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国盗り物語60

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:英雄の世 話は、となりの尾張(愛知県)に移る。移らざるをえまい。なぜならば、この地方きっての出来《でき》物《ぶつ》とされ
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英雄の世

 話は、となりの尾張(愛知県)に移る。
移らざるをえまい。なぜならば、この地方きっての出来《でき》物《ぶつ》とされた織田信秀が、美濃の庄九郎に完敗し、命からがら、国境の木曾川をただ一騎で渡り、居城の尾張古渡城にむかって逃げもどりつつあるからだ。
(おそるべきは、美濃の蝮よ)
信秀は、ふりかえりふりかえりしながら、尾張平野をめざして馬を駈けさせた。
全身、泥《どろ》まみれである。カブトの鉢形《はちがた》まで泥がはねあがり、陣羽織は乱軍のなかでぬぎすてて、いまはない。
馬が、駿逸《しゅんいつ》なればこそ逃げられた。息のよわい、脚のおそい馬なら、信秀はとっくに美濃勢の槍《やり》のさびになっていたろう。
信秀は、三十七。
栄光に満ちた前歴をもっている。いままで幾十回となく敵とたたかってきたが、対美濃戦のほかは敗れたことがなかった。
とくにこの男が、天下に売り出したのは、一昨年の天文十一年八月、駿河《するが》の大大名今川義元《よしもと》が京に旗をたてようとし、駿河、遠江《とおとうみ》、三《み》河《かわ》の三国の兵二万五千をひきいて尾張にむかって作戦行動を開始したときである。
この戦いでは信秀はわずか数千の兵をひきいて出撃し、矢作《やはぎ》川《がわ》を越えて三河に討ち入り、小豆《あずき》坂《ざか》(厚木坂・いま岡崎市羽根)で敵をむかえてたくみに戦闘し、ついに全軍を突撃せしめて十倍の敵をやぶった。
この勝利によって、尾張守護職斯波《しば》氏からみれば陪臣《またもの》にすぎぬ信秀が一躍尾張半国の王になり、東海地方で、
——弾正忠《だんじょうのちゅう》(信秀)ほどの弓取りはない。
と囃《はや》され、雷名は遠く京の天子の耳にまで入った。
この不敗の信秀が、どういうわけか、美濃の蝮だけがにが手で、さきには、木曾川の小《こ》競合《ぜりあい》でやぶれ、こんどは大将ただ一騎で逃げかえるというほどの惨敗を喫している。
(蝮めは、あれは幻戯《めくらまし》でも使いおるか)
と、敗《ま》けながらもなぜ敗けたかどうも解せない。
たとえば今日の戦闘では蝮めは千の人数を押しだしてきた。小《こ》勢《ぜい》ぞ掛かれ、と信秀が突撃を命じ、先鋒《せんぽう》を切りくずしかけると、いつのまにか敵は三千人になっている。ふと背後に軍《ぐん》鼓《こ》がとどろくのをみて、
——おお、揖斐《いび》の兵(味方)がきたか。
と鞍壺《くらつぼ》をたたいてよろこぶと、なんとそれはことごとく蝮めの軍勢だった。
(わからん)
敗因はあとでしらべてみることだ、とおもった。
馬を駈けさせるうちに、やがて見渡すかぎりの葦《あし》の原のむこうに居城古渡城の森がむくりとあらわれた。いまは名古屋市内東本願寺別院になっている。
この城は、信秀が十年ほど前にきずいたもので、まわりは池や沼が多く、人家もまばらでしかない。
そうした村々を突きぬけて信秀は駈けるのだが、行きかう農夫、漁夫のたれもが、この泥人形のような独り武者が殿様の織田弾正忠信秀とは気づかなかった。
やっと大手門まできたとき、信秀は堀のそばで手《た》綱《づな》をひきしぼり、馬を戞々《かつかつ》と輪《わ》廻《まわ》りしながら、
「門を開けよ、弾正忠であるわ」
と城内へ大声でわめいた。
ふとみると、堀の蓮《はす》の葉が一つ、生けるようにくるくると動いている。
(なんじゃ、あれは)
と、おどろいて目をみはるうち、蓮の葉はすいすいと堀の岸辺にちかづいて、水面から小さな腕が一本のびてきて、岸辺の草をつかんだ。
