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国盗り物語59

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:三段討 ながい坂だった。美濃に流れてきて以来、庄九郎は一歩々々、足場を踏みかため、ついにこの男の事業である「国《くに》盗
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三段討

 ながい坂だった。美濃に流れてきて以来、庄九郎は一歩々々、足場を踏みかため、ついにこの男の事業である「国《くに》盗《と》り」を完成した。
(ながかったわい)
と庄九郎はしみじみ思うのだが、かといって坂の上で汗をぬぐっているわけにはいかない。
まだまだ坂があった。
(天下をとらねばならぬ)
という野望だった。将軍にならねばならなかった。将軍になって京にもどりお万阿と暮らす、というのが、京の油商山崎屋をまもっている妻お万阿とのあいだの長い約束だった。——まず、それがある。
それだけではない。美濃をかれの奇抜な構想による新興国家に改造することであった。
(それには、城と町を)
と庄九郎は思い、居城の稲葉山城をさらに巨大な構想によって改造しはじめ、また城下町の井ノ口(岐阜)をかれ一流の都市計画によって建てなおしはじめた。
家来、被官を問わずことごとく城下に住まわせることを原則とし、みずから地割りしてどんどん武家屋敷を建てさせ、大きな屋敷は市街戦のときの小要塞《ようさい》になるように溝《みぞ》をめぐらせ、防火用に外壁をぬらせ、わらぶきを廃止し、できるだけ瓦《かわら》屋根《やね》とした。
城下の楽市《らくいち》の数をふやし、どんどん町人を呼び、かれらのための町割りも庄九郎自身がした。さらに人集めのために、よく流行《はや》る本尊をもった神社仏閣によびかけ、それらに土地を与え、城下に誘致した。
このため、京都以東におけるもっとも繁栄した都会が現出し、人は遠国《おんごく》からもやってきて、人口は毎日ふえた。
ところが、
この庄九郎の新興国家を打ちこわそうとする軍事勢力が、四方八方から群がりおこった。
天文十三年七月のことだ。城下では、どの町家、どの市、どの寺々でも、
「合戦がおこるらしい」
とうわさでもちきりになった。
「それも未曾有《みぞう》の大乱じゃ。なにしろ、国境いを越えて諸方の敵が斎藤山城守《やましろのかみ》さまを討つためになだれこんでくる。越前からは北国街道をつたって討ち入ってくるし、尾張からは木曾川を渡って乱入する、美濃は美濃で揖斐《いび》城主の揖斐五郎さまがこれらと呼応して軍勢を出す、いやもう、えらいさわぎになるぞ。せっかく美濃の国主になられた斎藤山城守さまは、これをどうなさるか」
事実であった。
むかし庄九郎に追われた美濃守護職土岐政頼はここ十数年のあいだ、亡命の身を越前一《いち》乗谷《じょうだに》の朝倉家に寄せていたが、こんどは弟の頼芸さえ守護職の座から追われたときき、
「おのれ、蝮《まむし》め、弟をさえもか」
と、激怒し、朝倉家にすがりつき、
「あの蝮めを討っていただきたい。そうなった暁には美濃のうちで十万石をご当家のために割《さ》きます」
とたのんだ。
朝倉家ではその好条件をよろこんだが、しかし単独では美濃攻撃の自信がなく、尾張の織田家をさそおうと思い、使者を出した。
「いやこれはふしぎな暗合じゃ」
と織田信秀も手を打ってよろこんだ。
「当家には、弟君の頼芸殿が、蝮めから追われて亡命の身を寄せられておる。しかもその頼芸殿も、お兄君同然、美濃の蝮を討ちとってくれれば十万石の地を割譲したい、と申されておる。されば、南北呼応して攻め入りましょう」
さらに工作は進み、美濃の国内では揖斐五郎がこの連合軍に参加することになった。
「いかに蝮めが合戦上手でも、こんどこそ音《ね》をあげるであろうかい」
と、織田信秀も、大満悦だった。

稲葉山城にいる庄九郎は、諜者《ちょうじゃ》を四方に放ってそれらの情報をかきあつめていたが、さすがのこの男も敵が三者同時に打ちかかってくるというのには閉口し、
