なにやら、はじめて接する生きもののような想《おも》いがして、深芳野は不意に可笑《おか》しさがこみあげてきた。
「おや、笑っておるのか」
庄九郎は、深芳野の腹あたりに手をおいた。ふくふくと動いている。
「笑ってなどはおりませぬ」
(おなごとはふしぎなものだ。泣いているか笑っているか、どちらかしかない)
庄九郎は、深芳野の腹をおさえつづけている。掌《て》につたわってくる痙攣《けいれん》が、なまめいて好もしい。
不意に、いま一人分の情念がこみあげてきた。たったいま、一人分の情念を消費したくせに、また湧《わ》きおこってきたのである。なるほど、この男は一人で何人分かの人生をしているのであろう。
「深芳野、わしは満ちてきたわい」
と、その細い腰のくびれを掌《てのひら》ですくい、掻《か》きよせようとした。
「い、いやでございます」
「無用の我意はたてぬことよ」
と、庄九郎の掌はすでに指に化して、深芳野の股《こ》間《かん》をさぐっている。
「いや」
身をよじらせたが、身が濡《ぬ》れはじめた。それでもなおもがいた。もがいている深芳野の運動の芯《しん》を、庄九郎の指がたくみにおさえている。その庄九郎の指を中心に、深芳野は所《しょ》詮《せん》は舞っているようなものであった。舞いが、やがて哀《かな》しいほどにこころよいものに変じた。
「淫《いん》婦《ぷ》。——」
と、深芳野は小さく叫んで自分を責めた。
「淫婦ではない」
庄九郎は、低くいった。なぐさめているのではない。男と女の論理とは、所詮はこういう甘美なうやむや《・・・・》のなかにあるのだ。それでこそ尊い、という意味のことを、庄九郎は、この男独特の抑揚のある言葉つきでささやいた。
庄九郎は、那那姫を娶《めと》った。
妻《め》となって、
「小見《おみ》の方《かた》」
とよばれた。
庄九郎が、うまれてはじめて接した未通女《おとめ》は、この女である。
この小見の方が、やがて女児を生むことになる。その女児が長じて濃姫《のうひめ》と呼ばれ、やがては一つ年上の織田信長に輿《こし》入《い》れするのである。
庄九郎は、小見の方を愛した。が、それとおなじほどの量で、深芳野をも愛した。
奥
とよばれる一郭でふたりは同居し、地位は正妻である小見の方のほうがむろん高いが、しかしこの城内で少女時代をすごした小見の方は深芳野をむしろ上のごとくあつかい、
「深芳野様」
とよんだ。彼女は、幼いころから深芳野の美しさを敬慕していた。美濃きっての美女であり、かつては土岐頼芸の想い女であり、しかも出自《しゅつじ》が丹《たん》後《ご》宮津の城主一色左京大夫《いっしきさきょうのだいぶ》の実子、というこの深芳野に対し、国中《こくちゅう》のたれもが、物語の女主人公を思うような、淡いあこがれをもっている。
「深芳野は、天女のような女だ。邪気というものをまるでもたぬ」
と、庄九郎は、若い奥方がまだ那那姫とよばれていたころから、何度もそういっている。
「父一色左京大夫の厄年《やくどし》児《ご》というので棄《す》てられたも同然のかっこうで姉の嫁《とつ》ぎさきの土岐家にきたのだが、その数奇な生いたちでもわかるとおり、あるいは人間の子ではなく、神仏がいたずらをして地上に生みおとした子のようにもおもえる」
自然、小見の方もそう信じ、そのつもりで接触しているから、仲が悪《あ》しくなろうはずがなかった。
ある夜、庄九郎は宵《よい》から深芳野の局《つぼね》に渡ってきて、泊まった。
「奥はそなたをこの世にもなく浄《きよ》げで、天女か、神仏の申し子だと思っている」
「天女の舞は」
と深芳野は物《もの》憂《う》くいった。
