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国盗り物語99

时间: 2020-05-25    进入日语论坛
核心提示:花籠《はなかご》 越前へ。光秀の足はいそいでいる。覚悟のほぞ《・・》もきまっていた。ぜひとも国主の朝倉義景《よしかげ》を
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花籠《はなかご》

 越前へ。
光秀の足はいそいでいる。覚悟のほぞ《・・》もきまっていた。
ぜひとも国主の朝倉義景《よしかげ》を説いて、義秋の保護者たらしめるだけでなく、信長に先んじて朝倉軍を京に進めしめ、三《み》好《よし》・松永の徒を討ち、義秋を将軍の座にお付け申さねばならぬ……。
(この舌がちぎれるほどに説きに説けば、なまけ者の義景様もその気になるであろう)
信長の先を越すことだ。そのことのみが光秀の情熱を駆り立てている。
やがて越前朝倉家の首都一乗谷に入った。光秀は、わが屋敷の前を通った。
垣《かき》根《ね》の木槿《むくげ》の葉がすでになかばまで枯れ落ち、粗末な母《おも》屋《や》が透けてみえた。
(お槙《まき》がいる)
井戸のそばでしきりと水音を立てながらすすぎものをしている様子であった。
(お槙よ)
胸中つぶやきながら光秀は立ち寄りもせず、声もかけずに通りすぎてゆく。
(新しい小《こ》袖《そで》の一つもほしいであろう)
垣《かい》間《ま》みたお槙の小袖の古びようが、光秀にはいたいたしいばかりであった。
むこうの辻《つじ》のあたりから、従弟《いとこ》の弥平次光《みつ》春《はる》が魚籃《びく》をさげてやってきた。しばらく見なかったあいだに、見ちがえるばかりのいい若者に成長している。
「あっ、これは」
と、弥平次光春が駈《か》け寄ってきた。光秀は歩みをとめもせず、
「いま帰った。京、奈良、近江《おうみ》、尾張、美濃を歩き、さまざまなことがあった。いずれ帰宅のうえ話すであろう」
「お屋敷にお寄りも遊ばされずに?」
「おうさ、いますぐお屋形へ参上する。夜に入って帰ることになろう」
「されば酒を買いもとめて参りましょう。肴《さかな》はこれにございます」
と、魚籃をかかげてみせた。
「鮒《ふな》か」
「いやいやアメノウオでござりまするよ」
「それは馳《ち》走《そう》だ」
光秀は足早やに歩きだした。弥平次光春は立ちどまり、しばらく光秀の後ろ姿を見送っていたが、やがてくるりときびす《・・・》をかえすと屋敷にむかって走りだした。一時もはやく光秀の妻女にそれを告げたいのであろう。
井戸端で、お槙はそれを知った。
みるみる頬《ほお》を染めながら、
「まこと?」
と、三度ばかり念を押し、弥平次が気の毒に思うほどお槙はあわてた。しかしなにもあわてる必要もない。
すぐ屋内に入り髪をと《・》き、化粧《けわい》を直そうとした。が、それもやめた。
窓のそとをみた。
隣家の楓《かえで》が枝をのばしてお槙の視野のなかにある。一枝は枯れ、一枝は赤い。それをながめるともなくながめつつ、お槙はぼうぜんとすわりつくした。
そのころ、光秀は殿中にある。
控の間で待つあいだ、懇意の奥医師から意外なことをきいた。
「土佐守様、お病《いたつ》きでござりましてな」
光秀を陰に陽に応援してくれている家老の朝倉土佐守のことである。ここ二十日ばかり、ほとんど食餌《しょくじ》ものどに通らず、床に伏したきりであるという。
光秀は根掘り葉掘りに病状を問い、問いかさねるうちに悲しみがこみあげてきた。朝倉家家中では、土佐守のみが頼りであった。こんどの工作も、土佐守を通して義景に口説いてもらおうと思って戻《もど》ってきたのである。
(なぜこうも事がうまくゆかぬのであろう)
「それで、土佐守殿の御病中は、どなたがお屋形様の補佐をなされております」