「同時に、というのはいかん」
と、怒ったようにつぶやいた。この男が怒ったところで仕方がないであろう。庄九郎はいま書院にいる。深緑の季節のあかるい雨が、庭を音もなく濡《ぬ》らしていた。
「そうだろう、桃丸《ももまる》」
と、庄九郎はそばに控えているまだ元服前の、ひどく利発そうな少年の名をよんだ。
「はい」
と少年はこまったようにうなずいた。
色白で眼の裂《き》れが涼しく、唇《くちびる》が赤く、いかにも典雅な匂《にお》いをもった少年である。
「なあ、桃丸よ」
と庄九郎は目を細めた。この少年をわが子以上に愛しているらしいことは、その態度でも知れた。
少年は、正妻小見《おみ》の方の甥《おい》なのである。あるいは神の申し子ではないか、と評判されるほどに少年は聡《さと》い。事実、庄九郎もこれほど利口なこどもをみたことがなく、そのためわざわざ手もとにひきとって「猶《ゆう》子《し》」ということにしている。
猶子とは養子ではなく、
「猶《ナオ》、子ノゴトシ」
という一種の名誉的な待遇であった。
姓は、明《あけ》智《ち》。
のち十兵衛光秀《みつひで》と名乗り、織田家に仕えて日向守《ひゅうがのかみ》と称し、天下の武将のなかで学才双《なら》ぶなし、といわれた男になる。
庄九郎は、この桃丸の才を異常なばかりに愛し、手もとに置き、軍略政治のことなど手にとるようにして教えていた。庄九郎にはそういう癖があったのであろう、つまり教育好きな癖が。(とはいえ、この男がその教育癖《・・・》を傾けて愛しつくした「弟子」というのは、この光秀と、織田信長以外にはいなかったようだが。——)
「なあ、桃丸よ。屈強の大人がそなたに太刀をふるって三人、同時にうちかかって来たとしたら、どうする」
「答えるのでございますか」
「そうだ」
「小《こ》半刻《はんとき》、お時間をくださいませ。考えまする」
と少年は退出し、裏庭へゆき、非番の足軽三人をよびつけ、十分に言いきかせたあと、それぞれに木刀をもたせ、
——さあ、遠慮なく打ちかかって来い。
と、自分も木刀をかまえた。
「桃丸さま、痛うございまするぞ」
この時代の足軽どもだ。常時戦場に出ているから気性も荒い。桃丸を取りかこみ、それぞれ木刀を上段にふりあげ、手心も加えず、
「わっ」
と打ちかかった。桃丸は、頭上の木刀をカラカラと払いのけていたが、いかに防いでも敵は三人である。三人がとびかかってくるたびに一太刀二太刀と打ちこまれ、ついに足払いをかけられ地上に倒れた。
「それまで」
と、いつのまにきたのか、庄九郎が縁の上から声をかけた。
「桃丸、むりだ。いかに兵法練達の者でも、三人の敵を同時に受けては、防ぐに手いっぱいでついには斃《たお》される。策を用いろ」
と庄九郎は言い、台所の者に言いつけて鮮魚を二ひき、竹の皮につつませて持って来させた。
「それは、なんでございます」
「鮎《あゆ》だ」
と、桃丸の足もとに投げた。
「その鮎いっぴきでも、用い方によっては勝つ法がある。考えてみろ」
桃丸は、しばらく小首をひねっていたがやがて、あっそうか、とひどく明るい顔になり、その包みを足軽のうちで最も手ごわい大男に呉れてやった。
「あっ、頂戴《ちょうだい》できますンで」
「殿様からのほうびだ」
といってむりやりに懐《ふとこ》ろにねじこませ、「もう一試合する。しばらくこれにて待っておれ」と言いのこし、姿を消した。
庄九郎は、楽しそうに縁の上にあぐらをかいている。
やがて桃丸は、城内に飼い放しされている白犬を一頭、首につな《・・》をつけてひっぱってきた。
「おっ、しろ《・・》じゃござンせんか」
「そちが毎日餌《えさ》をやって可愛がっている犬だ。口笛でも吹いて呼んでやれ」
へい、とそこは足軽だけの智恵だから、つい乗って、ピーピーと口笛を吹いた。しろ《・・》は大よろこびで駈《か》け寄り、足軽に飛びつきはじめた。しかも懐ろには、生魚がある。その匂いに憑《つ》かれて絡《から》みついたまま離さない。
「さあ、勝負だ」
