まったく、転変。
将軍後継者足利義秋らがこの湖畔の村を立ちのかざるをえなくなったのは、頼みにしていたこの南近江の大名六角氏が、にわかに寝返ったからである。
(そうか、六角が。——)
光秀はぼう然とする思いで、おもった。
人の心は頼みにならぬ。近江半国の国主六角氏は、京で日に日に成長しつつある三好三人衆の勢力におそれをなし、(いまのように義秋さまを保護していては、わが身のためにならぬ。三好のために義秋もろともほろぼされてしまう)と恐怖したのであろう。
恐怖しただけではない。
寝返ったのである。三好三人衆がかついでいる将軍後継者の義栄を支持することに決するや剣をさかさまにひるがえし、こんどは義秋を追おうとしたのである。
六角の軍勢はすでに琵琶湖《びわこ》の南端の坂本に集結しているという。
しかも。
この矢島村の地侍の「矢島同名衆」という小集団も六角氏に内通し、今夜にも義秋の館《やかた》に攻めこもうとしている、という情報も入っている。
一刻の猶《ゆう》予《よ》もならない。
というわけで、この夜逃げさわぎがおこっているという次第である。
(事情はわかった)
光秀は、働きはじめた。弥平次以下の自分の家来を指揮して、荷物を作らせたり運ばせたりした。
弥平次は、甲斐々々《かいがい》しい若者である。立ち働きながら、
「殿」
と、光秀にいった。
「それがしはこのお館に残ります。もし義秋様を討たんずる敵が押し寄せてきたとき、ここにて斬《き》り防ぎをなし、みごと討死つかまつりとうございます」
「そちも逃げるのだ」
光秀にとっては、義秋も大事だが、将来の自分の侍大将ともなるべきこの若者の命も惜しい。
「命をむざ《・・》と捨てるな。人間、志への道はながいのだ。いま、われわれはそのながい坂の登り口にさしかかったばかりにすぎない。弥平次、まだ命を捨てるときではないぞ」
「はい」
しかし弥平次には、別なことで疑問があった。この荷物である。つまり、義秋の家財道具であった。最初、無一文だった義秋も、諸国の大名が送りつけてきた贈りものが貯《た》まりに貯まって、ちょっとした物持になっているのである。弥平次の疑問は、
(これだけの武具や家財を運びつつ逃げるのか)
ということであった。荷物が邪魔になってとうてい逃げられぬであろう。
「殿はどう思われます」
「捨てるのだ」
光秀は、独断でいった。
「わしに一計がある。弥平次、このあたり一面にころがっているめぼしい荷物を船に運び入れて一足さきに堅《かた》田《た》(対岸)へ舟出せよ。堅田で捨ててしまえ」
「と申されますると?」
「堅田衆は、源平のころいらい、この琵琶湖の水上をおさえている海賊衆だ」
それを荷物で手なずけてしまえ、と光秀はいうのである。
「そうときまれば早くせい。わしは義秋様をおまもりしつつ後刻、舟出する」
そう言いのこして光秀はその場を離れた。
義秋のそばにゆくと、側近の幕臣たちは育ちがいいだけにすでに顔色がない。顔ぶれをみると、一色藤長、三淵藤英《ふじひで》、飯河信堅《いいかわのぶかた》、智光院頼慶《らいけい》らである。
細川藤孝だけが、落ちついてあれこれの指揮をしていた。指揮されている小侍どもは、甲賀の豪族和田惟政《これまさ》の配下の甲賀衆である。
「甲賀衆は平素山坂を駈《か》けまわって山仕事をしているだけに、手器用、足器用でよいな」
と、光秀がつぶやくと、細川藤孝があゆみ寄ってきて、
「荷物が多すぎる」
と、当惑顔でささやいた。
義秋が、荷物に執着しているらしいのである。無一文で寺から逃げ出した貴公子だけに財宝というものには人一倍の関心があるのであろう。
「藤孝殿、捨てていただくのだ」
「いやいやわれわれ近侍する者の言葉をなかなかお用いにならぬ。そこへゆくとおぬしは自由な立場にある。しかもお気に入りでもある。おぬしの口からお説き申してくれぬか」
「さあ、できるかな」
光秀は自信がなかったが、とにかく階の上にのぼってみた。
「やあ、十兵衛か」
