一九世紀アメリカのホームズという医者は、つぎつぎと金持ちの女をたぶらかして金をだましとり、あげくは奇妙な「殺人工場」を建設して、二〇〇人もの女をつぎつぎ殺していった。
彼が一八九三年のシカゴ博覧会にそなえて建設した、豪華なホテルの各部屋には、さまざまな不気味な仕掛けがあった。
各部屋の壁がスライドすると、その向こうは迷路のような秘密の廊下がつづいており、廊下の覗き穴から客の動きを観察したり、オフィスにいるときも、床下にとりつけた探知機で客の動きを逐一知ることができた。
リモコンでガス栓を操作して、客を窒息死させる装置や、死体を地下室に運ぶ大掛かりなリフトもあった。こうして運ばれた死体は、そのときによって焼却炉で灰にされたり、硫酸槽のなかで溶かされたり、生石灰のなかに埋められたりした。
ホームズ医師が発明した拷問用具のなかでも、特に変わっていたのは、足の裏をくすぐる自動装置である。被害者はこれにかけられると、文字どおり笑いつづけながら、死んでいかねばならないのだ。
この「ホームズ城」は一八九二年に完成し、翌年の五月一日、いよいよシカゴ博覧会がはじまった。半年間、ホームズ医師の殺人工場は、おおいににぎわった。ホームズは客の選択に関しては、贅沢だった。金持ちの独身女。出来れば美人のほうがいい。しかも友達や親戚が探しに来たりしないように、出来るだけ遠くから来ていることが望ましい……。
いったいホームズ城でどれだけの女性が拷問されて、殺されていったのだろうか? 警察側は二〇〇人と推量し、ホームズ自身は三〇人に足りないとうそぶいている。その中間と見るのが、妥当なところだろう。
のちに逮捕されたホームズ医師は、死刑を宣告され、一八九六年五月、三五歳の若さで絞首台にのぼることになるが、シカゴ博覧会が終わってホテルの客がガタ減りになると、ふところが寂しくなったというので、よりによって自分のホテルに火をつけ、保険会社に保険金を請求するなど、破れかぶれの晩年だったようだ。