第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ、ダッハウ、トレブリンカ、マウトハウゼンなどのナチスの強制収容所で、約六〇〇万人におよぶ人々が殺されていった。
アウシュヴィッツはポーランド南部の沼沢地にある、過疎の死んだような町だ。そこに一九四〇年二月、ナチスの強制収容所が開設されたのである。新所長に任命されたルドルフ・ヘスは、ここをたちまち�理想的�な収容所に完成した。
ヘスの考えだした方式は、身の毛のよだつようなものだった。ドイツや東ヨーロッパ各地から、毎日のように無数のユダヤ人が送られてくる。列車はアウシュヴィッツの特設プラットホームで停まり、怯《おび》えた表情のユダヤ人たちが列車からあふれだす。
すると収容所幹部が、こんな説明をおこなうのだ。
「これから体の消毒をおこなう。その後、男は道路や家をつくり、女は家事の手伝いをすることになる。子供たちは母親と一緒に住めるから安心するように」
やがて親衛隊の係官のまえで、囚人は強制労働に耐える健康なものと、病弱者や障害者や老人や子供などの二つのグループに分けられる。前者は線路の右に、後者は左に並ばされる。
前者の健康なほうは、今日からここに収容されて、軍需工場で働かされることになるのである。だが、後者のほうは……?
後者の人々は、これから消毒をおこなうのだと言われ、トラックに乗せられる。しばらく行ってトラックを降りると、地下の脱衣場に案内される。そこには、それぞれ番号をふった衣類かけが並んでいる。
「消毒液のシャワーをあびたあと、衣類をまちがえないように、各自、自分の番号を覚えておくこと」
人々はそう念を押され、着ているものを脱いで廊下に出る。「浴室および消毒室」へ導く矢印があり、二人の係官に案内されて、シャワーや水道の栓《せん》がたくさん並んだ�消毒室�に到着する。
全員が室内に入ったのを確かめると、案内の係官はさりげなく部屋を出ていく。そしてあとには、重い扉が静かに閉ざされる。
この�消毒室�こそが、ルドルフ・ヘスが作りあげた「ガス室」なのだ。ドアが閉じられると、ガスマスクをつけた消毒員が、天井にあけた投入孔から、薬剤を落とす。「チクロンB」という、一種の殺虫剤である。
チクロンBは、各々三〇〇〇人を収容するアウシュヴィッツの五つのガス室に押し込まれた、ユダヤ人の汗や体温のせいで気化し、毒ガスを発生しはじめる。やがて室内から、ものすごい悲鳴が響きわたる。
ヘスが穴からのぞいていると、投入孔の近くにいる者を中心に、三分の一は即死するという。あとの者はよろめき、空気を求めてあがきはじめるが、それもつかのま、数分のうちにはみんな死んでしまうのだ。
その後、大量の死体はガス室の外に放りだされる。作業員の一団がかけつけて、鉄の鉤《かぎ》で死体の口をこじあけて金歯を探す。別の一団は、死体の肛門や生殖器に隠された宝石を探す。毎日のように、宝石や金やドルなどがざくざく出てきたという。
絶対に怪しまれないよう、一切を極秘にやれとヒトラーから命じられたヘスは、死体焼却システムの改善をはかり、二つの大火葬場を完成した。地下に脱衣室とガス室をもうけ、そこから死体をエレベーターで上の火葬場に運ぶのだ。そこでは五基の焼却炉が、一日に各二〇〇〇人を焼却した。
一九四三年三月の焼却炉の落成式には、はるばるベルリンからお偉方が出席した。この日の出し物は、在クラクフの八○○○人のユダヤ人をガス室で殺して焼却するというもの。お偉方たちは、ガス室ののぞき窓からかわるがわる中をのぞきこみ、大満足でこの設備を褒めたたえたという。