と、義秋は光秀を見てよほどうれしかったのか、かるがるしいほどの挙措《そぶり》でひさしの下へ出てきた。光秀はあわてて濡《ぬ》れ縁にひざまずいた。
「まったく」
と義秋はいった。
「わしには仏天の御加護があるのかもしれぬ」
「とは?」
「その証拠にわしの危難のときにはつねにそちがあらわれる。そちは毘《び》沙門天《しゃもんてん》の化《け》身《しん》ではあるまいか」
「おそれ入ります。——しかしながら」
と、光秀はせきこんでいった。
「このたびの御危難は奈良の一乗院を脱出あそばされたときとは大ちがいのようでござりまする。坂本には六角勢が一万ばかりもあつまっていると申すではござりませぬか」
「そちに妙案があるか」
「事、ここまで窮しますると、少々な妙案妙手は通用いたしませぬ。小細工を用いるより、裸身ひとつを天にまかせ、禅家でいう大勇猛心をふるって一直線に御退去あそばす以外にございませぬ」
「そちは奈良でわしを脱出させてくれた。こんどもすべてそちの宰領《さいりょう》にまかせよう」
「おまかせくだされまするか。さればあれなるおびただしい御什宝《ごじゅうほう》をお捨てあそばしますように」
「什宝を」
義秋はいやな顔をした。せっかく無一物の境涯《きょうがい》からぬけ出して、やっとこれだけの什宝で身分を飾れるようになったのではないか。
「こまる」
というと、光秀は声をはげまし、
「後日、日本国をその御手におつかみあそばす公《く》方《ぼう》様(義秋)ではござりませぬか。これしきの什宝など、それからみれば塵芥《ちりあくた》のようなものでござりまする」
(なんと器量にとぼしい公方さまよ)
と、光秀はなさけなくなった。
「まかせる」
「あっ、おまかせくだされまするか」
光秀は階を駈けおり、細川藤孝と相談のうえ、荷物の半分は対岸の堅田海賊にくれてやり、あとの半分はこの場に捨てちらかしておくことにした。
「この場に捨てておくのは」
と、光秀はいった。
「この土地の地侍に掠奪《りゃくだつ》させるのだ。かれらが掠奪しているあいだ、刻《とき》がかせげる。たとえ一町でも遠くへのがれることができる」
脱出は、夜、決行した。
一艘《そう》の船が野洲《やす》川《がわ》の河口をはなれて湖上にうかんだとき、岸辺に点々と松明《たいまつ》がうごきはじめた。
(矢島の地侍どもだな)
光秀の計略が図にあたった。この男は、義秋に脱出の宰領をまかされたあと、すぐ矢島同名衆に手紙を書き、
「公方様はすでにお落ちあそばした。われわれがそのあとの御什器を管理している。しかし夜に入って陸路、逃散《ちょうさん》するつもりだ。そのあとの御什器はそこもとらの掠奪にまかせるゆえ、後追いはするな。たがいに命を惜しみ、戦いを避けようではないか」
と申しつかわせてある。地侍などは存外その手でころぶものだ。
船は、湖心に出た。
「そろそろ、月の出でござりまするな」
と、歌人の細川藤孝はいった。今夜はどういうめぐりあわせか、八月の十五夜にあたっているのである。
言うほどに、東天がにぶい金色に燻《いぶ》されはじめたかとおもうと、野のはてに満月がのぞいた。それがみるみる昇りはじめ、湖上は昼のようにあかるくなった。
波が立っている。海の波とは異なり、この湖の波は三角の形状をなしていた。その無数の三角波が、黄色にかがやいた。
「なんとみごとな」
と、藤孝は、詩心をおさえかねたようにうめいた。
「これが落ちゆく身でなければ」
と、いったのは、船のとも《・・》にいる智光院頼慶であった。落人《おちゅうど》の境涯でなければみごとな風趣であろう、という意味なのであろう。
それをきいて細川藤孝が、歌人にしては野太すぎるほどの不敵な声で笑った。
「落人の身なればこそ興趣があるのだ」
(藤孝の面魂《つらだましい》よ)
光秀は、月光のなかで、細川藤孝という武門貴族にそだった盟友をあらためて見なおす気になった。
藤孝の豪気な一言で、一座がそれぞれ性根をすえたらしく船中の空気がひどく落ちついてきた。
