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国盗り物語64

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:京の灯 それからほどもない。庄九郎が京のお万阿《まあ》に会うべく逢坂山《おうさかやま》を越えたのは、紙を漉《す》くころで
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京の灯

 それからほどもない。
庄九郎が京のお万阿《まあ》に会うべく逢坂山《おうさかやま》を越えたのは、紙を漉《す》くころであった。
むろん微行《しのび》の旅である。山伏《やまぶし》に姿をやつし、耳次ひとりを連れている。庄九郎主従が鴨川《かもがわ》にかかる三条橋を西にわたったころに、冬の日が愛宕《あたご》の山にしずんだ。
庄九郎は板橋をほたほたとわたりながら、薄暮の河原をながめた。
河原には、そこに二つ、むこうに五つというぐあいに、赤く燃えさかる火が点々と薄暮にうかんでいる。紙漉きの職人たちが、河原に大釜《おおがま》をもち出して紙のもと《・・》の楮《こうぞ》やミツマタの木を煮ているのである。
「耳次、あの火をみよ。冬の夕暮らしい風《ふ》情《ぜい》であることよ」
「はい、左様で」
耳次は気のない返事をした。この飛騨《ひだ》うまれで美濃ずまいの男には、めずらしい風景ではない。美濃は天下でも鳴りひびいた紙の生産国で、げんにこんど出かけるときにも、木曾川や長良川のほとりでこれとおなじような光景をみてきた。
「以前は、冬になればもっと多くの釜がこの河原に出たものだ。それが、これほどすくなくなった」
「京の紙がおとろえましたので」
「ふむ」
庄九郎は満足そうにうなずいた。
「わしが衰えさせたのだ。美濃から京へ、安くて良質な紙をどんどん流れこませた。京の紙座の連中はわしを悪魔のように憎み、美濃の斎藤道三ほどの悪党は、三千世界をかけめぐってもまず居まい、というようなわるくちを言いふらした。紙地獄に堕《お》ちるともいった。紙地獄とはどんな地獄かは知らぬが、ともかくいま京でわしほど評判のわるい男も居ないだろう」
「美濃でもわるうございますな」
耳次は、クスリと笑った。悪い、というのが男の強さをあらわす一種の美学的なことばで、庄九郎には不快にひびかない。
「美濃どころか、近江《おうみ》、越前、尾張、三《み》河《かわ》、遠江《とおとうみ》、駿河《するが》、どこでもわるい。天下第一等の悪人ということになっている」
破壊者なのである。守護職を追放し、ふるくからの商業機構である「座」を美濃においてぶちこわした。魔法のようにあらゆる中世の神聖権威にいどみかかり、それを破壊した。それをこわすためには「悪」という力が必要であった。庄九郎は悪のかぎりをつくし、ようやくその破壊のなかから、「斎藤美濃」という戦国の世にふさわしい新生王国をつくりあげた。
(しかし、お万阿と約束した「天下」が、はたしてとれるかどうか)
とれる、とおもっていたのは、若年のころである。年を経《へ》るに従ってそれがいかに困難な事業であるかがわかってきた。なにしろ、美濃という国を盗《と》ることに二十年以上の歳月がかかってしまった。あとは東海地方を制圧し、近江を奪《と》り、京へ乗りこむ。それにはもう二十年の歳月が必要であろう。
(いつのまにか、老いた)
五十に近くなる。
(もう一つの一生が)
と、庄九郎はおもった。
(ほしい。天がもう一回一生を与えてくれるならば、わしはかならず天下をとる。とれる男だ)
が、のぞむべくもない。

それから小半刻のちに、庄九郎は油問屋山崎屋の奥座敷で、お万阿とさしむかいで物を飲み食いしていた。庄九郎は酒をのみ、お万阿は菓子を食った。
「どこぞお体がおわるいのでございますか」
と、お万阿がきいたのは、これで二度目である。いつものようではなかった。この男が京に帰ってくるときは、いつもこの男の人生がすごろくのように一《ひと》目《め》あがったときで、いつのときもお万阿が熱気にあてられそうになるほど、意気軒昂《けんこう》としていた。
「わるくない」
妙に気弱そうに口もとをほころばせた。その口もとにはえているひげに、急にしらが《・・・》がめだっている。年をとったようであった。
「お老《ふ》けなされましたな」