(ほほう、河童《かっぱ》がおるのか)
信秀は、剛腹《ごうふく》な男だ。さんざんにやぶれて帰ったくせに、この俳画的光景をたのしんでいる。
やがて河童の腕が二本になり、ぐいっと体を持ちあげるなり、泥だらけの体で岸辺にあがり、堀の草を掻《か》いつかんでは身をせせりあげぴょいと路《みち》に出た。
「なんだ、吉法《きっぽう》師《し》(信長)ではないか」
と馬上で笑い出した。
十一歳になるわが息子である。別居している。ここから遠くもない那古野《なごや》村《むら》の那古野城に住まわせてある。独立心を育てるために生まれてほどなく一城のあるじにしたもので、那古野城には守役《もりやく》として老臣の平手政秀、青山与左衛門、林通勝《みちかつ》、内藤新助らをつけておいた。きょうはあそびにきたのであろう。
「これ吉法師、その姿《なり》はなんじゃ」
素っぱだかであった。だけでなく、漁村の漁師がよくそうしているように、股《こ》間のもの《・・》をわらしべ《・・・・》でむすんでいる。
吉法師はよほど無愛想にうまれついているらしく、路上に立ったまま返事もせず、笑いもせず、ぷっと頬《ほお》をふくらませたまま股間のわら《・・》を解きはじめた。
「これ、なにをしている」
と、信秀はあきれて問うた。
「わらを解いておるわい」
「なぜ左様なことをする」
「これを解かぬと、小便《ゆばり》が出ぬわい」
やがて解きおわると、勢いよく小便を飛ばしはじめた。
「爺《じい》どもは、どこにいる」
「那古野にいる」
「ほう、そちは逃げてきたのか」
「ふむ」
小便が出盛っていた。いい気持なのだろう、小僧は目を半眼に閉じている。
「那古野は、窮屈か」
「爺どもがうるさい。那古野ではこういうことができぬ」
「そちは、若様だぞ」
馬上の信秀は、あきれてしまった。
そういう父親の笑顔を、吉法師はじろりと横目で見、
「お父《でい》は、負けて帰ったのう」
と、無表情にいった。
これには信秀はあきれ、噴《ふ》きあげるように高笑いをすると、
「負けたわい、命からがら帰ったわ」
「相手はたれじゃ」
と、小便をおさめ、たらたらと滴《しずく》をたらした。
「美濃の蝮というやつよ」
「斎藤道三か」
と笑わず、
「お父《でい》もつよいが、そいつも強いらしい」
そう言いすてて、すたすた歩きだした。
「おい、どこへ行く」
「那古野へ帰る。爺どもがいまごろ大騒ぎしとるじゃろう」
「帰るのは一人でか」
と、信秀は大手の橋へ馬を進め、ふりかえりながらいった。
「一人でだ。足がある」
(変な小僧だ)
わが子ながら、そう思わざるをえない。

信秀は城の奥に入ると、すぐ井戸端に行って水をかぶり、そのあと、素っ裸で縁側にすわり、
「湯漬《ゆづ》けを三椀《わん》」
と女どもに命じた。食いおわって、そのまま縁側に寝ころんだ。
女どもが、その裸体に掻巻《かいまき》をかけ、血を恋うて来る秋の蚊を追った。
縁の下で、萩《はぎ》が風にゆれる。日暮になると、虫が鳴いた。信秀は、ぐっすりねむった。
やがて日が暮れはてたころ、敗残の家来どもが三騎、六騎、十騎とこの古渡の里にもどってきた。
「殿は」
と、口々に留守の者にきき、信秀が無事帰城していることを知ると、みな安《あん》堵《ど》した。そのうち家老の織田因幡守《いなばのかみ》らの一隊が帰ってきて、城内を厳重にかためた。
その城内のざわめきで信秀は目をさまし、とびおきて庭へおり、侍どもの詰めている表へ行こうとした。
「あっ、殿さま、素裸で参られまするか」
と、侍女が衣服をもって追ってきた。
「おお、下帯も締めんじゃった」
信秀は、おろしたての下帯を締めさせた。
好色な男だ。すこし、異常かもしれない。小《こ》袖《そで》の着付けを手つだわせながら、手をまわして侍女の股間に手をさし入れている。
「あっ、人目もありまするのに」
「たれも抱いてやるとは申しておらぬ。手もち無沙汰《ぶさた》ゆえ、そこ《・・》なりとも触れておる」
