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国盗り物語63

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:濃《のう》姫《ひめ》(蝮めにはかなわぬ)と、織田信秀はこんどほどそうおもったことはない。兵の三分の一をうしない、身一つで
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濃《のう》姫《ひめ》

(蝮めにはかなわぬ)
と、織田信秀はこんどほどそうおもったことはない。兵の三分の一をうしない、身一つで美濃平野から尾張古渡城に逃げかえった信秀は、まる二日、城内の寝所でごろごろ寝てばかりいた。
(この敗勢をどうするか)
という思案である。
敵は、美濃の蝮だけではない。国内にもいるし、東方にもいる。東方の敵は駿河《するが》・遠江《とおとうみ》を根拠地とする今川義元の大勢力であり、隣国三《み》河《かわ》の松平氏も今川と同盟して尾張の信秀に敵対している。
さいわい、信秀はこの東方の敵と戦ってはほとんどやぶれたことがないばかりか、すでにかれは三河の一部を侵略し、松平家数代の居城であった安祥城《あんじょうじょう》をうばい、この城を東方侵略の拠点として活動させていた。
いわば、東海の常勝将軍である。
(そのおれが美濃の蝮に)
とおもうと、腹が立つよりばかばかしくなる。なぜ兵を出すたびに負けるのか、自分でもよくわからない。
そのうち、美濃で敗れた家来どもが泥《どろ》と血でまみれた姿でもどってきた。
信秀はみずから城門まで出て、かれらにいちいち声をかけ、ときどき大声で笑い、
「あっはははは、怪我敗けじゃ、怪我敗けじゃ。いや、みなも大儀々々」
と唄《うた》うようにいった。
敗残の士卒どもも、自分たちの殿様がこの悲運のなかでも持前の陽気さをうしなっていないことにほっとし、沈みがちな士気が多少ともよみがえった。
この混雑のなかで信秀が怖《おそ》れていることが一つある。
(蝮めは、こんどこそ図に乗って尾張に攻めよせてくるのではあるまいか)
ということだった。蝮のふしぎさは、挑《いど》みかかってくる相手に噛《か》みつくばかりで、相手が半死半生になって逃げだしても、どういうわけか追ってこないことであった。
(しかし今度はわからぬ)
とおもい、信秀は敗退してもどって三日目に、にわかに軍勢を催した。さきほどの戦闘に出た者は休養せしめ、留守居をしていた人数をあつめて二千人の部隊を編成した。
「もう一度、稲葉山城に押し寄せる」
と、みずから先頭に立ち、木曾川を越えて美濃平野に入り、まだ味方の屍がころがされている新戦場にふたたびあらわれた。
夜である。
信秀は疾駆して稲葉山城下に突入すると、馬を駈けめぐらせて城下の家々に放火しはじめた。火の手があちこちにあがり、城内で急をつげる太鼓、半鐘が鳴りはじめると、
「退けえっ」
と絶叫しつつ信秀はまっさきに逃げ、木曾川までもどり、そこで馬をとめ、人数がそろうのを待って用意の船に分乗し、さっさと尾張に逃げもどった。
(こうしておけば、蝮めはまだ織田に力ありと思って攻めて来ないだろう)
という計算だったが、なににしてもこの男ほどの働き者はすくない。
それから数カ月、信秀は美濃の蝮が尾張に兵を動かすかどうかを、かたず《・・・》を呑《の》んで見まもっていたが、ふしぎなことに稲葉山城は鎮《しず》まりかえったまま、旗の動く様子もないのである。
(ぶきみなやつだ)
と信秀はつくづく思った。まるでひとり相撲をとらされているようなものであった。
が、蝮どころか、駿河の今川義元が信秀の敗報をきき、三河の松平広忠《ひろただ》とともに兵を動かして三河安祥城の奪いかえしに来る、という報をえた。
ただし、風聞である。
「ありそうなことだ、たしかめてみろ」
と、人に命じた。信秀はかねて今川氏の情勢をさぐるために数十人の間者を駿《すん》府《ぷ》(静岡)城下に入れ、商人、侍奉公人などの渡世をさせてある。
それらの何人かが帰ってきて、