「刑部《ぎょうぶ》どのが」
「ほう、刑部どのが」
光秀が驚くと、この奥医師はその刑部というあたらしい権勢家に好意をもっていないらしく、光秀の耳もとに口を寄せ、
「お屋形様のご機《き》嫌《げん》よりも刑部殿のご機嫌を損ずるな、と家中では申しております。ずいぶんとお気をつけ遊ばしますよう」
と、忠告してくれた。
「刑部どの」というのは、鞍谷刑部《くらたにぎょうぶ》大輔《だゆう》嗣知《つぐとも》というのが正称である。この人物の朝倉家における位置をどう説明してよいか。
家来ではない。
義景でさえ敬語をつかい、まるで貴人のあつかいをしている人物である。家中ではこの嗣知のことを、「御所」と敬称していた。なにしろ血統からいえば越前国主朝倉家よりもはるかにいい。
京で例の「金閣」を営んだ足利三代将軍義《よし》満《みつ》の次男大《だい》納《な》言義嗣《ごんよしつぐ》の子嗣俊《つぐとし》が、ゆえあってこの越前に流され、今立郡鞍谷《いまだちごおりくらたに》に住み、その後、嗣時、嗣知とつづいている。
国主の朝倉家は名家好きだからこの鞍谷家に所領をあたえて保護しつづけていたが、当代の義景にいたってさらに縁が深くなった。
義景の内室は、この鞍谷家からきているのである。
このため鞍谷嗣知は国主の舅《しゅうと》となり、しだいに政治むきにまで嘴《くちばし》を容《い》れるようになり、土佐守の病気退隠後は、まるで家老同然の権力者になりおおせている。
(あのあばた《・・・》殿がのう)
光秀は言葉をかけられたことはないが、かつて遠目でみたとき、その軽忽《けいこつ》そうな歩きざまから察して、常人以下の人物のように思った記憶がある。
(左様なひとに国政をゆだねているとは、朝倉家もゆくすえ心細いものだな)
尾張の新興織田家は極端すぎるほどの人材主義をとっているが、この越前朝倉家は多分に血統尊重の旧習からぬけきれない。
(それはそれでよいのだ)
とも、光秀は、半ば思っている。血統尊重主義なればこそ、足利家の擁立をこの朝倉家に頼みうるのだ。人を機能としか見ていない信長などに足利家の保護はあぶなくて頼めたものではないのである。
光秀は、だから朝倉家のそういう血統《ちすじ》好みがきらいではない。光秀自身、尾張の藤吉郎などとやらとはちがい、美濃の名家の出であり、それを誇りにも思っているのである。
(しかし庸劣《ようれつ》無能の宰相はこまる)
とも、思う。国主の補佐役はあくまで有能でなければならない。宰相の無能は亡国につながっている。とすれば無能ほど大きな罪はないというのが光秀の持論であり、その考えの源流は故道三から得ている。
「十兵衛殿、これへ」
と、申次《もうしつ》ぎの者があらわれ、案内した。光秀は廊下に出、やや小腰をかがめ、この男らしい慇懃《いんぎん》な作法でひそひそと渡ってゆく。
御前に出た。
義景は、児《こ》小姓《ごしょう》五、六人を相手に昼酒を飲んでいた。他に宿老の者がふたりいる。
(鞍谷御所はいない)
ということが、光秀を安《あん》堵《ど》させた。光秀はすでに衣服をあらためており、ものしずかに平伏している。
「なんの用ぞ」
と義景がいったのには、光秀も驚いた。自分は朝倉家の外交をうけもって諸方を奔走してきたつもりである。その奔走なかばで帰国したというのに、
「なんの用ぞ」
とはどういうことであろう。別に義景に悪意があってのことでないのはわかっているが、それにしても光秀は甚《はなは》だしく気落ちした。
「例の義秋様の一件なら、そちの勧めのとおりご身辺警護の人数もさしのぼらせたし、金品も献上し奉ったぞ」
「はい」
「ほかになんぞ、また思いついたか」
「思いつきは致しませぬが、御当家存亡の心配があり、いそぎ帰国いたしましてござりまする」
「大げさな」
義景は笑いだした。
「いったい、何をいいたいのだ」
