一九二二年十一月、エジプトの王家の谷は、熱い興奮につつまれていた。当代一のエジプト通であるカーター博士が、長年捜していたツタンカーメン王の墓を、ついに発見したのだ。人夫たちが土を掘り返し、片っぱしからカゴで運びだしていくと、十二段目の階段の下から、ついに封印された扉があらわれた。
しかし興奮のなかで発掘作業を見守っていた見物人たちの間に、つぎの瞬間ざわめきが起きた。扉の封印を解き、さらに掘りすすめると、大きな石壁に、薄気味悪い死神アヌビスの像がきざまれているのが目に入った。そしてその下に、「王の墓を暴いて眠りをさまたげる者は、不吉な死に襲われよう」という、呪《のろ》いの言葉がきざまれていたのだ。
恐怖と戦慄《せんりつ》でその場はしーんとしたが、発掘はかまわず続けられた。その結果、三五〇〇点あまりの副葬品や黄金製品、そして黄金のマスクをかぶったツタンカーメン王のミイラが、墓のなかから発見されたのだ。
これらをすべてあわせると、一国の予算をはるかに越えるほどの価値になると言う。ツタンカーメン王の墓の発見は、トロイアの遺跡を発見したシュリーマンなどをはるかにしのぐ世紀の発見として、世界を興奮の渦に巻き込んだのだ……。
ところが世界中の興奮とうらはらに、墓の石壁にきざまれていた死神アヌビスの呪いの言葉は、不気味なほど的中した。やがてファラオ(王)のミイラに手を触れた者や、ツタンカーメンの墓を見物にきた者などが、つぎつぎと怪死をとげはじめたのだ。
最初の犠牲者は、出資者のカーナヴォン卿だった。彼は王墓の入口で蚊に刺されて敗血症を起こし、ベッドの上で高熱に悩まされながら、「ツタンカーメン王が……」とか、「ファラオの呪いが……」などと、うわごとを言いつづけていたという。
そして一九二三年五月のある日午前二時ごろ、カーナヴォンが「おしまいだ。私を呼ぶ声がする……」と声高く叫んだとき、同時にカイロ市全体が突然停電になったのだ。原因は分からずじまいだった。そして五分後、ようやく停電がなおったときには、すでにカーナヴォン卿はゾッとするような形相で息を引きとっていたのである。
じつは同じ時間に、カーナヴォン卿のイギリスの邸宅でも、奇妙なことが起きたという。真夜中に、男爵の愛犬が突然、理由もないのに吠えはじめた。そのせつなげな鳴き声に、とうとう邸中の者が起きだして一生懸命なだめたが、犬はえんえんと鳴きつづけ、とうとう力尽きてそのまま死んでしまったという。
不思議なことに、のちにツタンカーメンのミイラをレントゲン写真で調べた医者は、王の頬に小さな傷痕のあるのを見つけたという。そしてこれは不思議にも、カーナヴォン卿が蚊に刺されたのと、まったく同じ場所だった……。
その後も、つぎつぎ不吉な事件がつづく。まず、ツタンカーメンの墓室を見物した南アフリカのジェルという大実業家が、船のデッキから河に落ちて死に、アメリカの大金持ちグールドも、やはり見物後に、急に高熱を出して急死してしまった。
一方、墓の発掘にたずさわった学者たちにも、つぎつぎと死神が訪れている。カーター博士の発掘作業に協力したメイス教授は、作業中に倒れて急死し、博士の友人のフルール教授は、数日後に原因不明の熱病にかかって死亡した。
そしてミイラのレントゲン写真をとったリード教授も、やはり原因不明の熱病で死に、ホワイト博士も王墓から外に出たとたん、急に気分が悪くなり、数日後、「ファラオの呪いだ。もう生きていられない」と、奇妙な遺書を残して、自殺してしまった。