「それよ」
とひと息に酒を干し、ひげに残ったしずくを手の甲でぬぐった。
「老けた。そのわびに来た」
「わびに?」
お万阿はくびをかしげた。老年は自然現象ではないか。
「すまぬ。こうして詫《わ》びる」
と、庄九郎は手をついた。お万阿はおどろいた。この権力きちがいが、権力にあこがれるあまりとうとう気がくるったのではないかとおもった。
「京には、もどれそうにない」
「えっ」
「美濃はやっと奪ったが、日数がおもったよりかかりすぎた。このぶんでは東海、近江と征服して京に旗をたて、将軍になるなどは夢であろう」
「旦《だん》那《な》さま」
お万阿はあやまられてぼう然としている。なぐさめるべきか、それとも、お約束がちがう、として激怒すべきか。お万阿はとっさにまよい、菓子を一つ食った。
「京都を出て美濃へ旅立つとき、将軍になって帰ってくる、そのときはそなたが将軍の北ノ方だ、といった。……そなたは」
「馬鹿《ばか》ですから待ちました」
とお万阿は、菓子をぐちゃぐちゃ噛《か》みながらいった。いまさらそう言われても、怒りもできず、悲しみもできず、ひどく現実感のない話になっている。
ただお万阿は、庄九郎の突っ拍子もない野望のために、ここ二十余年、妻でありながら寡婦《かふ》同然の境遇におかれてきたことは、これだけは手ざわりのたしかな実感であった。
「では旦那さま、美濃をお捨てなさい」
と、お万阿はいった。
「捨てて、京にもどっていただきます。まさか、将軍になれなかったからこのまま京へかえらず美濃に居すわる、などとおっしゃらないでしょうね」
「ふむ。……」
にがい顔で、庄九郎は杯のなかの液体を見つめている。お万阿のいうことが、理屈としては正しい、とおもった。お万阿をさんざんに待たせ、店をまもらせ、その店のあがりをずいぶんと美濃へ送らせた、いまさら美濃から帰らぬ、というのはどうも言いづらいことであった。
「それとも、美濃が惜しいのですか」
「惜しい」
と叫ぼうと思ったが、庄九郎は声をおさえ、なお杯の中を見つめている。
「それとも美濃にいらっしゃる小見《おみ》の方《かた》や深《み》芳《よし》野《の》殿やそのお子達とわかれるのがつらいのでございますか」
「言うな」
小さな声でいった。
「あれらの事はいうな。あれは斎藤道三の妻子であって、山崎屋庄九郎の妻であるそなたとは赤の他人だ。あれらのことをいうと話がややこしくなる」
「山崎屋庄九郎さま」
「なんだ」
「もう二度と美濃へ帰り斎藤道三などというえたいの知れぬ悪党におなりあそばすことは、おやめなされませ」
「この地上から斎藤道三という者を掻《か》き消してしまえというのか。さすれば尾張の織田信秀めはよろこぶであろう」
「織田信秀かなにかは存じませぬが、この山崎屋は油問屋があきないでございます。左様な物々しい名前など、もはや要らざること」
「あっははは、信秀がよろこぶぞ」
庄九郎が力なく笑ったのは、なかばお万阿の言うとおりにしようかともおもったのである。これは想像するだけでもゆかいなことであった。この戦国の人間地図から、斎藤道三という天下でもっとも強豪な者が、こつねんと消え去るのである。尾張の織田信秀は、あわてて信長・濃姫《のうひめ》の縁談をとり消し、足音もとどろに美濃へ攻め入るであろう。尾張と美濃とは、日本列島のなかではあぶら肉といったような肥《ひ》沃《よく》広大の地である。この二国をあわせ持てば天下を取ることもむずかしくないであろう。
(されば織田信秀が天下を取るか)
庄九郎は、さまざまに想像し、その想像をむしろ楽しんだ。
「いかがでございます。このまま山崎屋庄九郎として世をおわって頂けませぬか」
「そうさな」
あごをなで、ざらざらと撫《な》でながら剃《そ》り残しのひげをクンと抜いた。それもよいかもしれぬとおもった。
「お万阿のすきな庄九郎さまというのは、さっぱりしたいい男であるはずです。天下を得られぬとわかれば、さっさと美濃などを捨てて京で隠棲《いんせい》をし、風月を友に、きょうは舞、あすは連歌というようなぐあいに世をすごされるかただとおもいます。ちがいますか」
「お万阿だけさ、そう思ってくれるのは。東海のあたりではわしは食いつけば離さぬ蝮《まむし》だといわれている。われながらしぶとい」
「うん、しぶとい。お万阿もそう思います」
と、お万阿は笑いだした。