義秋までが、
「善哉《ぜんざい》、善哉」
と、坊主くさい囃《はやし》を入れて気持を浮き立たせはじめ、
「どうじゃ、みな一首ずつ、風懐《ふうかい》を歌いあげては」
といった。
「それはおもしろうございますな」
若い一色藤長がふなばた《・・・・》をたたいてことさらにはしゃいでみせ、即興の一首を作った。
みなあらそって作った。
その巧拙さまざまな歌を、几帳面《きちょうめん》な細川藤孝は矢《や》立《たて》の筆をとり出して手帳に書きとめている。
最後に、光秀と藤孝が披《ひ》露《ろう》した。どちらも当然ながら群をぬいた出来ばえであった。
一巡おわってから義秋が、
「詩ができた」
といった。漢詩である。
「こういう怱忙《そうぼう》の間《かん》だから、平仄《ひょうそく》もろくにととのっておらぬかもしれぬが、とりあえず披露してみよう。藤孝、光秀、笑うなよ」
(どんな詩なのか)
光秀は、はげしい興味に駆られた。古語にも詩は志であるという。志とは男子の心情のひびきのことだ。義秋という男の器量の底が、あるいはわかるかもしれない。
義秋は、ひくく吟じはじめた。
それを聴くうちに、光秀はしだいに驚きの気持を高めて行った。
将軍後継者足利義秋らがこの湖畔の村を立ちのかざるをえなくなったのは、頼みにしていたこの南近江の大名六角氏が、にわかに寝返ったからである。
(そうか、六角が。——)
光秀はぼう然とする思いで、おもった。
人の心は頼みにならぬ。近江半国の国主六角氏は、京で日に日に成長しつつある三好三人衆の勢力におそれをなし、(いまのように義秋さまを保護していては、わが身のためにならぬ。三好のために義秋もろともほろぼされてしまう)と恐怖したのであろう。
恐怖しただけではない。
寝返ったのである。三好三人衆がかついでいる将軍後継者の義栄を支持することに決するや剣をさかさまにひるがえし、こんどは義秋を追おうとしたのである。
六角の軍勢はすでに琵琶湖《びわこ》の南端の坂本に集結しているという。
しかも。
この矢島村の地侍の「矢島同名衆」という小集団も六角氏に内通し、今夜にも義秋の館《やかた》に攻めこもうとしている、という情報も入っている。
一刻の猶《ゆう》予《よ》もならない。
というわけで、この夜逃げさわぎがおこっているという次第である。
(事情はわかった)
光秀は、働きはじめた。弥平次以下の自分の家来を指揮して、荷物を作らせたり運ばせたりした。
弥平次は、甲斐々々《かいがい》しい若者である。立ち働きながら、
「殿」
と、光秀にいった。
「それがしはこのお館に残ります。もし義秋様を討たんずる敵が押し寄せてきたとき、ここにて斬《き》り防ぎをなし、みごと討死つかまつりとうございます」
「そちも逃げるのだ」
光秀にとっては、義秋も大事だが、将来の自分の侍大将ともなるべきこの若者の命も惜しい。
「命をむざ《・・》と捨てるな。人間、志への道はながいのだ。いま、われわれはそのながい坂の登り口にさしかかったばかりにすぎない。弥平次、まだ命を捨てるときではないぞ」
「はい」
しかし弥平次には、別なことで疑問があった。この荷物である。つまり、義秋の家財道具であった。最初、無一文だった義秋も、諸国の大名が送りつけてきた贈りものが貯《た》まりに貯まって、ちょっとした物持になっているのである。弥平次の疑問は、
(これだけの武具や家財を運びつつ逃げるのか)
ということであった。荷物が邪魔になってとうてい逃げられぬであろう。
「殿はどう思われます」
「捨てるのだ」
光秀は、独断でいった。
「わしに一計がある。弥平次、このあたり一面にころがっているめぼしい荷物を船に運び入れて一足さきに堅《かた》田《た》(対岸)へ舟出せよ。堅田で捨ててしまえ」
「と申されますると?」
「堅田衆は、源平のころいらい、この琵琶湖の水上をおさえている海賊衆だ」
それを荷物で手なずけてしまえ、と光秀はいうのである。
