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国盗り物語62

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:蝮《まむし》と虎《とら》 庄九郎の主力は、怒《ど》濤《とう》が沖の小岩に打ちよせてこなごなに噛《か》みくだくように攻めに
(单词翻译:双击或拖选)
蝮《まむし》と虎《とら》

 庄九郎の主力は、怒《ど》濤《とう》が沖の小岩に打ちよせてこなごなに噛《か》みくだくように攻めに攻めている。
大垣城の尾張衆は小勢ながらもよくふせぎ、この激しい攻防戦で西美濃の野は、鯨波《とき》、馬のいななき、鉦《かね》、太鼓の響きで割れかえるようなさわぎだった。
攻城三日目に、庄九郎の軍から五人の足軽が、それぞれ黒光りのする重い鉄製の棒状のものを持ってとびだした。
城壁にむらがっている城方は、
——あれは何ぞ。
と不審な目でみた。
五人の足軽は、あぜ道を駈け、草をとび越えて城の堀端ちかくまで接近すると、横隊になって折り敷いた。
「なんぞ、なんぞ」
城方ではさわいでいる。
そのうち、五人の足軽の手もとから五つの白煙があがり、
ぐわぁーん
と、天地をつん裂くような轟音《ごうおん》がおこったかとおもうと、城壁にいた五人の侍が同時にのけぞり、すーっと落ちてきた。
美濃から尾張、東海地方にかけてのこの戦乱の地に、はじめて鉄砲が出現したのである。
尾張衆ははじめ、
「蝮《まむし》め、魔法《げどう》を使うか」
とあきれたらしい。なぜなら四十間のむこうに白煙と轟音があがったかと思うと、味方の名ある者がうそのように斃《たお》れているのである。
——いや、あれは噂《うわさ》にきく鉄砲というものかもしれぬ。
という物知りもあったが、多くはただ恐怖した。
庄九郎は日没までのあいだに五回、この五人の鉄砲衆を繰り出し、そのつど、百発百中の効果をみせた。
城の士気はにわかに衰弱した。もう城壁の上に立って弓を射たり、石を落したりする者もいなくなった。
心なしか、風のなかで林立している旗幟《はたのぼり》までがにわかに勢いをうしなったようである。
(うむ、験《げん》がある)
庄九郎は、床几《しょうぎ》に腰をおろしながら、つめたい、実験者の眼でうなずいた。
わずか五挺《ちょう》しかない。
それがこれほどの効果をおさめようとは思わなかった。将来、鉄砲さえそろえば、もはや落ちぬ城というのはなくなるであろう。
(諸国に、幾千、幾万の城がある。城というものは由来、陥《お》ちにくいものだ。匹《ひっ》夫《ぷ》もこれに拠《よ》って防げば大軍でさえ攻めあぐむものだが、将来、この兵器が普及すれば小城などはまたたくまに打ち砕かれ、天下の統一は急速度に進むかもしれぬ。この鉄砲を大量に持ち、それをたくみにつかう者が、おそらく天下を取るだろう)
まだ鉄砲が伝来してほどもない。
伝来してほどもなく国産化がおこなわれ、堺《さかい》や紀州根来《ねごろ》で小規模に生産されているが、量を生むほどにはいたらなかった。
庄九郎は、風聞でこの兵器のことをきき、赤兵衛を堺に派遣し、山崎屋の金をもってやっと五挺買わせたのである。操法は庄九郎自身が修得し、みずから稲葉山城内で数百発を射撃し、
(さてはこうか)
とその効果的な射撃法を悟り、さらに工夫して、家来におしえた。とくに正妻小見の方の甥《おい》の十兵衛明智光秀には、
——これからの将は鉄砲を知らねば世に立てぬ。そなたも工夫せよ。
とすすめた。光秀はこのためのちに鉄砲の射術だけでもめしが食えるほどの名人になっている。筆者はいう、このことについては、いずれ後に触れることになるだろう。

話が、前後している。
庄九郎は大垣城攻撃がヤマをすぎた、とみるとみずから小部隊をひきいて別働隊となり、山間部を縫って駈けた、——というところで前章は終わっている。
忽然《こつぜん》と大桑城の正面に出たのだ。この城には、織田信秀との休戦条約によって、土岐頼芸がふたたび居住している。が、信秀がみずから休戦条約をやぶった以上、庄九郎にすれば頼芸を置いておく義務はない。