「今川殿も、三河の松平からしばしば泣きつかれ、ついに安祥城の奪還を約束したげにござりまする。しかしいますぐには兵を動かしますまい。寒《かん》気《き》が去って、春、芽吹くころになりましょう」
ということであった。
信秀は、正直なところ安《あん》堵《ど》の胸をなでおろした。
そういう悪条件下でも信秀は好きな連歌をやめなかった。日課の馬責めもやめない。やめると、
——さすがの殿も、たびかさなる負けいくさで銷沈《しょうちん》なされたか。
と家中の者がおもうし、城下にそういううわさも立ち、ついには国中の者がそういう目で信秀を見、隣国にまで知れてしまう。
信秀は毎朝、暗いうちに起き、松明をともさせて城内の馬場へ出る。
ちょうどひと月ほど前、奥州の馬商人がみごとな青毛の駿馬《しゅんめ》をもってきたので、信秀は毎朝これに乗り、小《こ》半刻《はんとき》ばかり汗みずくになって責める日課が、このところつづいている。
この朝も陽の昇らぬうちから乗りまわし、東が白みはじめたころ、城内の「羽黒松」という根あがり松のところまできて鞍《くら》からおりようとすると、
「お父《でい》」
という声が、松の根方で湧《わ》いた。根の上に腰をかけている小僧がいる。
「なんじゃ、吉法師か」
信秀は口取りに手綱をわたし、大股《おおまた》でちかづいた。
「吉法師ではない。信長じゃ」
と、その小僧はいった。なるほど、小僧のいうとおりであった。かれは十四になる。すでに去年に元服させて、織田上総介《かずさのすけ》信長というしかつめらしい名乗りを名乗らせてあった。
数日前、この小僧が平素住んでいるなごや《・・・》城からやってきて城内であそんでいるということを、信秀は傅人《めのと》の平手政秀から聞いて知っていた。
会うのは、けさがはじめてである。
「あっははは、これは失礼した。つい口ぐせで吉法師といってしまう」
「お父《でい》は、呆《ぼ》けたな」
と、小僧は腰をおろしたまま、立ちもせずにいった。呆けるというような年ではない。信秀はまだ四十になったばかりである。苦笑しながら信秀が小僧の手もとをのぞきこむと、信長は両掌《りょうて》に大きな竹筒をかかえ、それを口にあててはしきりと啜《すす》りこんでいる様子であった。なかに粥《かゆ》が入っているらしい。
「そちは、一人か」
「ひとりだ」
と、信長はうなずいた。信秀はあきれ、
「中務《なかつかさ》 (平手政秀)の爺《じ》ィが泣いておったぞ、そちはすぐ城内をひとりで脱けだすそうではないか」
「城外《そと》のほうがよい。川や野や村には、おもしろいことがいっぱいある」
「なるほど」
信秀は笑ってとがめない。この男は、子供に対して放任主義というよりも、まるで躾《しつけ》をするというあたまをもっていないようであった。
「いまも、脱けてきたのか」
「夜中から脱けている。大手門の足軽衆とあそんでいた」
「それはなんだ、粥か」
と、信秀が竹筒をゆびさすと、信長ははじめて笑い、
「お父《でい》も飲め」
と、父親に竹筒を押しつけてきた。この小僧はその生母からさえうとまれ、小僧自身もたれにも懐《なつ》かぬたちだが、ふしぎと父親にだけは小僧なりに愛情をもっている。
竹筒は、その愛情の表現らしい。
信秀は、せっかくの粥をかわいそうだとおもったが、ちょうど馬責めでのど《・・》がかわいていたので、
「では、すこし貰《もら》おう」
と受けとり、ふちに口をつけ、いきなり傾けてのどに流しこんだが、流しこんでからげっと吐いた。粥ではない。くさい。たまらなく臭かった。
「な、なんだこれは」
「牛の乳よ」
と、信長は地面にこぼれた乳をもったいなそうにながめた。
「そちは、かようなものまで飲むのか。牛になるぞ」
「足軽衆もそう心配していた。牛になるかならぬか、飲んで試している」
「こいつ」
信秀はあきれてしまった。事情をきいてみると、夜中こっそり寝所をぬけだして大手門の足軽小屋へゆき、足軽をおどしつけて城外へ出、農家の牛小屋へ忍びこみ、足軽に授乳期の牛をおさえつけさせ、信長自身腹の下にもぐりこんで乳をしぼったのだという。
(こいつ、やはり痴呆《うつけ》かな?)