「そうときまれば早くせい。わしは義秋様をおまもりしつつ後刻、舟出する」
そう言いのこして光秀はその場を離れた。
義秋のそばにゆくと、側近の幕臣たちは育ちがいいだけにすでに顔色がない。顔ぶれをみると、一色藤長、三淵藤英《ふじひで》、飯河信堅《いいかわのぶかた》、智光院頼慶《らいけい》らである。
細川藤孝だけが、落ちついてあれこれの指揮をしていた。指揮されている小侍どもは、甲賀の豪族和田惟政《これまさ》の配下の甲賀衆である。
「甲賀衆は平素山坂を駈《か》けまわって山仕事をしているだけに、手器用、足器用でよいな」
と、光秀がつぶやくと、細川藤孝があゆみ寄ってきて、
「荷物が多すぎる」
と、当惑顔でささやいた。
義秋が、荷物に執着しているらしいのである。無一文で寺から逃げ出した貴公子だけに財宝というものには人一倍の関心があるのであろう。
「藤孝殿、捨てていただくのだ」
「いやいやわれわれ近侍する者の言葉をなかなかお用いにならぬ。そこへゆくとおぬしは自由な立場にある。しかもお気に入りでもある。おぬしの口からお説き申してくれぬか」
「さあ、できるかな」
光秀は自信がなかったが、とにかく階の上にのぼってみた。
「やあ、十兵衛か」
と、義秋は光秀を見てよほどうれしかったのか、かるがるしいほどの挙措《そぶり》でひさしの下へ出てきた。光秀はあわてて濡《ぬ》れ縁にひざまずいた。
「まったく」
と義秋はいった。
「わしには仏天の御加護があるのかもしれぬ」
「とは?」
「その証拠にわしの危難のときにはつねにそちがあらわれる。そちは毘《び》沙門天《しゃもんてん》の化《け》身《しん》ではあるまいか」
「おそれ入ります。——しかしながら」
と、光秀はせきこんでいった。
「このたびの御危難は奈良の一乗院を脱出あそばされたときとは大ちがいのようでござりまする。坂本には六角勢が一万ばかりもあつまっていると申すではござりませぬか」
「そちに妙案があるか」
「事、ここまで窮しますると、少々な妙案妙手は通用いたしませぬ。小細工を用いるより、裸身ひとつを天にまかせ、禅家でいう大勇猛心をふるって一直線に御退去あそばす以外にございませぬ」
「そちは奈良でわしを脱出させてくれた。こんどもすべてそちの宰領《さいりょう》にまかせよう」
「おまかせくだされまするか。さればあれなるおびただしい御什宝《ごじゅうほう》をお捨てあそばしますように」
「什宝を」
義秋はいやな顔をした。せっかく無一物の境涯《きょうがい》からぬけ出して、やっとこれだけの什宝で身分を飾れるようになったのではないか。
「こまる」
というと、光秀は声をはげまし、
「後日、日本国をその御手におつかみあそばす公《く》方《ぼう》様(義秋)ではござりませぬか。これしきの什宝など、それからみれば塵芥《ちりあくた》のようなものでござりまする」
(なんと器量にとぼしい公方さまよ)
と、光秀はなさけなくなった。
「まかせる」
「あっ、おまかせくだされまするか」
光秀は階を駈けおり、細川藤孝と相談のうえ、荷物の半分は対岸の堅田海賊にくれてやり、あとの半分はこの場に捨てちらかしておくことにした。
「この場に捨てておくのは」
と、光秀はいった。
「この土地の地侍に掠奪《りゃくだつ》させるのだ。かれらが掠奪しているあいだ、刻《とき》がかせげる。たとえ一町でも遠くへのがれることができる」
脱出は、夜、決行した。
一艘《そう》の船が野洲《やす》川《がわ》の河口をはなれて湖上にうかんだとき、岸辺に点々と松明《たいまつ》がうごきはじめた。
(矢島の地侍どもだな)
光秀の計略が図にあたった。この男は、義秋に脱出の宰領をまかされたあと、すぐ矢島同名衆に手紙を書き、
「公方様はすでにお落ちあそばした。われわれがそのあとの御什器を管理している。しかし夜に入って陸路、逃散《ちょうさん》するつもりだ。そのあとの御什器はそこもとらの掠奪にまかせるゆえ、後追いはするな。たがいに命を惜しみ、戦いを避けようではないか」
