あらたまの年たちかえる初春というのに、カモカのおっちゃんはなんのかわりばえもせぬ顔で、それでも一升壜は提《さ》げて、
「あーそびーましょ」
とやってきた。「せくなあわてな天下のことはしばしカモカのひざ枕」などと唄いつつ、勝手知ったる台所にて、燗《かん》をする。
この燗の具合がまことにむつかしい男。
熱いが沸騰しちゃいけない、舌を焼くほどではいけない、ややぬるく、といって人肌ぐらいのは気持ちわるし、と御託《ごたく》をならべる先生。
十年一日のごとし。さながら古歌にいう、「百千鳥《ももちどり》、囀《さえず》る春は年ごとにあらたまれども我ぞ古《ふ》りゆく」という感じで、しかしそれをべつに悲観しても後悔しても自嘲してもいず、悠々としてあぐらをかき、
「ほ、でけました、熱々燗。……肴《さかな》は何々とうち見れば、と。いやこのカズノコはいかん、少々くたびれているようだ。うん、山芋があるな。あれをすりおろしてほしい。いや刺身などはいらん。そういうものでないと酒が飲めぬというのは田舎|大尽《だいじん》のいい草。ナヌ、鰆《さわら》の味噌漬けがあるのか。それを早く出してもらわんと、どもならんな」
などとまあ、ほかにもっと心を労し気を遣《つか》うことはないのでしょうか、天下の一大事の如くいい立てる。
気らくなおじさんなんだ。取りあえず、
「ねえ、おっちゃん、お酒もだけどさ、年頭の所感、なんてないのかね。男ならこう、新年の抱負とか、今年はこういうことをやりたいとか、将来の生活設計とか、考えないですか」
「それはありますなあ。やがて遠からず来るべき食糧危機にそなえ、畑地でも確保しておくとか、そこへ何々を植えるかということなど、考えますなあ」
「何を植えるの?」
「サツマイモです」
おっちゃんは断固としていう。
「戦中戦後の食糧難時代、いちばん身に沁《し》みたのは芋が腹|保《も》ちええ、ということと、砂糖がやがてなくなりますから、甘味源になるということですなあ。まず畑を少し買いこみ甘藷《かんしよ》を植える」
「なるほど」
「而うしてそうなるまでに、手もとにあるもの、美味《うま》いものを心残りなく食う。飲む、する、吹く」
「飲む、打つ、買うというのは知っていますが、飲む、する、吹くとはへんですね」
「吹く、というのは駄法螺《だぼら》でございます。する、はまあいろいろありますが、取りあえず……」
「わかりました、わかりました」
といっちゃう。抛っといたらいいことはいわない。
「畑を買いこんでサツマイモを植えて、そうして何をしますか」
「次には村の後家さんを慰めて廻る」
「それは『吹く』の中に入るのでしょう?」
「いや、これは『する』の中に入る。有言実行します。後家さんたちを慰めはげまし、生きる希望を与え、第二の人生を築く世の光ともなれば、これはまさに人助けですぞ——田舎へ引っこんだら、することはイロイロありますが、まず、その二つが最大の眼目。村のあちこちに声をかけておいて、後家さんが出たらすぐ、知らせてもらうように、しとかなあかん」
「後家さん専門なの?」
「それはそうです。人のモチモノはいろいろと差し障りがございます。後家さんが十人いたら、月に三べんずつまんべんなく廻るとして早や三十日、ひと月かかって、休んでるひまなんかおまへん」
「あいまに畑の芋の世話もせんならん」
「これは、毎朝おきたとき小便かけといたらしまいですが、受け持ちの後家さんにはいろんな年のが居りましょうから、どんな用事を持ちこまれるかもしれぬ、よろず相談引受所ともなりますやろ、体はなんぼあってもたらん」
「どんな用事を引受けるの? たとえば」
「女手でできぬ大仕事とか、力仕事。こう見えて、僕もいろいろ、けっこうマメですからな」
「なるほど」
「役所へ老齢年金をもらいにいくとか」
「そんな年よりの後家さんまで引受けるのですか」
「ただし、女でっせ」
「当り前でしょ、でも、いかに何でも、七十、八十の後家さんはお断りでしょ」
「いや、本人さえその気なら別にどうということはおまへんな。向うがいやや、いうてるもんを、むりにおさえつけて、ということは七十、八十の後家さんの場合、理不尽《りふじん》な気がしますが」
おさえつけなくても七十、八十では理不尽な気がするのではないかと思ったが、おっちゃんは自若としていた。
「ではおっちゃんの老後の人生も、かなり内容ゆたかですね」
「さよう、なんのために生まれてきたかをゆっくり味わって、人生を完《まつと》うしようという意気ごみ十分です」
「あのう、サツマイモと後家さん探訪のほかに、何か趣味はありませんの? 花鳥風月をたのしむとか、囲碁将棋、俳句川柳とか……」
「サツマイモと後家さんが趣味で、何でいけまへんか。僕が後家さんを探訪すると、米や酒を向うから携えてきてくれる、キュウリの一本、ヤマメの一尾も提げてくる、何も不自由おまへん。これぞ趣味と実益かねた暮らし」
「でも、趣味というのはもっと高尚な……」
「趣味というのは、身についた嗜好、好物をさす。趣味とは酒タバコ、メシ、女(あるいは男)など、身心の快楽のためのもんですぞ。イモと後家はんこそ、趣味の最たるもの。これが年頭の所感でございます——ほらほら、燗がぬるすぎる、熱々燗も趣味のうち。たのんまっせ!」
とおっちゃんは私の尻をどやしつけた。