なんといっても頼芸は美濃の前守護職だから一種の勢力もあるし、その上、大桑城を中心に反庄九郎派が結束してゆくおそれもあった。
「一気にもみつぶせ」
と庄九郎ははげしく下知しつつ、大垣の陣中から連れてきた五人の鉄砲足軽を前進させ、はげしく射撃させた。
これには大桑城の城兵がきもをつぶし、搦《からめ》手《て》をひらいて逃げだした。そのなかにむろん土岐頼芸もまじっている。頼芸は山伝いに北へ北へと逃げ、ついに越前境いを越え、一乗谷に本拠をもつ朝倉氏に保護された。
一方、尾張の織田信秀は——
信秀は、美濃の蝮めに煽動《せんどう》された尾張の反信秀派の騒ぎをすばやく鎮定すると、
「蝮めっ」
と、出陣の前の最後の酒をのみ干し、杯を地面にたたきつけてこなごなに割り、そのまま駈けだして馬にまたがり、美濃にむかって進撃した。
途中、頼芸の遭難をきいた。血の気の多いこの男は鞍壺《くらつぼ》をたたいて憤慨し、
「天も照覧あれ。美濃の蝮の非道を許し給うか、給うまい。織田弾正忠信秀、ただいまよりかの者を討滅して天意に叶《かな》わんとする。弓矢八幡大《はちまんだい》菩《ぼ》薩《さつ》、梵天帝釈《ぼんてんたいしゃく》、四大天王、日光菩薩、月光《がっこう》菩薩、北斗、南斗、七曜、九曜、二十八宿、三千星宿、夜叉明王《やしゃみょうおう》、大黒尊天、毘《び》沙門天《しゃもんてん》、大弁財天女、日域宇廟天照皇大神宮《にちいきうびょうてんしょうこうたいじんぐう》、われをたすけよや」
と知りうるかぎりの神々の名を、ならべ、全軍に聞こえる豊かな声量で呼ばわったから、信秀につき従う織田家の将士は、
——われらこそ正義の軍ぞ。
と感奮し、湧《わ》きあがるような武者声でこれに応じた。
信秀は国境の木曾川べりまで来ると、鞭《むち》をあげて遠霞《とおがすみ》にかすむ稲葉山城を指し、
「蝮はいま大垣城外にある。いま一気に河を渡り、脚のつづくかぎり息のつづくかぎり駈けて一挙にあの稲葉山城を屠《ほふ》る」
と、信秀みずから先頭に立ち、水音もすさまじく馬を入れた。遅れじと将士がつづき、やがて一万余の軍勢がことごとく河に入り、人筏《ひといかだ》で河の流れもとまるほどに群れひしめきながら対岸へ押しあがった。
信秀の勇猛さは、類がない。勇猛な上にこの男ほど、戦士の心を知っている男はない。
戦いは、狂である。
というのが、信秀の定義であった。将士を打って一丸としてことごとく狂たらしめるのだ。狂の火を点ずるのは、信秀の得意とするところだった。馬上、全軍に正義を鼓《こ》吹《すい》したのもそうだし、知りうるかぎりの神々の名を呼ばわったのもそれである。これによって将士は平素に倍する力を発揮するであろう。
織田軍団は、隣国の野を切りさくように驀《ばく》進《しん》した。
稲葉山城が、しだいに近づいてくる。
「者共、駈けよ、駈けよ、蝮は留守ぞ」
と行軍中の信秀は、たえまなく使番《つかいばん》を繰り出しては諸隊の脚を鼓舞した。
「はるかに木曾川の方面にあたって、人馬の砂《さ》塵《じん》のあがるのがみえまする」
という注進を庄九郎がきいたのは、そのころであった。
「詳しく物見して来よ」
と物頭級の斥候《せっこう》を走らせ、おのれはやおら床几《しょうぎ》から腰をあげながら、
「ちぇっ」
と、目の前の大垣城を見て舌打ちをした。城はすでにあと半日猛攻をつづければ陥ちるところまで行っているのである。
(信秀というやつもよく働く奴《やつ》よ)
とうんざりしながら、すばやく軍を部署し半数を残して大垣城にあたらせ、あとの半数に対しては、
「一令あり次第、神速に稲葉山城に戻《もど》れ。遅れる者はゆるさぬ」
と命じ、退却の支度をさせた。
そのうち物見の騎馬隊が馬をあおって馳《は》せもどってきて、
「尾張の織田信秀どのに相違ありませぬ。信秀どのみずから中軍より前に乗り出し、全軍風のように駈けております。稲葉山の御城にむかうものと思われます。左様、人数は一万五千ほど」
「貝を吹け」
一声、天にひびきわたるや、庄九郎の軍団の半分は潮の退《ひ》くように陣をはらい、稲葉山城にむかって駈け出した。
