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美しき拷問の本23

时间: 2020-07-24    进入日语论坛
核心提示:エドワード幼王とその弟ヨーク公の処刑いつも観光客が引きも切らないロンドン塔だが、なかでも特に混むところが二つある。一つは
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エドワード幼王とその弟ヨーク公の処刑

いつも観光客が引きも切らないロンドン塔だが、なかでも特に混むところが二つある。一つはダイヤ「アフリカの星」など、英国王室の財宝を展示している宝物館。もう一つは、マーチン・タワーの拷問用具の展示室である。
罪人に万歳《ばんざい》の格好をさせて手脚を力いっぱい引きのばす拷問器�エクスター公爵の娘�や、罪人を土下座の格好をさせて押しこめ、さらに押しつぶす拷問器具�スカベンジャーの娘�など、実際に使われた拷問器具や処刑用具を、興味しんしんで見物する観光客が引きも切らない。
なかでも女性客は、この場所に来ると、急に目をらんらんと輝かせるという。夫や恋人が自分を裏切って浮気でもしようものなら、この拷問道具で目いっぱい責めぬいてやろうとでも思っているのだろうか?
ロンドン塔といえば悲劇の歴史が多いが、とくに涙をもよおさせるのは、幼いエドワード五世とその弟ヨーク公のエピソードではないだろうか。
シェークスピアの戯曲『リチャード三世』でも名高いが、せむしのリチャードこと、のちのリチャード三世が、王位をねらって、甥《おい》である幼いエドワード五世とその弟ヨーク公を、ブラッディ・タワー(血塔)の一室で刺殺させる事件である。
シェークスピアの戯曲はあくまでフィクションだが、リチャード三世による幼王エドワード五世の暗殺はほぼ史実だとされ、殺害現場である血塔は現在も公開されている。
一四八三年四月九日、時の国王エドワード四世が急死した。ウェールズに近い皇太子エドワードの居城と、北のグロースター公リチャードの居城に、ただちに早馬が飛んだ。
皇太子はすぐ、彼の保護|卿《きよう》に任命されていたリヴァーズ伯アンソニー(皇太子の母エリザベスの弟)と、グレイ卿リチャードとともに、ロンドンにむかった。そのころグロースター公のほうも、ロンドンに急いでいた。
皇太子とリヴァーズ伯の一行は、グロースター公より一足先にストニー・ストラトフォードに着いた。しかし考えてみれば、皇太子の叔父にあたるグロースター公は、幼い皇太子の即位後は、その摂政となる人物である。
リヴァーズ伯は、グロースター公をさしおいて先を急いでは、彼との仲がまずくなってしまうと考えた。そこで、皇太子をストラトフォードに残して、グレイ卿と二人でノーサンプトンに引き返したのである。
しかしこれが、大きな計算違いだった。希代の野心家リチャードは、兄が幼い皇太子を残して死去した今こそ、王位を奪う好機と見てとったのだ。リチャードは二人をにこやかに迎えて酒宴をもよおし、その夜は同じ館に二人を泊めた。しかし翌二九日早朝、二人は寝込みを襲われて捕らえられ、あわただしく処刑されてしまうのである。
かくてストラトフォードで待つエドワード皇太子は、まんまとリチャードの手中におさまり、彼の護衛でロンドン入りをした。弟リヴァーズ伯らの処刑を知って、不安を感じた皇太后エリザベスは、とるものもとりあえず、次男のヨーク公をつれて、ウェストミンスター寺院に避難した。
五月四日、ロンドン入りしたリチャードは、新王の戴冠式《たいかんしき》を六月二二日に挙行すると発表した。しかしこれは、実はウェストミンスター寺院に逃げたエリザベスから、王弟ヨーク公をとりあげるための計略だったのである。寺院に使者として遣わされたバウチャー大司教は、難なくヨーク公をエリザベスの手から奪《と》りあげてしまった。
こうして先の、戴冠式予告の発表はさっさと取り消された。そのあとはリチャードの独壇場で、七月六日に行なわれた盛大な戴冠式は、エドワード五世のものではなく、ほかならぬりチャード三世のものだったのである。
かくて少年王エドワード五世はあっけなく廃位され、弟ヨーク公とともに捕らえられて、ロンドン塔に幽閉された。時にエドワードは一二歳、弟ヨーク公はわずか九歳だった。
リチャード三世の即位後しばらくは、エドワードとヨーク公の姿が、時おりロンドン塔の窓からのぞくのが見られた。いたいけな囚人の哀れさに、人々は思わず涙したものだ。
ところが八月に入って、ぷっつりと二人の姿が見えなくなった。そこでこの時点が、リチャード三世による、少年王と幼い弟王子の殺害の時期と推定されるのだ。
これまでの人殺しのなかで、これほど涙をそそる人殺しはなかっただろう。シェークスピアの戯曲のなかでは、残虐非道な人殺しをとげた名うての悪党たちも、二人の少年を殺したときのことを語るときは、思わず声をあげて泣いたという。
戯曲のなかでは、殺された瞬間、二人の少年は無邪気そのものの寝顔で、たがいに抱きあって、すやすやと寝入っていたという。その唇はふくいくと咲くバラの花びらのよう。一冊の祈祷書《きとうしよ》が枕《まくら》もとにぽつんと置かれていた。
それを見て思わずほろりとしたが、暗殺者たちは仏心をふりきって、哀れな二人の少年を、あっというまに絞め殺してしまったというのだ。
しかしこうして血みどろに手を染めて得た王位だが、わずか二年後の一四八五年、リチャード三世はボスワーヌでリチモンド伯と戦って戦死してしまう。その後はリチモンド伯がヘンリー七世として王位につき、三〇年にわたった血みどろのバラ戦争も、ようやく終わりを告げるのである。
そして一六七四年、ホワイト・タワーの外階段の下から、木製の箱に入った、二体の小さな骸骨《がいこつ》が発見された。ほかならぬエドワードとヨーク公である。二人の最期がどんなふうだったか、未だに謎《なぞ》につつまれているが、他の場所で殺されてから、この場所に移されたのだろうと推量されている。
それ以後、遺体の発見箇所で、二人の幼い王子の亡霊を見る者が続出した。二人の王子は生きていたときのように、いつもぴったりと身をよせあい、たがいに手を握りあっているのだそうだ。
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