「このたび、尾張・美濃のあたりを歩き、織田家の様子をつぶさに見聞して参りました」
と、光秀は、信長のすさまじい膨脹《ぼうちょう》ぶりをつぶさに物語った。
「妙なことをいう」
義景は、賢《さかし》らげに冷笑した。
「そちはさきに帰国した折り、信長はさほどの人物にあらず、織田家の勢いは青竹で岩をたたいているようなものだ、勢いすさまじき音こそ出ているがいずれ青竹がささら《・・・》のように割れてくだける、と申したばかりではないか」
「いかにも左様に」
光秀は、言葉を失った。そう報告したことはたしかである。しかしそれとこれとは言葉の意味がちがうのだ。
「信長の勢いは青竹である、さきでかならず割れる」といったのは、遠い将来を遠望しての信長観をのべたにすぎない。
いま言っているのは、足許《あしもと》に火が燃えはじめているその現況を語っているのだ。言葉にいささかの矛盾もないのである。
「信長は美濃を手に入れた以上、あとは近江に進出して義秋様を擁立し義秋様の御教書《みぎょうしょ》をもって京に軍を進め、三好・松永の徒を追いはらい、足利将軍家を擁立するでありましょう。あの火の付いたるがごとき働き者のことゆえ、かならずそれを致すに相違ございませぬ。されば、御当家は」
光秀は、いった。
「織田家に遅れをとることに相成ります。越前は北、尾張は南、南北の方角こそ違え、近江をはさんでの京への距離はほぼ同じような近さでございます。こうなれば、ご当家と織田家は競馬《くらべうま》も同然、どちらが早く京へ達するかということで存亡が相きまります」
「どうせよというのだ」
「幸い、御当家は北近江の浅井家と御《おん》友誼《よしみ》がお深うございます。浅井家と盟約し、はやばやと大軍を発せられ、近江の湖畔に在《い》ます義秋様を擁立なされ、京にお旗を立てられまするように」
「その留守をねらい東隣の加賀(本願寺一《いっ》揆《き》団)が攻め込んで来ればどうするのじゃ」
「さればこのさい、越後の上杉《うえすぎ》(謙信)家と同盟を結ばれるがよろしゅうございます。上杉家は義秋様に御同情申しあげておりますゆえ、この同盟はやすやすと成立するに相違ございませぬ」
光秀は、さらに快弁をふるい、義景に説いた。義景はあきらかに気持を動かした。
ついに承知した。
「十兵衛、相わかった」
とめずらしく煮え切り「さればさ、京に入って都の酒をのみ、都のおなご《・・・》を掻《か》い抱くのが楽しみになってきたわ」といった。
光秀は、退出した。
が、城門を出ようとしたとき、義景から使いがきて「待て」という。光秀は何ごとか、と思ったが、とにかくあてがわれた詰め間に入り、義景の命《めい》を待つことにした。
二時間ばかり待つうちに日が暮れ、腹が減ってきた。が、なんの命もない。
(いったい、どういうことか)
光秀は、行儀よく端座している。朝倉家のしきたりで家臣には湯茶を出さない。乾きと餓《ひもじ》さで視力までが霞《かす》みはじめたが、なおも光秀は膝《ひざ》をそろえ、背をのばして待ちつづけた。
 その間の義景のことは、待っている光秀は当然知らなかったが、あとで聞いた。
愚劣なことが、奥でおこなわれていた。
先刻、光秀が退出したあと、義景はいまにも京にのぼれるような気になり、座を立ち、廊下を走り、奥へ駈け入って酔ったまぎれに法螺《ほら》を吹きちらし、例の「都のおなごが楽しみぞ」という言葉も、ついつい口走った。
それが、奥方の耳に入った。奥方は使いを走らせて城内の装束《しょうぞく》屋敷にいる実父の鞍谷刑部大輔嗣知に訴えた。
嗣知はさっそく義景に拝謁《はいえつ》し、
「なにをおうろたえなされておる」
と、一喝《いっかつ》した。
嗣知のいうのは、朝倉家が京に旗を立てるなどは夢の夢である。もし義景が国を離れれば加賀の本願寺勢が越前に一揆をおこさせ国はたちどころに亡《ほろ》びてしまう。
「もともと」