と申しつかわせてある。地侍などは存外その手でころぶものだ。
船は、湖心に出た。
「そろそろ、月の出でござりまするな」
と、歌人の細川藤孝はいった。今夜はどういうめぐりあわせか、八月の十五夜にあたっているのである。
言うほどに、東天がにぶい金色に燻《いぶ》されはじめたかとおもうと、野のはてに満月がのぞいた。それがみるみる昇りはじめ、湖上は昼のようにあかるくなった。
波が立っている。海の波とは異なり、この湖の波は三角の形状をなしていた。その無数の三角波が、黄色にかがやいた。
「なんとみごとな」
と、藤孝は、詩心をおさえかねたようにうめいた。
「これが落ちゆく身でなければ」
と、いったのは、船のとも《・・》にいる智光院頼慶であった。落人《おちゅうど》の境涯でなければみごとな風趣であろう、という意味なのであろう。
それをきいて細川藤孝が、歌人にしては野太すぎるほどの不敵な声で笑った。
「落人の身なればこそ興趣があるのだ」
(藤孝の面魂《つらだましい》よ)
光秀は、月光のなかで、細川藤孝という武門貴族にそだった盟友をあらためて見なおす気になった。
藤孝の豪気な一言で、一座がそれぞれ性根をすえたらしく船中の空気がひどく落ちついてきた。
義秋までが、
「善哉《ぜんざい》、善哉」
と、坊主くさい囃《はやし》を入れて気持を浮き立たせはじめ、
「どうじゃ、みな一首ずつ、風懐《ふうかい》を歌いあげては」
といった。
「それはおもしろうございますな」
若い一色藤長がふなばた《・・・・》をたたいてことさらにはしゃいでみせ、即興の一首を作った。
みなあらそって作った。
その巧拙さまざまな歌を、几帳面《きちょうめん》な細川藤孝は矢《や》立《たて》の筆をとり出して手帳に書きとめている。
最後に、光秀と藤孝が披《ひ》露《ろう》した。どちらも当然ながら群をぬいた出来ばえであった。
一巡おわってから義秋が、
「詩ができた」
といった。漢詩である。
「こういう怱忙《そうぼう》の間《かん》だから、平仄《ひょうそく》もろくにととのっておらぬかもしれぬが、とりあえず披露してみよう。藤孝、光秀、笑うなよ」
(どんな詩なのか)
光秀は、はげしい興味に駆られた。古語にも詩は志であるという。志とは男子の心情のひびきのことだ。義秋という男の器量の底が、あるいはわかるかもしれない。
義秋は、ひくく吟じはじめた。
それを聴くうちに、光秀はしだいに驚きの気持を高めて行った。
江《こう》湖《こ》に落魄《らくはく》し、暗《ひそか》に愁を結ぶ
孤舟一夜、思悠々《おもいゆうゆう》
天公《てんこう》もまたわが生を慰むるやいなや
月は白し蘆花《ろか》浅水《せんすい》の秋
孤舟一夜、思悠々《おもいゆうゆう》
天公《てんこう》もまたわが生を慰むるやいなや
月は白し蘆花《ろか》浅水《せんすい》の秋
格調の高鳴りというものはないが、かといってこれだけの詩をつくれる者は、都でもまずまずすくないであろう。
(人間としての品はややさがる人物におわすが、頭の働きは小器用に出来ておわす)
これが、光秀がひそかにいだいた、詩を通しての義秋評である。しかしほめるとすれば義秋は自分というものを客観視できる能力をもっている。さらにはその客観視した自分に適度のもののあわれ《・・・・・・》を感ずる情緒感覚をもっている。
(信長よりはいい)
と、この場合、なんの関係もないはずの濃《のう》姫《ひめ》の亭主を比較にもちだした。光秀は寡《か》聞《ぶん》にして信長が詩歌をつくったというはなしをきいたことがない。
(およそ情緒のない男なのだ)
おそらく合理主義一点ばりの男なのであろうと光秀はおもった。理詰めで、理に適《かな》うことなら人のはらわたを裂くことも平気でやるであろうし、理に適わぬことなら、人が眼前で溺《おぼ》れかかっていても見過ごしてゆく男なのであろう。
「十兵衛殿」
と、藤孝が横から袖《そで》をひいたことで、光秀の想《おも》いが杜《と》絶《ぜつ》した。