「かくべつにしぶといお方だけに、いったん無駄《むだ》だとわかれば、存外、余の人よりもさばさばと捨ててしまう、そういうお人ではありませぬか、山崎屋庄九郎という方は」
「かもしれん」
庄九郎もそう思えてきた。
「幼少のころから薄ひげのはえるまで、わしは寺門で暮らした」
「妙覚寺の法蓮房《ほうれんぼう》」
「ふむ、そういう名だった。人間、最初に染《し》みついた暮らしのしきたり、物の考え方の習慣からついに終生はなれられぬものかもしれぬ。わしは寺門をきらって俗世間に出た。出た以上、強者にならねばならぬとおもい、できるだけ仏門のことをわすれようとした。仏法は所詮《しょせん》は敗者に都合よき思想だからな、あれをわすれねばなにもできぬとおもった。そう思っていままで来たが、齢《とし》かな」
「え?」
「齢だろう。ちかごろになって妙に諸事がわずらわしくなり、できればもう一度出家遁世《とんせい》したいと思うことが多い」
「だから京にもどられますか」
(それは別だ)
と言いたかったが、庄九郎はお万阿の語気に圧され、なんとなくあいまいにうなずいた。
「うれしい」
とお万阿はいったが、なおうたがわしそうでもあった。あのね、といった。すぐにはお覚悟がつきますまい、ともいった。
「されば」
お万阿は庄九郎の手をとった。
「こんどはとりあえずひと月ほど京におられますように。ゆるゆるお考えなされてそれからのことになさればいかがでございます」
「そうだな」
庄九郎はもう一度うなずいた。
 が、その翌夜、庄九郎は逃げるようにして京を出、逢坂山を東に越えていた。お万阿の気づかぬあいだに脱け出たのである。
峠の上に足をとめ、ふりかえって京の灯を見た。
(もう、京へもどることはないかもしれぬ)
そう思うと、涙がにじんできた。こんどはお万阿にその旨《むね》を言い、詫びるつもりでもどってきた。その点、この悪党は、お万阿に対してだけはどこまでも律《りち》義《ぎ》だった。お万阿の人生を自分の野望の犠牲にしてしまったが、かといってこの男なりに粗略にはあつかっていないつもりだった。あれほど福相に富んだ縁起のいい女は、生涯《しょうがい》でふたりと会うことはないであろう。だから庄九郎は、あくまでも胸中ではお万阿を本妻であると念じてゆくつもりであった。いや本妻というよりも本尊といったほうが、適当なことばかもしれない。
(しかし、もう二度と会うことはあるまい)
すでに自分の人生が夕暮にさしかかっていることを庄九郎は知っている。いまや美濃を得、晩年にはあるいは尾張がとれるかもしれない。しかしそれで今生《こんじょう》はおわる。そう見通すことができる。そうとすれば、せっかく今生で得た領土を、どうしても捨てる気にはなれない。これは煩悩《ぼんのう》ではない。
と庄九郎はおもった。
美濃をすてれば、庄九郎の一生のしごとはなにもかも無に帰し、この男がなんのためにうまれてきたか、いや生まれてきたどころか、かれがこの世に生きたという証拠《あとかた》さえなくなるではないか。
(男の仕事とはそういうものだ、お万阿にはわからぬ)
と庄九郎はおもうのである。仏師が仏像をきざみあげてやっとそこに、
——自分がいる。
と感ずるように、庄九郎にとっては美濃は自分のいのちのしるしともいうべきかけがえのない作品なのである。
(捨てるどころか、しがみついてでもまもられねばならぬ)
とおもった。
庄九郎はもう一度京をふりかえった。京の灯は、すでに夜の靄《もや》のなかに消え、庄九郎が立っている道も、そして頭上の天も、塗りつぶしたような闇《やみ》にとざされてしまっている。
「耳次、松明《たいまつ》をかかげよ」
庄九郎はそう命じ、トントンと足ぶみをしてわらじのひもを馴《な》らしてから、くるりと京へ背をむけ、逢坂山を東国にむかって降りて行った。
 三日後に美濃についた。稲葉山城に入り、庄九郎は「斎藤道三」としての日常の生活に入った。かれが、八日ばかり城の奥から消えていたことを知っているのは、身のまわりの数人でしかない。
「耳次」
と、あらためてこの男を奥の庭へよんだ。
「尾張へやった伊賀者、まだ帰らぬか」
といった。濃姫とのあいだに縁談がおこっている織田信秀の息子信長という若者の男としての骨柄《こつがら》をさぐりにゆかせたのである。
「まだでございます」
「遅いな」
待ちかねる思いであった。婿《むこ》たるべき信長は稀《き》代《だい》のうつけ《・・・》者であるという。