と、嗣知はいった。
「一国の国主たるお人が、流れ者の才弁に踊らされるとはなげかわしい。それに、さほどの大事を、この刑部にひとことの御相談さえないのはどういうことでござる」
「刑部、わかった、あれは座興じゃ」
「酒の座の?」
「左様、酔ったまぎれに」
「さればただいまのこと座興であったと十兵衛にお伝えなされ。あのような者は、城下でどのように言いふらすかわかりませぬし、それに国外へも越前朝倉家出勢、などという訛《か》伝《でん》を撒《ま》きちらすかもしれませぬ。世間への影響が大きゅうござるゆえ、たったいま呼びとめて、その旨《むね》ご念を押されよ」
 このようないきさつで、近習《きんじゅう》が走ってきて光秀に「待った」を伝えたのである。
やがて義景の旨を受けた宿老の朝倉左《さ》膳《ぜん》という老人が光秀の詰め間にやってきて、
「なにやらくわしいことはわからぬが、お屋形様はただいまの一件、あれは座興よ、そう申し伝えよ、ということであった。御用はそれのみじゃ。相わかったか」
といった。
光秀にはわからない。なにかこの言葉の意味に裏があるのかと思い、懇意の申次衆《もうしつぎしゅう》にきくと、別に裏も表もない。
(これはまるで狂言じゃ)
光秀は嗤《わら》う気力もない。命を賭《と》して奔走した天下の大事が、一乗谷の殿中では酒の座の座興でしかない。
光秀は、屋敷にもどった。
湯殿で旅塵《りょじん》をおとし、小座敷に出、妻子と弥平次のあいさつを受けた。
やがてお槙がととのえた膳部が運ばれてきたが、光秀は浮かぬ顔でいる。
みな、息をひそめるような表情で、光秀の重い沈黙を見守っていた。
やがて光秀は気をとりなおし、
「弥平次もすごせ」
と、杯をあたえた。弥平次は、酒をたしなまぬ明智家の血すじとしてはめずらしく酒量のある若者である。
光秀は数杯かさね、顔が赤くなった。
「聞け、弥平次」
と、光秀はむせぶような声でいった。
「男子の体には嵬《かい》という石がある」
「石が」
「嵬、と書く。形状、石のごとし。わが嵬は育たんと欲して育たず、夜、ひそかにすすり泣いている」
弥平次は顔を伏せて酒をすすっている。事情はわからないが、光秀の心底の慄《ふる》えは、お槙と弥平次の胸に痛いばかりに響きつたわっていた。
「ほう」
と、光秀は、一座の気分を変えるため、いまさら気づいたように床の間をふりかえった。
そこに、さきほどの魚籃がかざられている。その魚籃に紅葉一枝を活《い》けてあるのが、花活けの壺《つぼ》のないせいでもあったが、かえって侘《わ》びに叶《かな》っていて雅趣がある。
「この心憎さは、お槙か弥平次か」
といいながら光秀は手をのばしてその魚籃をとりあげ、
「よい花籠《はなかご》」
と、弥平次に渡した。
「弥平次、いまわしが今様《いまよう》をうたうほどに、そちは手の動くまま、足の動くままに、ほどよく舞え」
弥平次は、左小《こ》脇《わき》に籠、右手に扇子をとって立ちあがった。
「謡《うた》おうぞ」
光秀は、ひくい声でうたいはじめた。
花籠に
水をば入れて
月影《つき》宿《やど》し
漏らさじと
漏らさじと
持つが大事ぞ
京ではやっている今様らしい。歌詞の意味は、叶わぬ恋の恨みをうたっている。花籠には当然ながら水は入れられないし、ましてや月影をやどせるわけのものではない。しかしそれでもなお、仇《あだ》し男《おとこ》は籠に水を満たそうとし、月影を宿そうとしている。
その志のむなしさ。
謡っている光秀はわが志の満たされずに啾《しゅう》々《しゅう》と哭《な》く声を、この恋の今様に託そうとしているのであろう。
舞いながら、弥平次の胸にもそれがつたわってきている。泣くまいと懸命にこらえているこの若者の表情が、ふと天の人のように美しい。
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