と桃丸が叫び、やにわに逃げ出し、蔵と蔵の間のほそい通路に走りこんだ。他の二人の足軽がそれを追い、一人ずつ通路にとびこみ、やがて通路をとおりぬけたあたりで、
——わっ。
と一人がひっくりかえった。大したカラクリではない。通路の出口で桃丸が待ち受けていて、
「見たか」
と、まず一人の向うずねをかっぱらったのである。つづいて飛び出してきた足軽の左腕を打ち、さらに木刀をたたいて、地に叩《たた》きおとした。
(一人対一人なら、負けるものではない)
と桃丸はかれらの上を跳びこえ、ふたたび通路を通りぬけ、裏庭に走りもどり、犬にからみつかれている足軽のそばにするすると近づくや、その腰を、
「勝負ぞ。怨《うら》むな」
と、容赦なく打ちすえた。
「そのとおり。——」
と、手を打ってよろこんだのは、縁の上の庄九郎である。桃丸をもとの座敷によび、
「あれが、武略の原型でもあるし、人生の原型でもある」
「あのようなものが?」
と、桃丸はおどろいた。単にいたずら半分に思いついた手が、人生万般に通ずる機略のモトだ、というのはどういうことであろう。
「うそだと思うなら、わしが数万の敵を相手にやってみせる。よく見ておくがよい」
庄九郎にとって、最も手ごわい敵は尾張の織田信秀だった。信秀という合戦上手が他の二者と相連繋《あいれんけい》しつつ打ちかかって来られては、庄九郎も手こずらざるをえない。
そこで、鮎と犬《・・・》を仕掛ける相手としてこの織田信秀をえらんだ。
信秀は、まだ尾張半国を平定したばかりであり、他の半国にはかれに抗戦している一族や諸豪族がいる。
庄九郎はこれらに使者を送り、
「いずれ、各々の共同の敵である織田信秀に対しては、わしが痛撃をくらわせてやる。これは固く約束する。によって、わしと同盟《よしみ》を結ばぬか」
とまず申し入れ、かれらが大よろこびで賛同すると、すかさず第二の提案をもちかけた。
「予言をするようだが、日ならず、織田信秀は尾張を留守にしてわしの美濃へ出兵してくる。各々はその留守の城々に攻めかかってもらいたい。ご承知ねがえるな」
留守城をねらうほど容易なことはない。かれらは一も二もなく承知し、ひそかに合戦支度をしはじめた。
この間、庄九郎は諸将を毎日のように城内に詰めさせ、かれ一流の戦法を十分に習熟させた。とくに、庄九郎の命令一つで数万の兵を一糸みだれずに進退させるべく、鉦《かね》、陣貝、陣太鼓による通信法をおぼえさせた。
「わしの紋をみよ」
と、諸将にいった。
「二頭波頭である。合戦の極意は波のごとし、とわしは信じている。寄せるときには怒《ど》濤《とう》が岩をくだくがごとくに寄せ、退《ひ》くときには声もなくさっと退く。軍が波のごとく運動し、一令のもとに颯々《さっさっ》と進退すれば合戦というものはかならず勝つ。物頭《ものがしら》以上によく言いきかせておくように」
ただ、敵は、北から来る者は先々代の守護職政頼を押し立てる越前朝倉氏であり、南から来る敵は、先代の守護職頼芸を押し立てる尾張勢である。
——もとのお屋形が二人も敵になって攻め寄せてくるのだ。美濃人は、人情として動揺するだろう。
と庄九郎は思い、自分は実質上の国主でありながら、形式的には、例の深《み》芳《よし》野《の》の子で頼芸の隠《かく》し胤《だね》である義竜《よしたつ》を立てて、
「左京大夫《さきょうのだいぶ》」
と名乗らせ、土岐家の宗家とし、自分はことさらに俗名を捨て、髪もおろして僧形《そうぎょう》となり、名はかつて一時的に使ったことのある
「道三《どうさん》」
を用いた。正式には、斎藤山城入道道三と称し、すべての印判もこの称を用いた。
さて。——
越前朝倉、尾張織田、美濃揖斐の連合軍がそれぞれ連絡しあって、美濃討入りの日を天文十三年八月十五日前後とした。
庄九郎は、その日付を、揖斐城に入れてある諜者《ちょうじゃ》から事前に知り、
「されば当方から行くのみじゃ」
と、軍容をまとめ、八月十二日、二頭波頭の旗をひるがえしてどっと揖斐城に攻め寄せ、火の出るような城攻めにとりかかった。
「二日でもみつぶせ」
と全軍に下知したが、城の防衛は固く、びくともしない。