「あれをご覧《ろう》じあれ」
と、沖合をゆびさした。なるほどその方角の沖合から船《ふな》篝火《かがり》が七つ八つ、こちらに近づいてくるのである。
「敵か」
義秋は叫ぶような、黄色い声をあげた。みな色めき立って刀をひきよせた。
「落ちつき召され。あれはおそらく味方でありましょう」
光秀がいった。
「なぜわかる」
「じつは堅田衆のもとへ、ひと足さきにそれがしの一門にて明智弥平次光春という者を使いに出してあります。おそらく、それがお迎えに参ったのでございましょう」
「さすがは光秀」
義秋は、気の毒なほどよろこんだ。
「さればこちらも篝火をあかあかとつけ、所在を知らせてやるがよい」
「いや、念には念を入れますために」
と、光秀は、和田惟政の配下で伊賀黒田ノ荘の住人服部《はっとり》要介という者をまねき、
「泳げるか」
と、たずねた。
「申されるまでもなく」
「されば、わしとともにさぐりにゆこう」
光秀はくるくると衣装をぬぎ、背中へ大刀を一本くくりつけ、御免、と一同に声をかけて水のなかにおりた。
泳ぎはじめた。
服部要介も、水音をたてずにしずしずと泳いでゆく。
やがて怪船のあたりに近づき、耳を水面に出して話し声をききはじめた。
わからない。
が、服部要介は、光秀のそばに泳いできて光秀の耳に唇《くちびる》をよせ、
「敵でござる」
と、みじかくいった。理由は、と光秀がきいたが、これは伊賀者の勘、と要介がいうのみで証拠がない。
「わかった。それでは要介、そちはこの水面にうかんでおれ。わしはあの船に乗りこみ敵か味方かを、じかに確かめてみる」
「そ、それは」
要介は光秀の腕をつよく握った。大胆すぎる、というのである。
「お、お命があぶのうござる」
「伊賀者は命を惜しむ。要介、古来、伊賀の出の者で天下に名をなした者がいないのはたったその一事によるものだ」
光秀は抜き手を切って泳ぎはじめ、やがてしかるべき声を発し、
「船へあげてくれ」
と、いった。
船の上の者が水面を照らしつつさお《・・》を突き出した。光秀はその竿《さお》につかまり、大刀を背から鞘《さや》ぐるみはずして、まずそれを船のなかへほうりこみ、
「害意はないぞ」
と安心させ、ふなばたにとりつき、勢いよく船のなかへ跳ねあがった。
「明智光秀という者だ」
と、まず名乗り、「堅田の衆であろうな」と畳みかけた。さらにいった、「公方様のお味方につくと迷わずに決心をかためよ」
船の者は、堅田衆である。勢いに呑《の》まれたような表情で光秀を見つめている。
かれらは、なるほど義秋を迎えるために船を出してここまでやってきたが、櫓《ろ》を漕《こ》いでいる途中にもさまざまに迷ったらしい。
(義秋を殺してその御《お》首級《しるし》を京の三好氏にとどけるのが得か、それともお迎えして恩を売り奉り、将来を楽しむほうが得か)
と、かれらは思った。その迷いが、水中にいる服部要介の勘にわるくひびいたのであろう。
が、堅田衆にしても、素裸の使者にいきなり飛びこまれてしまっては、決心をかためる以外に手がない。
党首の堅田多左衛門という髭《ひげ》づらの男が槍《やり》を伏せて光秀に一礼し、
「謹んでお味方に」
と、ひくい声でいった。
「殊勝である」
光秀はすぐ水中の服部要介に合図し、義秋の船へ報告させた。
ぶじ、一行は湖水を渡った。
当夜、この一行は夜明け前に堅田に上陸したが、用心のため一泊もせず、そのまま若狭への街道を北上しはじめた。
(人間としての品はややさがる人物におわすが、頭の働きは小器用に出来ておわす)
これが、光秀がひそかにいだいた、詩を通しての義秋評である。しかしほめるとすれば義秋は自分というものを客観視できる能力をもっている。さらにはその客観視した自分に適度のもののあわれ《・・・・・・》を感ずる情緒感覚をもっている。
(信長よりはいい)
と、この場合、なんの関係もないはずの濃《のう》姫《ひめ》の亭主を比較にもちだした。光秀は寡《か》聞《ぶん》にして信長が詩歌をつくったというはなしをきいたことがない。