庄九郎、先頭。
「駈けよ、駈けよ」
と人馬の足をはげまし、あっというまに全軍ことごとく稲葉山城に入ってしまった。
その直後、信秀の軍が城下に乱入し、息つく間もなく城下の民家、寺、武家屋敷を手あたり次第に焼きはじめた。
どっと猛炎が、稲葉山の山麓《さんろく》のあちこちにあがり、やがて一面の火の海となり、黒煙は天をおおって、すさまじい光景となった。
信秀はその火を縫って城を攻めに攻め、かつ火箭《ひや》をさんざんに山麓の城郭内に射込んだから、城郭のあちこちから火の手があがった。
「それっ、道三を城ごと火《ひ》炙《あぶ》りにせよ」
と信秀は、騎馬であちこち駈けまわりながら精力的な指揮をした。
感心したのは、当の蝮の庄九郎である。
「信秀め、なかなか精を出すわ」
とつぶやいたが、敵のこんどの戦さぶりが一兵にいたるまで以前とちがうように思われた。全軍、死力をつくしている感じなのである。
庄九郎は赤兵衛をよび、
「そちは、消火につとめよ」
と、足軽小者、それに城中の女にいたるまで組織して消火隊をつくらせ、これには消火に専念させた。戦闘員が消火に手をとられて防戦がゆるむことをおそれたのである。
防戦だけしていたのではない。
機をみては城門をひらき、人数を突出させ敵に小打撃をあたえてはすばやく退却させた。それを何度も繰りかえした。
決して、決戦はしない。
理由があった。
(信秀めは、短気者じゃ。火の玉になって攻めているようだが、やがて疲れる。疲れるのは、まず二日目か)
それまでのあいだ、「蝮」の戦法は、いかにも、
——弱し、弱し。
という印象を敵にあたえるように、受け身受け身で防戦した。
とにかく、火事がたまらない。ここを消せば隣りで火を発し、応接にいとまがなかった。
消火隊長の赤兵衛は、終日火をくぐって駈けまわっているために、日没を迎えたころには、髪は焼けそそけ、具足のおどし《・・・》糸もあちこち焦《こ》げて、すさまじい姿になった。
「殿、殿」
と、さすがのこの男も庄九郎のもとに駈けてきて、悲鳴をあげた。
「火の手の脹《ふくら》まぬうちにあちこちと駈けて消してまわっておりますものの、このぶんではやがて手がまわりかね、どっと大きい炎《やつ》があがってしまえば手に負えなくなりますぞ。このように手ぬるい戦さばかりなさらず、なぜどっと押し出すことをなさらぬ」
「そちは、火を消しておればよい」
「しかし、ご覧のとおりじゃ」
と、両腕を垂れて泣きそうな顔をした。
「なるほど」
庄九郎は横目でみて、くわっと口をあけ、声を立てて笑った。
「火炎地獄の赤鬼が、亡者《もうじゃ》に負けて逃げだしてきたような姿だな」
「ご、ご冗談を」
「いまから音《ね》を吐くな。今夜からあすいっぱいの昼夜、まだまだ火を消さねばなるまい」
「具足も台無しじゃ」
「火消しに具足が要るか。その具足をぬいで濡《ぬ》れむしろを一枚かぶれ。ただし、カブトをかぶり、籠手《こて》、革わらじだけは付け、それも間断なく濡らしておけ」
庄九郎の声は、平日とかわらない。錆《さ》びたよく透《とお》る声である。
夜に入っても、城下はあかあかと燃えているから、織田信秀はその照明をたよりに昼とおなじ勢いで猛攻をつづけた。
(やるやる。あの男は寝ぬのか)
と庄九郎は、織田信秀という男の異常な精力に舌をまいた。
信秀は——
むろん、諸隊をたくみに部署しつつ、半数は交代々々でひき退《さ》げて、路上や焼けあとの民家で仮眠をとらせている。
しかし、夜明け前になって総員を戦闘位置につかせ、
「敵も疲れておる。疲れは互いだ。こうなれば励む側が勝つ。しゃにむに突撃してきょうの昼までにあの城を踏み砕いてしまうぞ」
戦さのもっとも怖《おそ》るべき敵は、兵の疲労である。兵は疲労してくれば、そのへんにころがっている牛《ご》蒡《ぼう》か大根のようになりはててしまい、ついには逃げる体力だけを残して、戦線をうろつくだけの存在になってしまう。
信秀はそれを知りぬいている。