そのうち、越前の朝倉孝景《たかかげ》が兵一万をひきいて北国街道を南下し、十五日には美濃に入り、揖斐軍と呼応して庄九郎の軍をひたひたと包囲しはじめた。
と同時に、尾張の織田信秀が動き、五千を率いて木曾川を渡りはじめたところ、かねて庄九郎と諜《しめ》しあわせてある尾張の反信秀側の諸豪族が立ちあがり、信秀の古渡城《ふるわたりじょう》、名古屋城をかこみはじめたから、信秀もたまらず、軍を旋回して尾張にもどり、これらいわば一《いっ》揆《き》のような連中を相手に悪戦苦闘しはじめた。犬《いぬ》にからみつかれた姿といっていい。
(されば織田はよし)
と、庄九郎は安《あん》堵《ど》し、すばやく行動に移った。
退却である。
揖斐軍、朝倉軍を同時に敵にまわすほどの愚はない。全軍に駈け足を命じて退却し、あっというまに稲葉山城に入ってしまった。城に入るや、ただちに山頂にのぼって庄九郎は戦況を観望した。
朝倉勢が、追《つい》尾《び》している。庄九郎の軍の最後尾と戦闘しつつ、どんどん追ってくる。
追ってきて、長良川北岸に夕暮を迎え、そこで野陣を張り、宿営した。
(しめた)
と、庄九郎は、眼下の敵をみた。北国兵は美濃の地理には暗い。
夜になった。庄九郎は夜陰にまぎれて城から諸隊を順次くり出し、馬には枚《ばい》をふくませ、鎧《よろい》の草摺《くさずり》には縄《なわ》をまかせて防音し、足音をしのばせてしずしずと包囲を完了してから、丑《うし》ノ下刻(午前三時)城門をひらき、みずから本隊をひきいて長良川の浅瀬をわたり、対岸に上陸するとともに、
「貝を吹けっ」
と叫び、全軍怒濤のように敵の宿営内に突入した。
朝倉勢は木《こ》っ端《ぱ》微《み》塵《じん》となり、川にとびこむ者、山を求めて逃げる者、さらには北国街道をめざして国に帰ろうとする者などもはや軍容を失い、十六日の陽《ひ》が美濃平野を照らしはじめたときには、数百の死《し》骸《がい》のほかは一兵の朝倉兵も美濃中央部からいなくなった。
庄九郎は、敵を深く追わず、退《ひ》き鉦《がね》を鳴らして兵をまとめ、さっと波のひくように稲葉山城にひきあげ、再び山頂の櫓《やぐら》から長良川、木曾川のうねる美濃平野を見おろした。
(織田信秀は、いつくるか)
というのが、この男の宿題であった。来れば敵の陣容の成らぬうち、電光石火のごとく山上から駈《か》けおりて木曾川畔で叩《たた》く、というのが、庄九郎の対織田戦法であった。
それまでのあいだ、国境線の木曾川畔に足軽兵をつねに駈けさせておいて、尾張へ渡ろうとする旅人を一人のこらず美濃へ追いかえした。理由は、朝倉軍が潰滅《かいめつ》した、という事実を、わざと織田方に報《し》らせなかったのである。
(信秀は、まさか同盟軍がつぶれ去ったとは思うまい。尾張の一揆が片づけば、朝倉との約束を果たすべく美濃へ入ってくるだろう)
そこをたたく。
と待ちかまえているうちに、八月十八日、信秀は後方の手当をようやくおわり、兵五千をひきいて全軍、木曾川を渡った。
「敵は渡ったか」
と知るや、庄九郎は陣貝をはげしく吹きたて、稲葉山城から電発して木曾川畔に急行し予定戦場につくや、兵を三手にわけて正面と左右から包囲した。その指揮ぶりは、七千の兵を掌《たなごころ》で動かすようであった。包囲するとともに、攻めたて攻めたてて敵を木曾川の河原まで押し詰め、あとは、敵の左翼を強く攻めれば右翼をゆるめ、敵がそのため右へ逃げると、頃《ころ》を見はからって逆に右を強化して左をゆるめ、といったぐあいに猫《ねこ》がねずみをなぶりごろしにするような戦法をとった。
織田勢はここで大半討死し、主将織田信秀はただ一人尾張古渡城に逃げもどった、というほどの敗北を喫した。
「蝮、おそるべし」
という戦慄《せんりつ》が波紋をひろげるようにして天下に伝わったのは、この三方の敵を、まるで名人の舞踊をみるようなあざやかさをもってつぎつぎに討ちとってからである。
いかに戦国でも類のないみごとさといっていい。
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