さらにデビス教授は、ツタンカーメンの名を刻んだ水さしを発見した直後、やはり熱病にかかって死に、テリー教授も調査から数日後、同じく熱病にかかって急死してしまった。
あまり恐ろしいことがつづいたため、エジプト政府もさすがに事件の調査にのりだした。調査中に墓地で毒蛇を見た文化庁の高官ライは、�毒蛇・死因説�を強く主張した。ところがライ自身も、墓から出たあと急に気分が悪くなり、高熱を出して、うわごとで「ファラオの呪い、ツタンカーメンの呪い……」と叫びながら死んでいったのだ。
その後もつづけて、発掘や調査に協力した学者や助手たちが変死した。発掘から一年のあいだに、墓から副葬品を運びだしたガードナー教授、ウインロック教授、フーカール教授のほか、六人の助手にも怪奇な死は及び、発掘関係者だけでも二十二人も変死したことになる。
怪死の原因としてまず挙がったのは毒蛇説とマラリア蚊説だったが、たしかに毒蛇コブラは王家の谷にいないわけではないが、死者の体にコブラの噛《か》みあとは残っていない。マラリア蚊にさされて死んだという、過去の事例も、これまで一つもないのだ。
古代エジプトの神官が、何かの猛毒を墓のなかに仕掛けたのだという説も出た。たしかにピラミッドや王墓のあちこちで、古代エジプト人が用いた毒薬用のツボも見つかっている。その毒が、三千年後の今も威力を発揮したのではないかというのだ。
けれどこれまでの調査では、墓室内からは、何も毒物のようなものは発見されていないし、第一それなら、どうしてエジプト人の作業員のなかには犠牲者が出なかったのだろう?
さらに、三千年以上前から暗い墓のなかで生殖していた細菌が、抵抗力を持たないヨーロッパ人に感染したのではないかという説もある。なるほど免疫性のない体内に強い病原菌が侵入すれば、病気が急速に進む恐れはあるが、それなら王家の谷に一歩も足を踏み入れていない人々までを、原因不明の死が襲ったのはどういうわけなのだろうか?
じつはカーナヴォン卿の死後、彼の一家にもつぎつぎと不運が襲っているのだ。まず卿の義弟が狂い死にし、つぎには卿夫人が原因不明の熱病にかかって急死している。そして夫人の母親も毒虫に刺されて死に、一家の看護婦ローレルも奇病にかかって死んでいる。
さらにカーター博士の秘書のウエストバリー卿は、高層ビルの屋上から飛び下り自殺し、秘書の息子も心臓マヒで急死している。そのうえ秘書とその息子の柩《ひつぎ》を墓地に運んだ車は、ごていねいにも途中で通りすがりの青年を轢《ひ》き殺しているのだ。
呪いはなおもつづく。アメリカの作家シンキンズが、一九三四年にツタンカーメン王墓の発見をテーマにしたドラマを作ったが、ある日突然、「ああ! ツタンカーメンの亡霊が追いかけてくる……」などと狂ったように叫びだしたのだ。おかげでドラマ制作は中止になり、シンキンズ自身もその後原因不明の死をとげている。
かくてファラオの呪いの犠牲者は計三十人以上に及んでいるが、一つだけ意外なことがある。ツタンカーメンの墓を発掘した当のカーター博士だけは、一九三九年六十六歳で死ぬまで、何事もなく生涯をまっとうしているのだ。
しかし、じつはそのカーター博士にも、不運な事件があった。ツタンカーメン王の墓を発見した直後、飼っていたカナリアを、毒蛇に殺されてしまったのである。博士はそのカナリアを目のなかに入れても痛くないほどかわいがっていた。ところがその日に限って、鳥カゴを石垣に置いたほんのちょっとしたすきに、毒蛇に食われてしまったのである。
カーター博士はその死を深く悲しみ、会う人ごとに、「カナリアが私の身代わりになってくれたのだ」と、涙ながらに語ったという。