と信秀はしみじみ、この奇妙な小僧のつらを見た。家中ではひそかに、
——たわけ殿。
とよんでいる。そういう蔭口《かげぐち》も信秀はきいて知っている。生母の土田御前も、
——なぜあのようなうつけ者を世継ぎになされました。御子も多いことでありますのに、
といったこともある。精力漢の信秀は嫡子《ちゃくし》庶子ともに十二男七女という子福者で、この信長は次男であった。
——いや、吉法師は見込みがある。ただの狂児かも知れぬが、あるいは織田家を興す男になるかもしれぬ。
といっていた。もっとも世継ぎにするとき老臣のなかで難色を示す者が多く、家老の林佐渡守通勝も、
——吉法師さまは、よくはござりませぬ。御家の将来《すえ》をお思いくださるならば、勘十郎さまこそしかるべきか、と存じまする。
と諫《いさ》めた。勘十郎はすぐ下の弟で、行儀もよく、利口で評判の少年である。しかし信秀は首をふり、
——勘十郎は利口者だ。しかしただそれだけのことだ。
といって拒《しりぞ》けた。
「なあ、上総介よ」
と、信秀は友達のようにわが子をよんだ。
「ふむ?」
「ひどい服装《なり》をしている」
と信長の胸を指した。小《こ》袖《そで》はどろどろによごれ、いつも右袖をはずし、袴《はかま》は小者のはくような半袴《はんばかま》をつけていた。それだけでなく、どういうまじないなのか、腰のまわりに火打石を入れた袋やら、小石をつめこんだ袋やら、五つ六つ、ぶらさげている。
大小は、品のわるい朱鞘《しゅざや》であった。それをカンヌキに差している。
まげが、珍妙であった。この小僧の好みなのか、茶筅髷《ちゃせんまげ》なのである。元結《もとゆい》のひもも尋常でなく、真赤な糸でむすんでいた。
「その袋になにが入っているのかね」
「火打石などだ。便利でいい」
「なるほど」
なぜわざわざ火打石をもって歩かねばならぬのか、信秀には理解できなかったが、この子にはこの子なりの理由があるのであろう。
(思いもよらぬことを考える子だ)
感心はできないにしても、常識的でない、しかもなにかきわめて合理的な理由がありそうなこの扮装《ふんそう》に、信秀はこの少年の才能の可能性をぼんやりと感じとっていた。
「お父《でい》はまた蝮に敗けたか」
「まけた」
信秀は、正直にいった。
「蝮は、どうやらおでい《・・》よりつよいようだ。しかしおでい《・・》、どんなつよいやつでも、いくさの仕方によっては勝てるものだ。悲観することはない」
「べつに悲観はしておらぬ」
「それならばよい」
(ばかにするな)
と、信秀は苦笑した。

織田家の家老で信長の傅人《めのと》をも兼ねる平手中務大輔《なかつかさだゆう》政秀が、信秀の御前にすすみ出たのはその日のひる前である。
(はて、吉法師のことで泣き言でもいうのか)
とおもったが老人はべつなことをいった。
「美濃の一件でござる」
「ほう」
「殿には、山城《やましろ》入道どの(道三・庄九郎)に姫《ひめ》御前《ごぜ》がおわすことをごぞんじでござるか」
「知らん」
「以前、申したことがござる。いまはすでに十三歳になり、美濃の国中ではこの姫御前の美しさをたたえるうわさで持ちきりでござりまするわい」
「蝮めの子が?」
信秀は、意外な顔をした。
「なにを申される。山城入道どのはあれはあれで凛然《りんぜん》たる公達顔《きんだちがお》のおひとじゃ。それに正室の小見《おみ》の方は美男美女系といわれる明《あけ》智《ち》氏の出で婦人ながらも才あり、文雅の道に秀でておわす。そのお腹からでた姫御前ゆえ、才色国中《こくちゅう》にたぐいなしという評判もうそではありますまい」
