瀬戸内海は、どうやら海底まで油で汚染されてしまったようだ。この汚れがとれるのは何十年先だろうか。油の膜に閉ざされた海面に白い腹を見せて浮いている魚。べっとりと黒くぬりつぶされた砂浜。
この悲しみと怒りは、ちょっと口や筆にあらわしにくい。美しい瀬戸内海を日本の誇りと教えられ、小さいときから馴染んだ浜が見るかげもなく汚濁されてゆくのを見ると、身を切られるように切ない。
この上は、更に、こんな悲劇と愚行をくり返さぬために、奄美大島の石油基地化に、私は断固、反対する。
以前、私が「女の長風呂」にも書いたように、奄美大島の本島の宇検村《うけんそん》、枝手久島《えだてくじま》に、東亜燃料が石油精製基地をつくろうとしているのだ。本土に遠いので、情報不足やPR不足のせいもあって、反対運動がまだ、よく紹介されていないのは遺憾である。
本土のマスコミは、沖縄のことにはわりに敏感であるが、その中間の奄美大島のことは取り落しがちである。石油基地化問題はその盲点をつかれたともいえる。
美しい南海の島の周辺、石油くさくなって、浜の風光は台なしになるのだ。そんなことになってからではおそい。たとえば和歌山県の有田市の海でも、このへんは魚が多いところで、海岸で釣る魚が美味しかったものだが、いまは石油くさくて食べられない。魚が石油くさくなってから嘆いてもしかたないのだ。
白い砂浜や、ガジュマル、アダンの林、肌の色のあざやかな魚や、手を入れると染まりそうに濃い青い海を、守らなければならない。
私が黄色い声でひとりで叫んでいても無力であるが、純朴な島の人々は、反対してもいざとなるとオロオロするばかりで、どうにもできないから、私一人だけでも気焔をあげてるのだ。
「どうしたらいいかねえ、おっちゃん」
「それは、大もとのところから解決せねば何にもならん。奄美がいかんというと、東燃は、沖縄にでも鹿児島にでもつくりよるやろ」
「大もとの解決というと?」
「つまり、人間が多すぎる。これ、へらさなあかんなあ」
おっちゃんのいうのに、日本のみならず、地球全体に人が地にみちすぎたという。その結果、要らざる競争、摩擦が生まれ、余剰エネルギーが、不吉なほてりを孕《はら》んであちこちに熱気球のごとく、わだかまる。
手を放すと、パーッと浮き上って、ぶつかり、バーンと衝突、そんな……。
「いうたら、キンキンに張りつめた世界になりまんねんなあ。——人間が少なかったら、石油も、そないいらんのやし、諸事、控えめになっていく。派手な公害で汚されることも無《の》うなる。何というても、人が多すぎるから、いかんのです。これが諸悪の根源ですぞ」
「ウーン。そうかァ……じゃ、人をへらすにはどうしたらいいかしらね」
私は考えた。戦争。流行病。天災。集団自殺。どれも一ペんに人員整理ができて好都合であるが、戦争は破壊がひどすぎてこまる。流行病と天災は、いつくるかわからない。集団自殺がひとり静かに消えてゆくのみ、で一番始末のいい人員整理であろう。
しかし、ただ一つ具合のわるいのは、誰も自分が人員整理の対象になるとは考えていない。
だから地球のため、全人類のため、はたまた、日本の公害汚染増進阻止のため、人柱となって消えようという人を募集せねばならぬ。
しかし、そういう応募者をあつめるためには、まず当局が第一番に登録してみせねばならない。
いろいろと考えると、たいへんむつかしい。
首相みずから、人員整理の対象になってみせたりするには、さぞ議論が出よう。NHKの歳末たすけあい運動ではないが、
「整理すすめあい運動」
が、よびかけられるかもしれない。
「集団自殺はどうもむつかしいが」
とカモカのおっちゃんはいう。
「月世界移民というので開拓団を送られるかもしれまへん」
「その手もありますね」
「そうすると、満蒙開拓義勇軍のように、写真の見合だけで、月世界へ花嫁を送ることになる。まだ見ぬ花婿を胸に思い描いて飛び立つ。大陸の花嫁ではなくて、『月の花嫁』ですな。『馬車はゆくゆく』ですか」
とおっちゃんもかなりの年であることがばれ、「白蘭の歌」を唄う。しかしこの歌を知っているところ、私も、かなりの年、ということになるであろう。
「しかし、月世界でまた人口がふえてはたまらない」
「そうそう。それゆえつまり、究極は、産児制限になりましょうなあ。二人産むと罰金とか、四人産むと実刑とか。あるいはチケット制で子供を産むとか。子供の要らん夫婦は、ほしい夫婦に、チケットを譲るわけです」
戦争中の衣料配給キップを思い出す。
では未婚の母、などというのは、もう出てこなくなるのだろうか。
「いや、それは関係ないのです。産みたい人は産めばよい。更に僕は考えているのですが、一人に何人、と割当てられた子供、ヘンな男の子供は産めぬ、というので、優秀なのがほしくなる。これからは、そこに目をつけて売り出す、子ダネ屋がふえますぞ」
「子ダネ屋」
「さよう。つまり、いくら頭脳優秀、身体強健、志操高潔な男でも、ナマ身のカラダですからな。何十人、何百人の女あいてにつとめるわけにはいかん。子供のモトを採取して冷凍し、これを売りに出す。有名人、文化人、タレントの子供みな、ふえにふえる。女たちはそうなると、無名無能無芸の男など、見向きもせんようになりまっしゃろ」
「あたしは、そんなバカはしないんだ。子ダネを買ったりしないんだ」
「買《こ》うたかて、おせいさんでは、もうつくれまへんがな」
「おっちゃんかて、売りとうても、子ダネはもうあれへんやないの!」
この勝負、また引き分け。