(およそ情緒のない男なのだ)
おそらく合理主義一点ばりの男なのであろうと光秀はおもった。理詰めで、理に適《かな》うことなら人のはらわたを裂くことも平気でやるであろうし、理に適わぬことなら、人が眼前で溺《おぼ》れかかっていても見過ごしてゆく男なのであろう。
「十兵衛殿」
と、藤孝が横から袖《そで》をひいたことで、光秀の想《おも》いが杜《と》絶《ぜつ》した。
「あれをご覧《ろう》じあれ」
と、沖合をゆびさした。なるほどその方角の沖合から船《ふな》篝火《かがり》が七つ八つ、こちらに近づいてくるのである。
「敵か」
義秋は叫ぶような、黄色い声をあげた。みな色めき立って刀をひきよせた。
「落ちつき召され。あれはおそらく味方でありましょう」
光秀がいった。
「なぜわかる」
「じつは堅田衆のもとへ、ひと足さきにそれがしの一門にて明智弥平次光春という者を使いに出してあります。おそらく、それがお迎えに参ったのでございましょう」
「さすがは光秀」
義秋は、気の毒なほどよろこんだ。
「さればこちらも篝火をあかあかとつけ、所在を知らせてやるがよい」
「いや、念には念を入れますために」
と、光秀は、和田惟政の配下で伊賀黒田ノ荘の住人服部《はっとり》要介という者をまねき、
「泳げるか」
と、たずねた。
「申されるまでもなく」
「されば、わしとともにさぐりにゆこう」
光秀はくるくると衣装をぬぎ、背中へ大刀を一本くくりつけ、御免、と一同に声をかけて水のなかにおりた。
泳ぎはじめた。
服部要介も、水音をたてずにしずしずと泳いでゆく。
やがて怪船のあたりに近づき、耳を水面に出して話し声をききはじめた。
わからない。
が、服部要介は、光秀のそばに泳いできて光秀の耳に唇《くちびる》をよせ、
「敵でござる」
と、みじかくいった。理由は、と光秀がきいたが、これは伊賀者の勘、と要介がいうのみで証拠がない。
「わかった。それでは要介、そちはこの水面にうかんでおれ。わしはあの船に乗りこみ敵か味方かを、じかに確かめてみる」
「そ、それは」
要介は光秀の腕をつよく握った。大胆すぎる、というのである。
「お、お命があぶのうござる」
「伊賀者は命を惜しむ。要介、古来、伊賀の出の者で天下に名をなした者がいないのはたったその一事によるものだ」
光秀は抜き手を切って泳ぎはじめ、やがてしかるべき声を発し、
「船へあげてくれ」
と、いった。
船の上の者が水面を照らしつつさお《・・》を突き出した。光秀はその竿《さお》につかまり、大刀を背から鞘《さや》ぐるみはずして、まずそれを船のなかへほうりこみ、
「害意はないぞ」
と安心させ、ふなばたにとりつき、勢いよく船のなかへ跳ねあがった。
「明智光秀という者だ」
と、まず名乗り、「堅田の衆であろうな」と畳みかけた。さらにいった、「公方様のお味方につくと迷わずに決心をかためよ」
船の者は、堅田衆である。勢いに呑《の》まれたような表情で光秀を見つめている。
かれらは、なるほど義秋を迎えるために船を出してここまでやってきたが、櫓《ろ》を漕《こ》いでいる途中にもさまざまに迷ったらしい。
(義秋を殺してその御《お》首級《しるし》を京の三好氏にとどけるのが得か、それともお迎えして恩を売り奉り、将来を楽しむほうが得か)
と、かれらは思った。その迷いが、水中にいる服部要介の勘にわるくひびいたのであろう。
が、堅田衆にしても、素裸の使者にいきなり飛びこまれてしまっては、決心をかためる以外に手がない。
党首の堅田多左衛門という髭《ひげ》づらの男が槍《やり》を伏せて光秀に一礼し、
「謹んでお味方に」
と、ひくい声でいった。
「殊勝である」
光秀はすぐ水中の服部要介に合図し、義秋の船へ報告させた。
ぶじ、一行は湖水を渡った。
当夜、この一行は夜明け前に堅田に上陸したが、用心のため一泊もせず、そのまま若狭への街道を北上しはじめた。