U65は第一次世界大戦中の一九一六年、ベルギーはブルージュの造船所で造られた新型ボートである。浮上時のスピードはそれまでの倍の一三ノット、収容人員は三十四名。まもなくイギリス沿岸に出動して、敵艦撃墜に活躍する予定になっていた。
しかしこの船には、建造のときから不吉な運命がつきまとっていた。ある日ブルージュの造船所で、二人の作業員が一休みしていたときのことである。Uボートの船体にとりつけようと釣り下げていた鋼鉄の大梁《おおはり》が、とつぜんチェーンからはなれ、すさまじい音をたてて二人の頭上に落ちてきたのだ。
危ない! という周囲の声にも、そこを飛びのくひまもなかった。一人は即死、もう一人は両脚を押しつぶされた。クレーンが故障中だったので、のしかかるものすごい重さの大梁をとりのぞくのに一時間はかかった。半死半生の作業員は急いで病院に運ばれたが、結局命をとりとめることはなかった。
このときはただの偶発事故として簡単に処理され、作業が再開された。半月後、いよいよU65の進水式を前に、三人の作業員が再点検のため機関室に入っていった。
ところが数分後、機関室のなかから、何やら助けを呼ぶ声が聞こえてきたのだ。駆けつけた人々が扉を開けようとすると、なぜかビクとも動かない。必死にこじ開けるあいだも、中の叫びはしだいに喘《あえ》ぎに変わっていく。扉に体当たりしてやっと中に飛びこんだときには、三人ともすでに有毒ガスで息たえていた。
ガスが漏れた原因も分からないまま、今度も偶発事故として処理された。第一次世界大戦の最中、たとえ潜水艦一隻でも遊ばせておくわけにはいかなかったのだろう。
そして数日後、U65はいよいよ潜水テストのため、スケルト川河口を出航した。潜水命令を下すまえに、艦長は水夫に、ハッチや甲板砲がしっかり閉じているかどうか点検にいかせた。
するとまた、妙なことが起こった。なんと水夫は早足で甲板を横切り、何かにあやつられるように、海中にドブンと落ちていったのである。探索ボートが下ろされたが、遺体はついに上がらずじまいだった。
潜水前に、なんと六人目の犠牲者である。こうなったからには、なんとしても潜水テストを無事に成功させなければ……。
いよいよ乗組員全員が艦内に入り、ハッチがすべて閉じられた。艦は徐々にしずんでいき、約九メートルの深さに達したところで、艦長は停止を命じた。
ところがU65はそこで止まるどころか、なおもどんどん沈みつづけ、海底に着地して、そこでどっかと落ちついてしまったのだ。タンクの一つに亀裂が入ったらしい。排水のため圧縮空気を送ったが、艦はビクとも動かない。乗組員は焦りだしたが、なすすべもなく数時間がすぎた。
そのままで十二時間がたち、ついに全員が死を覚悟したとき、今度は突然わけもなく艦が浮上しはじめたのである。窒息寸前になった乗組員らは、やっとの思いで甲板によじのぼった。艦の浮上があと一分でも遅れたら、たぶん全員命はなかっただろう U65はドックで整備点検を受けたが、今度も異常なしといわれ、初のパトロール任務に出発することになった……。
みな内心ひやひやだったが、艦は無事処女航海を終えてブルージュにもどってきた。艦長はじめ乗組員もみなホッとしたが、なんとここで食料や弾薬や魚雷を積みこんでいたとき、今度は積みこんでいた魚雷が突然爆発するという事故が起こったのだ。
爆発で五人が即死し、艦内はパニック状態になった。五人の遺体は、ヴィルヘルムスハーフェン墓地に葬られ、破損したU65は、修理のためドックにまわされた。
乗組員らは、呪いだと囁《ささや》きあったが、軍当局は相変わらず、今度も偶発事故に過ぎないと一蹴するだけだった。
やがてU65の修理も終わり、出航予定の数日前、乗組員に集合命令がくだった。彼らは下士官の点呼を受けるため、つぎつぎタラップを上がってきた。
下士官は全員が集合したのを見て、満足そうにうなずいた。死んだ五人の代わりに入った乗組員をふくめて、三十一人全員がそろった……。
だが、ちょっと待て。目立たないように彼らのあとに続く三十二番目の男がいるではないか。あの顔には見覚えがある。あの浅黒い顔は……?