しかしこの男の戦争の仕方は、庄九郎などよりもより強烈に賭《と》博《ばく》師《し》の性格があった。敵味方の兵の疲労度を賭《か》けるのである。というより、戦闘二日目の午前中ならば、なお自軍の体力は残っている。この体力のかぎりをつくして攻め立て、一挙に勝敗を決してしまおうというのであった。賭博でいえば、自分の有り金を、最後の勝負に張ってしまうのと似ている。
が、庄九郎のやり方はちがっていた。兵の賭博性よりも計算性に富んでいるといっていい。疲労を小出しにし、体力をあとへあとへと残させて、最後に、
——かならず勝つ。
という機をみつけて、どっと体力を放出するのである。
そのために、戦闘員にはいっさい消火させず、赤兵衛の隊に専念させた。赤兵衛の隊はこの疲労で倒れる者が続出したが、庄九郎は眉《まゆ》一つ動かさなかった。消火隊など、いかに死ぬまで疲労させようとも、かれらが最後の戦闘に出るわけではなかったから、その体力を惜しいとはおもわなかった。
その日の陽《ひ》が昇った。
信秀はいよいよ振い、ついに大手門を打ち破った。
大手門のすぐ内側に、庄九郎が数寄《すき》をこらして造営した例の自慢の居館がある。信秀の重臣平手政秀がかつて使者となって訪ねてきたとき、庄九郎が引見した新館《しんやかた》であった。
大手門に乱入した織田軍は、その新館を攻め立て、おびただしい犠牲をはらいつつ何度も肉薄した。
すでに、山の中腹の櫓《やぐら》まで指揮所を後退させている庄九郎は、新館をまもっている猪《いの》子《こ》兵助に使者を走らせ、
「火を放って焼き、三ノ櫓まで後退せよ」
と命じた。
こんどは、庄九郎自身が自分の城に放火したことになる。焼いて、信秀に新館を城攻めの拠点につかわれることをふせいだのである。
とにかく、信秀は大手門の内側まで攻め入ったが、これからの攻撃が困難だった。胸突くような山路を、登っては落ち、這《は》っては落ちしながら攻めねばならなかった。
ついに午後になった。やがて日も傾いてきたころには、織田軍の疲労ぶりは中腹から見おろしている庄九郎の目にもはっきり見て取れるようになった。
庄九郎は、逐次、多人数を繰り出して行って、織田軍の打撃を大きくした。敵の一拠点を奪ったものの信秀はだんだん防戦する立場に追いこまれ、日暮近くになると、
(もはや、これまでか)
と、さすがの信秀もこれ以上の防戦が不可能なことを知り、いったん城外の野に退いて兵を休養させ、疲労の回復を待って攻撃を再興する決意をし、
「退《ひ》き鉦《がね》を打て」
と命ずるや、いったん奪った新館を捨てて兵をまとめ、さっさと城外の野に退いた。
が、賭博をあきらめたわけではない。この夜半、総攻撃をおこすつもりで、実は思いきった手を打った。
大垣城の籠城《ろうじょう》軍に対し、
——城を捨てて、われと合流せよ。
と命じたのである。
信秀の命により、大垣籠城軍は城を出て野外に突出した。
(見たぞ)
と、心中叫んだのは、山腹で美濃平野の夜を見おろしていた庄九郎であった。はるか大垣城の方角にあたっておびただしい松明《たいまつ》が動くのをみて、信秀の決戦意図を察したのである。
(信秀の本軍はまだ準備が出来ていまい。めしも食っていよう。仮眠をとっている者もあろう。頃《ころ》はいまだ)
と庄九郎は、陣貝も吹かせず、鉦太鼓も打たず、伝令を諸隊に走らせて隠密《おんみつ》のうちに作戦意図を徹底させ、全軍を八隊にわけ、しずかに、しかし津波の寄せるように信秀の軍を包囲し、どっと打ちかかり、一兵もあまさじと攻撃した。
この庄九郎が断行した全軍投入の夜襲で織田軍は文字どおり粉砕され、四散し、ほとんど三分の一が屍《しかばね》となり、あとは三騎、四騎と危地を脱出し、信秀も命からがら尾張へ逃げかえった。
このときの織田軍の戦死者は五千人といわれ、この規模の戦闘では戦国史上空前の敗北とされた。
織田兵の死体は二カ所に大穴を掘って埋められた。塚は現在、岐阜市神田町の円徳寺と同元町二丁目に残っている。通称、織田塚とよばれる。
信秀は、この敗戦でほとんど再起不能にちかい打撃をうけ、その後めだった活動が熄《や》んだ。
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