「舞えますけれども、わたくしはまぎれもなく人間の子でございます。その証拠に、小見の方様を恨めしくてなりませぬ」
「こまるな、せっかくの天女がそのようなことを申しては」
「いいえ、人間でございます」
深芳野は、庄九郎の閨房《けいぼう》政治の手《・》はのみこんでいる。自分を「天女」ということにして、一方では小見の方をも鎮《しず》め、一方では深芳野自身を規正して妬《と》心《しん》をおこさせまいとしているのだ。
「人間でございます」
と言い張るのは、深芳野のこの男へのせめてもの抵抗《あらがい》であった。
「殿様は、数人分の人生を、五十年のあいだに送るのだ、とおっしゃいましたね」
「申した」
「では、男ならたれでも苛《さいな》まれねばならぬ女人の嫉《しっ》妬《と》というものも、やはり数人分受けることを甘受なさらねばなりませぬ」
「こまる」
とは、庄九郎はいわなかった。
「受けよう」
そうはいったものの、深芳野のような性格が、鬱屈すれば意外におそろしいことを庄九郎は知っている。
「お覚悟あそばすように」
「大げさだな」
庄九郎が深芳野を見たとき、深芳野は視線をそらせ、夕闇の小庭に移していた。頬《ほお》は意外にも微笑《わら》っていなかった。
(むずかしいことだ)
いかに数人分の世を送る、といってみても三人の妻をもってそれを仲よく御《ぎょ》してゆくということは、あるいは困難なことかも知れない。
お万阿はいい。小見の方もいい。なぜならば京のお万阿は「山崎屋庄九郎」の正室であり、油問屋の御料人としての仕事もある。小見の方の場合は、いうにはおよばない。ふたりとも自分をささえているほこり《・・・》がある。
小見の方が正室になって以来、深芳野にはそれがなくなっている。ただ局を訪ねてくる庄九郎を迎えて送るだけの存在になりはてた。かつてもそうであったが、いまはそのことがはっきりしてしまった。
(やるせない)
とおもうようになっている。庄九郎は数人分の世を送るというが、自分は自分の人生の場所さえ持てそうにないではないか。
子がある。
深芳野の救いであった。彼女は吉祥丸と遊んでいるときだけが、自分の人生を持っているような気がする。
遊んでいるとき、不意に、
(あなたのお父様は、あの方ではないのですよ)
と、あやうく真実を教えてしまいそうな衝動にかられた。いまはその衝動を耐え殺している。しかしいつかはそれを口外してしまいそうな自分を深芳野は感じていた。
さて庄九郎の「仕事」のほうは。
まずまず、うまく行っている。あれほど美濃衆の反対の多かった府城の移転の件も、ひとまず成功した。
枝広の地に、頼芸のために数寄をこらした別荘を建ててやると、頼芸は、
「このほうがよい」
と川手の府城から簡単にひき移ってしまったのである。
いわば、頼芸は、美濃守護職という現職のまま隠居になったようなものである。
(男のほうが、はるかに御しやすい)
と庄九郎は思った。
頼芸は、このところ絵に没頭している。相変らず鷹《たか》の絵ばかりであるが、それが枝広の新城に移ってから、にわかに画風に冴《さ》えがでてきた。
それを頼芸はよろこび、
「俗事にわずらわされなくなったからだ」
といっている。川手の府城にいるとなにかと守護職としての俗事があった。それが、この長《なが》良川《らか》畔《はん》の新城では、まずなくなった。
頼芸の毎日は、朝から絵筆をにぎり、夕方まで描き、そのことに疲れると酒をのみ、女を抱いた。人生の芳醇《ほうじゅん》な部分だけをこの貴族は飲んでいるようである。
世事にいよいよ疎《うと》くなった。
その世事は、加納城主の庄九郎が、川手の府城に詰めて切りさばいている。
こういう毎日が明け暮れて、天文三年九月六日という日を迎えた。