「名は?」
「はて、存じませぬ」
政秀はくびをひねった。女子の名というのは家族のあいだのよび名で、公的なものではない。政秀の耳にまで入っていないのである。
姫は、帰蝶《きちょう》とよばれていた。
しかし政秀は、
「いま仮に、美濃の姫でありますゆえ、濃姫とおよびしておきましょう。天文四年三月のおうまれでございますから、若君より一つ下におわしまする」
「ほう、吉法師より一つ下か」
「左様」
と、平手政秀はそれだけ言い、あとはなにもいわず、じっと信秀の顔をみて口をつぐんだ。
(ふむ。……)
信秀は、首筋が真赤になった。政秀があたえた暗示は、信秀にとって多少の屈辱をともなうものだった。合戦ではとうてい蝮めに勝てぬため結婚政策によって和《わ》睦《ぼく》をはかるほうがよい、ということなのである。
「蝮めが、手ばなすかな?」
と信秀はわざと軽く言い、中指をまげて小鼻のあたりをことさらに掻《か》いた。
「左様、むずかしゅうござりまするな」
というのは、こちらが負けているのである。嫁取りの場合、つまり濃姫が美濃から人質として来るわけで、勝っている蝮としては寄越すはずがないだろう。
「そのうえ、山城入道どのにとってたった一人の娘御でござりまする。なにしろ非常な可《か》愛《わい》がりようでござってな、城に客がくるたびに連れてきて見せ、その利発ぶりを吹聴《ふいちょう》なされておるような狂態で」
「ほう、狂態か」
信秀には、目にみえるようであった。信秀は十二男七女も子供があるくせに、かれらを格別に可愛がるということがない。
(蝮らしいな)
とおもった。あく《・・》の強い人間ほど子を可愛がるという。つまり自己愛が強烈で、その自己愛の変形として子を溺愛《できあい》するのであろう。
「よし」
信秀は、右拳《みぎこぶし》でかるく掌《てのひら》を打った。
「政秀、その姫を若にもらおう。すぐ美濃へ発《た》つがよい。口上《こうじょう》はこうだ。両家の将来《すえ》ながい和睦《むつみ》のために、織田家の世《よ》嗣《つぎ》の室として濃姫をおむかえしたい、と。政秀、口上のときにわるびれてはならぬ。堂々というのだ」
「心得ましてござりまする」
政秀は信秀の前をひきさがり、なごや城内の屋敷にもどってすぐ出発の準備をととのえた。
まず、前触れとして人を美濃にやり、斎藤山城入道の取次ぎに会い、
——近く、織田弾正忠の家老職にて平手中務大輔政秀が主人の使いとして参りまするゆえ、よろしくお手くばりねがわしゅうござりまする。
と口上させた。
庄九郎は、
「はて、平手中務が」
と、くびをひねった。以前に信秀の使者として来たことのある武骨な老人である。それがなにをしに来るのか。
(あの老人は、たしか、以前にきたとき、自分は吉法師の傅人であると申していたな)
とふと思いだしたが、まさかあれほど叩《たた》きつけられた信秀が、ほうほうの体で尾張に逃げかえったあと、こんどはぬけぬけとこちらの姫を貰いたいなどと申してくることはあるまい、とおもった。
しかし諸事、周到な庄九郎のことである。
すぐ耳次をよび、
「伊賀者を何人か尾張に入りこませ、吉法師という世嗣がどんな者か、くわしくしらべて来させるように」
と、命じた。
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