(それが事実なら、運がよい)
と庄九郎はおもった。その痴呆《うつけ》の若殿がうつけであるのを幸い、やがては尾張を併呑《へいどん》してしまえるからである。しかしはたしてそれが事実なのかどうか。
「待ちかねるな」
「申しわけござりませぬ。それがしがじきじき行けばよろしゅうございました」
「いや、よい。いそぐことではない」
庄九郎は美濃へ帰って数日たったある日、わずかな供まわりを連れて城外へ出た。
冬の、晴れた日である。
「寺へ詣《まい》る」
とのみ、近習の者に洩《も》らした。それ以上、近習の者は、このなぞの多い主人からなにもききだすことはできなかった。
やがて川手の里についた。数百年来美濃の首都だった城下町だが、庄九郎がこれを廃し、稲葉山城を美濃の中心にさだめてから、それに繁栄をうばわれ、いまは野の中のただの人里になりはててしまっている。
山門がある。
鉄鋲《てつびょう》を打ち、城門を思わせるような壮大な門で、門の前には堀があり、それがぐるりと寺域をかこみ、これまた城郭のような大寺であった。
正法寺である。
美濃きっての大寺で、この寺が、代々の斎藤家の菩《ぼ》提所《だいしょ》になっている。
(おや、墓まいりをなさるのか)
近習の者は意外におもった。斎藤家の菩提所といってもこの斎藤家は庄九郎の名乗る斎藤ではなく、かれがほろぼしたかつての美濃の小守護家の斎藤である。史家はこの斎藤を「前《ぜん》斎藤」といい、庄九郎からはじまる斎藤を「後《ご》斎藤」とよぶ。
が、庄九郎は墓参はしなかった。
この大きな寺域には、塔頭《たっちゅう》とよばれる多くの子寺があちこちにある。
そのうち持是《じぜ》院《いん》という子寺の小門を庄九郎はくぐり、しかしながら庫裡《くり》にはゆかず、そのまま小さな冠《かぶ》木《き》門《もん》をあけさせてじかに庭へ入った。庭ははやりの東山ふうで、苔《こけ》と石が多い。その苔を踏み、庄九郎は池のほとりを歩いた。
一殿があり、そのなかからよくとおる女性の声で、看経《かんきん》がきこえてきた。
声のぬしは、庭の侵入者に気づいたのか、ふと、経を誦《よ》む声をとだえさせた。
庄九郎は、ぬれ縁に腰をおろした。
それとほとんど同時に、カラリと明り障子がひらいた。
あっ、
と美しい尼僧が小さく声をあげ、しかしひどく迷惑そうに眉《まゆ》をひそめ、指をそろえ手だけはついた。深芳野である。
庄九郎が彼女のもとのあるじの頼芸を追ったとき、深芳野はかれにだまって落飾《らくしょく》してしまった。その後この持是院に住み、世を捨ててしまっている。
「息災かな」
庄九郎は庭を見ながらいった。
背後では、なんの声もない。ただ、こっくりとうなずいただけなのか、それとも庄九郎とは口をききたくないのか。おそらく後者であろう。深芳野にすれば自分を旧主頼芸からうばっておきながらついに妾《めかけ》の位置にすえつづけたまま正室を他からむかえ、しかも旧主頼芸を国外に放逐《ほうちく》した庄九郎の仕打ちを深くうらんでいる。その上、ここ数年、この男の閨室《ねや》によばれることさえなかった。
「よい住いだ。そなたと入れかわってわしのほうこそここに住みたい」
庄九郎は笑った。
深芳野は、だまっている。庄九郎は庭を見たまま、不自由なこと、ほしいものなどあるか、あれば気ままに申し出てくれ、といった。
「べつにござりませぬ」
深芳野は、やっと声を出した。
そうか、と庄九郎はうなずき、なおも庭を見たままであった。さすがにこの男も、深芳野と目をあわすことを気重く感ずるようになったのであろう。
どことなく、心に気弱さが出てきた証拠といっていい。
「また来る」
と庄九郎は立ち上がり、ふりかえらずにそのまま歩きだした。
広い、いかつい背が、深芳野の視野のなかにゆれ動いている。深芳野の眼にはおよそ人間の感情のかよわぬ、途方もない怪物の背のようにみえた。
背が冠木門から消えた。
……深芳野はひどく乾いた瞳《ひとみ》で、しかも一度もまたたきせずに見送った。庄九郎が消えるやいなや、彼女は身をひるがえし、音もなく障子を閉めた。
そのあと、白い障子のむこうにはじめて小さな異変があった。低い、聞きとれぬほどの忍び哭《な》きの声が、しばらくつづいた。
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