それから半時間ほどして、艦長と新任の二等航海士が士官室にいたとき、突然ドアがノックもなしに開いた。そこには、真っ青な顔でハアハア息を切らした下士官が立っていた。
「この礼儀知らず!」
艦長のカミナリに、下士官はしどろもどろで、必死に説明しようとした。
「信じていただけないとは思いますが、実はたった今、事故死した前の二等航海士シュヴァルツェを見たのです!」
何を人騒がせなと、艦長は思わず叱りつけようとした。しかし考えてみれば、下士官は日ごろから、冗談を言って人を騒がせるような男ではない。
「バカな。夕闇《ゆうやみ》のなかで、誰かをシュヴァルツェと見間違えたんじゃないか?」
「いえ、絶対に違います」
下士官は、食い下がった。
「たしかに彼です。それに私だけでなく、水夫のペーターゼンも見ています」
下士官は、ペーターゼンは恐怖で腰を抜かしているところだと説明した。そこで艦長が甲板に出てみると、ペーターゼンは真っ青な顔でふるえながら、こう断言した。
「シュヴァルツェです。たしかに甲板のへさきに立って、海をながめていたんです。ただし、つぎの瞬間には消えてしまいましたが」
それでも艦長は、半信半疑だった。
「お前たちの仲間がシュヴァルツェに化けて、脅かそうとしたんじゃないか?」
そこで乗組員一人一人を呼んで問いただしたが、結果はさっぱりである。ペーターゼンなどこんな恐ろしい船に乗るのはもう真っ平だと、姿を消してしまったほどだ。
すったもんだののち、一九一八年の元旦、U65は北海のヘルゴランド島から、ブルージュの外港でドイツ軍潜水艦の根拠地であるゼーブルージュに帰航した。U65のつぎの仕事は、イギリス海峡で敵の商船や漁船を撃沈することである。
一月二十一日の夕方、U65はバッテリー充電のために浮上することになった。イギリスの海軍基地が近かったので、三人が念のため見張りに出た。
そのとき見張りの一人が闇のなかで、船首の突端で水しぶきに濡れながら立っている男の姿を見たのだ。
「そんなところでいったい何をやってるんだ。危ないぞ、さっさと艦内にもどれ!」
二等航海士が大声で呼びかけると、男はゆっくりとこちらに向きなおった。
そしてそれは、なんと亡きシュヴァルツェだったのである!
ワァッという悲鳴に、艦長がかけつけてきた。幽霊の射るような視線に見つめられて、艦長はゾーッとした。何を言いたいのだ。つぎの犠牲者はお前だとでもいうのか? 艦長は恐怖であとずさりしたが、つぎの瞬間、もう亡霊は消えていた。
数日後、U65はプリマスへ向かう補給船の一隻を撃沈し、もう一隻に打撃を与えた。ところが艦長は、それを撃沈せよと命じるどころか、もう少しというところで撤退を命じたのだ。亡霊のせいで弱気になってしまったのか?
数週間後、U65はブルージュに帰港し、ドック入りした。ところが艦長が上陸するやいなや、高射砲の音がしたと思ったとたん、敵機からパラパラと爆弾が降ってきた。艦長がほうほうのていで艦内に避難しようとしたとたん、爆弾の破片が飛んできて、彼の首を一気に切り落としてしまったのである……。
ここにきて海軍当局も、この船が呪われていると考えざるを得なかった。五月のイギリス海峡からビスケー湾への長旅のあいだも、U65には不吉なことがつづいた。
まず出航二日後に、とつぜんエバハート魚雷砲手が正気を失って暴れだし、手足を押さえられて鎮静剤をうたれた。ようやく鎮まったので、同僚が彼につきそって甲板に上がったとたん、突然駆けだして甲板のへりを越え、海に身を投げてしまったのだ。
それからまもなくフランス北西岸沖で海が荒れ、艦が大揺れしていたとき、機関主任がころんで脚を折った。つぎにイギリスの貨物船を甲板砲で攻撃している最中、砲兵の一人が大波にさらわれてしまった。
さすがの新艦長も弱気になって、できるだけ敵船に会わないようにした。Uボートにとりついている幽霊に、付け入る機会を与えては大変だと思ったのである。
帰途でもっとも用心せねばならないのは、ドーヴァー海峡を通過するときだった。最近ここで、三隻のUボートが撃沈されていたのである。
案の定、潜水中に敵の魚雷に攻撃されたが、危機一髪で逃げきった。が、もう大丈夫と思って、副艦長のローマンが持ち場に向かおうとしたとき、砲弾が潜望鏡を貫いて彼の首に突き刺さり、頸動脈を切断してしまったのだ。
かくてUボートは、ほうほうの体でようやくゼーブルージュの基地に帰りついた。ここでリューマチを病んでいた下士官の一人は、下船して入院することになった。
出航の前日、同僚の一人が見舞いにきて、彼に小さな包みを渡してこうたのんだ。
「これを妻に渡してほしい。おれにもし万一のことが……」
下士官は涙ぐんで、黙ってうなずいた。それ以上、何も言わなくても分かっていた。乗組員全員が、U65が刻一刻と破滅にむかって突き進んでいることを予感していたのだ。
入院中の下士官のもとに、恐れていたニュースが届いたのは、二カ月後のことである。一九一八年七月三十一日、ドイツ海軍本部がU65が消息を絶ったと発表したのだ。
しばらくは、何の手がかりも無かった。ところがアメリカの潜水艦艦長が七月十日、アイルランド沖をパトロール中、自然爆発するU65を目撃したという報告が入った。ついに乗組員全員が、恐れていたことが起きてしまったのである。
爆発の原因は分からなかった。U65の魚雷の一つが暴発したのか、それとも敵スパイの巧妙な破壊工作か。あるいは正気を失った乗組員の一人が、艦もろとも自爆して果てたのか……?
いずれにしても、U65が自然爆発を起こしたとき、甲板で海を見つめて立っている、一人の男の姿が見えたという。あのシュヴァルツェが、最後までU65とともにいたのだろうか?