信秀という男、尾張人にはめずらしく諧謔《かいぎゃく》家《か》でなにを言っても、どことなくおかしい。侍女たちはその言い草にきゃっきゃっと笑いながら、結局は触れさせてしまっている。
やがて、奥と表のあいだにある塀中門《へいじゅうもん》を押しあけ、わらぶきの書院にむかって歩きだした。歩きながら、そこここにうずくまっている武者どもに、
「やあ、半九郎は帰ったか、ほほう、権六《ごんろく》も元気じゃな、そこの軒端にうずくまっているのは新左衛門か、おのれは怪我をしたな」
高笑いをしながら、声をかけてゆく。これだけ手ひどい敗北を喫しながら、すこしも沈んだところがない。やがて、書院の正面にすわると、
「因州(家老)はどこにおる」
と、目で顔をさがした。
「因幡守どのは大手門をかためておりまする」
「ばかめ。門をかためるより、ここへきて酒でも飲めと申して来い」
「しかし、道三入道が、木曾川を越えて尾張に討ち入って参りましょう」
「あの男は、後追いをせぬわ。この戦勝をよいことにし、美濃を留守《から》にして国境をこえ尾張を侵略してくるような軽率な男なら、蝮もたいした男ではない」
「尾張に攻めこむのが軽率でございますか」
「美濃はまだかたまっておらぬ。いい気になって国を留守にすればたちまち蝮のしっぽに噛《か》みつくやつが出てくる。今夜はわしは酒盛り、しかしあの男の稲葉山城こそ、今夜はどんどんかがり火を焚《た》きあげてわしの巻きかえしに備えていることであろうよ」
そのあとすぐ首実検をし、戦功ある者には感状を出し、やがて酒盛りに移り、部将のそれぞれが目撃した庄九郎の戦立《いくさだ》てを聞きながら敵の勝因とわがほうの敗因をつぶさに検討した。
(なるほど、電光のような男だ)
と、信秀は感心し、敗因のすべては自分よりも美濃の蝮のほうがはるかに合戦がうまいという単純な結論に落ちつかざるをえなかった。
「まあよい。こんど美濃へ攻めこんだときは蝮めをたたきつぶしてくれるわ」
といい、その夜は痛飲し、泥酔《でいすい》し、児小姓にかつがれて寝所に運ばれた。
この帰城のあくる日。
朝から雨がふり、まだ中秋すぎというのに手あぶりがほしいほどに冷えた。
信秀は、発条《ばね》のようにつよい健康をもっている。昨夜はあれほど疲れていたのに寝床に正夫人土田御前をよび、朝は朝で、側室の某をよび入れて寝具の上でたわむれていた。
「戦さに敗けたあくる日に、今川殿は沈香《じんこう》を�《た》いてうなだれていたそうだが、ばかな話よ。敗けいくさのあとは、そちどもと戯《たわむ》れていてこそ、あとの智恵も湧《わ》くものよ」
と、この異常な精力漢はいった。
やがて日が昇ったころ、取りつぎが、
「京の宗牧《そうぼく》と申される方が訪ねて参られました」
とあわただしく伝えてきた。
「宗牧。——」
といって、はね起きた。社交好きで客好きな男である。
「すぐ参る。小書院へ通して十分に接待し、まず腹がすいておらぬかと問え。ひもじいと申されれば支度をして進め参らせよ。酒は出しておけ。寒いゆえ、手あぶりに炭をたっぷり盛りあげて馳《ち》走《そう》せよ。おお、それよりも湯《ゆ》風呂《ぶろ》を召さぬかと問え」
と機敏に言いつつ、自分は寝巻をかなぐりすてて廊下を走り、湯殿へとびこんだ。
(宗牧はなんの用事じゃ)
あか《・・》をこすらせながら考えた。
宗牧は、都できこえた連《れん》歌師《がし》である。連歌好きの信秀はたびたび尾張へよんで興行し、つきあいはかなり古い。
信秀が、宗牧を好遇するのは、ひとつには実利もある。宗牧は都の貴顕紳士の邸《やしき》に出入りしているために京都の政情にあかるく、その上、旅行ずきの連歌師は、諸国の大小名を歴訪しているため、そういう方面の情勢にもあかるい。
やがて信秀は小書院で宗牧に対面した。宗牧は、灰色の瞳《ひとみ》とながい顔をもった五十がらみの男である。
馳走の酒には、手をつけていない。
「どうなされた」
と、信秀がすわるなり言うと、宗牧はひどく思わせぶりな顔で、
