フランス人のイッポリト・ド・ボカルメ伯爵は、若いころから旅行家として名をはせていた。ジャワ、マレー半島、アメリカなどを転々としたあげく、一八四三年に帰国して、突然リディ・フウニイという女性と結婚した。莫大な持参金つきという触れ込みだったから、そのころ衰退の一途をたどっていた名門ボカルメ家にとっては、願ってもない縁だった。
結婚後、夫婦はベルギーのモンス近在の、ビトルモンという村にある先祖代々の城に住んだ。夫婦はそこで、それこそ金にあかせて贅沢三昧の生活をおくった。それというのも、リディにはいまにもくたばりそうな独身の兄がおり、いずれこの兄が死んだら、莫大な遺産がころがりこむ公算があったからだ。
ところが夫妻の思惑は、大きくはずれた。病弱な兄がある女性に夢中になり、どうしても結婚すると言い出したのだ。もし結婚してしまえば、兄が死んだあと、残された財産は当然ながら未亡人のものになる。それでは、これまでの期待が水の泡だ。ボカルメ夫妻は必死に結婚に反対したが、兄は二人の反対に耳を貸そうとしなかった。
このままでは莫大な財産がみな、どこの馬の骨とも知れぬ女のものになってしまう……。ボカルメ夫妻は、顔をつきあわせて、必死にどうしたらいいか相談した。そのときボカルメの頭に浮かんだのが、東洋を旅行中に身につけた、ある植物学の知識である。
思い立ったら、実行あるのみ。ボカルメはさっそく約八〇キログラムのタバコを購入し、これを蒸留してニコチンを採取したのである。当時、ニコチンはまだ、毒薬としてはほとんど知られていなかった。
結婚式の前夜、ボカルメ夫妻は、口実をつくって兄をビトルモンの城に招待した。そしてすきを見て、ボカルメが義兄に飛びかかり、用意しておいたニコチンを、無理やり飲ませたのである。
義兄は苦しみぬいて死んでいったが、その死はあまりに怪しいものだった。床に残る爪で引っ掻いたあとが、犠牲者の苦悶を物語っていた。招ばれた医者は、毒のあとを消すのに用いられた酢の臭いにも気づかず、卒中の診断を下したが、それだけではボカルメ夫妻に対する疑いはとても晴れなかった。
結局、ボカルメ夫妻は、一八四九年に逮捕される。トゥルネ裁判所の要請で、名高いベルギーの毒物学者シュタッスがさまざまな動物実験を重ねたすえに、ついにタバコからアルカロイドを遊離させることに成功した。このとき実験に協力したのが、ボカルメ家で、主人とともに毒物を扱っていた一人の召使である。
かくて犯罪はあばかれ、ボカルメ伯爵は死刑に処された。ボカルメ伯爵にしてみれば、ニコチンこそ絶対に誰にも見破られない毒薬だと、勝手に思い込んでしまったのだろう。結局、召使を信用しすぎたことが、彼の命とりになったのだろうか?