ハラの立つことのみ多い歳末であった。三菱石油が重油をこぼして瀬戸内海をどろどろにしてしまったのも、何ともハラの立つことである。海が汚れると取り返しがつかないのだ。
美しい海岸の砂や石がべっとり黒く、コールタールを流したようにこびりついている光景を見た人はわかるだろう。あれは永久にとれない。魚も|のり《ヽヽ》もぜんぶダメになってしまった。私は大体、水島に油モノを持ってきたときから不信感があったのだが、それ見てみい、という気である。こんなことは疾《と》うからわかっていることだ。
小さいことでハラの立つのでは、このあいだ十二月二十日の晩、六時ごろでした。私は人を迎えに神戸港中突堤にゆき、奄美からやってきた知人と会って用をすませた。帰りにタクシー乗りばに待っていても、ちっとも来ない。ないのではなく、タクシーはいっぱいあるのだ。雲助の如き運転手たちが、「大阪までいけへんか」「尼崎ないか」と叫ぶ。そのうるささとしつこさは大変なものである。タクシー乗りばの前には一台も来ないくせに、すぐうしろに延々、空車が行列していて、客引きしているのである。
遠い客がないとなると、
「千円出すか。メーターのほかに千円出したら行ったるわ」
と、タクシー乗りばにならんでいる人にいう。
「こんなん、なんぼ待っても来《け》えへんで」
とひやかす。港の突端、ポートタワーの附近はともかく海風が冷たいから、長いこと立っていると、オーバーを着たままツララになりそう。しかたなく、人々は一人二人と陥落して、余分な金を出して悪徳タクシーに乗る。
三十分たった。タクシー乗りばにいるのは私と、十八、九の少年三人の二組ばかりになった。少年たちは「新神戸駅」だという。それでも行かぬものを、荒田町の私の家などいってくれない。千円千円というが、私はそれがきらいである。こうなりゃ女だって意地というものがあるのだ。荷物があったって歩いて帰るんだ。
遠方の客を拾うというなら話はまだわかるが、チップを強要して私腹をこやすというのが私にはゆるせないのだ。徒食して人のカスリで食べているやーさんよりはましだと思い直すが(まあ、彼らも一応、寒風をついて働いてるのだ)、それでも汚ないのだ。それにタクシー代は上ってることだし、ちょっと小まめにうごいたら、ぶらぶらして客引きしている間に金嵩《かねかさ》は張るのだ。私が乗らないでいると、彼らは口々にワルクチをいう。|ても《ヽヽ》中突堤というところはおそろしいところやなあ。少し北には交番があるのにポリさんは何をしてるのかね。
いいカモがないと思った運転手は腹立ちまぎれに物凄い勢いで空車のまま走り去ってしまった。ああやって走ってる間に、荒田町まで乗せれば四、五百円になるじゃないかと、私はむしろ感心する。ワルイ車で目についたのは「M」「K」「T」でしたね。
でも私は結局、四十分くらいでタクシーに乗れた。少年たちも乗った。中には、優良運転手もいるのだ。「キクヤ」のタクシーがきて、彼は侠気《おとこぎ》のある人らしく、少年たちを乗せたあと、私に、どこへいくか、と聞いてくれた。しかし方角が東と西だったので、相乗りできない。ついで「近畿」が、タクシー乗りばにつけてくれた。無事それに乗って帰宅できたというわけ。まあわるいのばかりでもないけれど、良い運転手ばかりでもないのだ。
犯罪もいろいろ今年は多かったが、三億円の保険をかけておいて殺すという、それも妻子を殺すというのがあった。三億円の保険というのも異常だが、その異常をチェックする仕組みはないのかしら。
ただ、私がふしぎだったのは、容疑者がひっぱられた段階で、テレビニュースのときに、「……とまくしたてていました」という言葉をつかっていた。まくしたてるというのは主観的用語で、ニュースにつかうのはヘンな感じがする、ような気がする。
巨額の保険をかけてそいつを殺しても、殺人さえ巧くやればいいのかね。では私は、カモカのおっちゃんに保険かけて、うんとお酒を飲ませ、「せくなあわてな天下のことは、しばしおせいのひざ枕」とおっちゃんがいい気になって、寝こんだところを、首にナワまきつけ、両方から、「エーコーラ」と引っぱったら、女の力でもいけるんじゃないかしら。そうして、あとおっちゃんが自殺した如く、しとけばいいんでしょ。アリバイづくりとかややこしいことは、誰か推理作家の人をたのんで考えてもらうとして、私がナワの片方にぎると、もう片方の人がいるのだねえ、これは。
両手ではできない。
誰をたのもうか。うかつな奴にはたのめません。口を割らぬ奴。同性の、ヒトリモンの、年たけて老獪なる奴がよい。真に老獪にあたいするのは中年女のみである。
「しゃねる」のママはお人よしでダメだ。途中で惻隠の情をもよおす。うば桜の美人記者がよろしからん。二人でエーコーラ、で保険は山分け。
「でも、そうすると、死ぬとき男の人はあそこが立つっていうよ。可哀そうやね」
と美人記者がヘンなことを知っていた。
「そうそう、戦地でも兵隊が死ぬとき、立つんだって。皆が可哀そうに思って戦闘帽かぶせてやるんだって。私も聞いたことある」
阿呆なママは、涙ぐんでいた。
「しばらく戦闘帽がソヨソヨとゆれてるんだって」
「そら、当り前でっしゃないか」
とカモカのおっちゃん。
「あたまの血ィがさがって下へいく。当り前です、下に血ィがたまるのは」
「そうかなあ」
「血ィがあたまへのぼってるときは、天皇陛下バンザイ、いうてる。下へ血ィさがってるときはおせいさーんバンザイになるのです」
とんでもない奴だ。