「大役がござるでな」
と言い、信秀の小姓をよび、目の前の膳《ぜん》部《ぶ》を片づけさせ、自分はいったん立って庭のつ《・》くばい《・・・》へゆき、手を洗った。
さて襟《えり》をととのえ、しずしずと席にもどり蒔《まき》絵《え》の文《ふ》箱《ばこ》をとりだし、
「これを」
と、信秀の前にすすめた。
「これは何でござる」
「申しあぐるもかしこきことながら、雲の上に在《ま》す当今《とうぎん》(天子)より、女房奉書《にょうぼうほうしょ》のかたちにて弾正忠どのにお言葉がさがりました。なにとぞ謹《つつし》まれますように」
「ほっ」
驚き、かつ信秀はすべてがわかった。
この男は、他の群雄とちがって、風変りな憧憬心《どうけいしん》をもっている。京の天皇をひどく尊崇していることだった。
将軍さえ、居るか居ないか、さだかでない時代である。まして諸国の庶民は、京に天子のあることさえわすれていた。
信秀には、歌道の教養がある。歌道をとおして王朝の典雅をあこがれていたし、天子の存在も知っていた。
「あれは尊ぶべきものじゃ」
とつねづね言っていたし、げんに去年も老臣の平手政秀を京に派遣して、
——これにて築《つい》地《じ》(塀《へい》)を御修理くださりまするように。
と銭四千貫文、御所に献じているだけではなく、天子の宗廟《そうびょう》である伊勢神宮が式年遷宮《せんぐう》の費用もないときき、あらためて伊勢へ使いを送ってその費用を献じていた。
尾張は、日本一の美国である。田園が肥え百姓が多く、このため信秀は非常に富裕でその程度の寄進はさほどでもなかったが、それにしてもこういう行為を思いつくというのが風変りであった。
隣国の「蝮」は、京うまれ、信秀以上に教養もふかいくせに王室に対する感覚がひどく鈍感なのは、都そだちであるためにかえって都ずれ《・・》し、そういうことがばかばかしかったのであろう。
げんに庄九郎は献金の一件を風説にきいたときも、
「田舎者めが」
と、あざわらった。
なるほど信秀は成りあがりの田舎紳士なのである。それだけに都への思いは強烈でもあり、朝廷に対するあこがれの気持に、邪気が無かった。
いや。——一片の邪気はある、と庄九郎などは隣国のこの英雄をみていた。
(弾正忠めは、田舎者のくせに大それた妄想《もうそう》を抱いておるのであろう。いずれは京に攻めのぼって天子を擁してその権威によって天下に号令しようと企んでおるのにちがいない。ばかな男だ。普通なら将軍を擁して天下に号令するのがあたりまえであるのに、神主同然の天子を擁して天下がとれるか)
と、こう見ている。
が、人は好きずきである。庄九郎は流亡の将軍こそ利用価値があるとみているかもしれないが、信秀は天子のほうが好きだった。
宗牧が、
「女房奉書でござる」
といってさしだしたのは、略式な勅語であると思っていい。天皇に仕える女官が、自分の筆で散らし書き《・・・・・》という独特の形式により天子の意思を伝える。
信秀に対する女房奉書は、去年の献金に対する礼と、「三河の者にも献金するように申し伝えよ」という意味が認《したた》められてあり、天子よりの礼物として古今集が添えられていた。
信秀は、京の天子にまで自分の武名を知られたことがうれしい。
「いやいや、これはおそれ入る」
と感激し、
「なにしろ濃州表《のうしゅうおもて》での合戦がさんざんの不首尾でござってな、きのう、身一つで帰城したばかりでござるよ。この敗けいくさの傷がなおりしだい、三河にもくだり、また京にものぼって、かさねて御修理の費用を献ずるつもりでござる」
と、いった。
敗戦を世間ばなしのように言う信秀の豪胆さに宗牧は内心舌を巻き、
(この男こそ、天下をとるかもしれぬ)
とおもい、京で、弾正忠は英雄の風♡《ふうぼう》ありと頼まれもせぬのに吹聴《ふいちょう》してまわっている自分の目にくるいはないと思った。
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