それから一週間ほどして私が日本へ帰る日、ヨンスギに電話をすると、彼女は空港まで送りに来てくれた。彼女が高価な朝鮮人《にん》参《じん》や海《の》苔《り》などのお土産をもって来てくれたので、「まあ、そう簡単に買えるものじゃないのに……」と言うと、彼女はニッコリ笑いながら言った。
「何言ってるの。この前ディスコへ行ったでしょ、あのとき日本人に紹介してやった彼女たち三人から二万円ずつで六万円の紹介料をもらってるのよ。みんなこうして副収入をあげてるんだわ。私一人でもらっちゃ悪いからあなたに半分あげようと思ったんだけど、どうせ受け取らないだろうから、こうして人参なんかを買って来たのよ。あなたは日本へ行ってやせたみたいね。人参を食べてもっと太ってね」
昔とは一八〇度変わってしまったヨンスギ。しかし私への友情だけは変わらないヨンスギ。何が善なのか、何が悪なのか、私にはとうていわからない。ただ涙ばかりが出てしまう。理性とか冷静さとかが、このときほどわからなくなったときはなかった。
私の国だからいつも帰りたいと思っていた韓国だったが、この国の何かが私を拒絶している——そんな感覚にとらわれながら、飛行機の窓からだんだん遠ざかるソウルの街を見下ろす私は、溢《あふ》れる涙を拭《ぬぐ》うことも忘れていた。
それから一年後、韓国に帰った折りにヨンスギに電話をしたのだが、ママさんハウスにヨンスギはいなかった。聞いてみてもだれもヨンスギの行方を知らない。母親も引っ越してしまってかつての住所にはいなかった。
クウェートの人とうまくいって、ビルを買って足を洗ったに違いない。私はそう思おうとつとめたが、気分は重くなる一方だった。もっと探してみようかとも思った。しかし、私もそれなりに忙しい。私は私、彼女は彼女だ。そう考えて、それっきり彼女を探すことはしていない。
五年ぶりに再会して人生に大転換のあったことを知り、まるで生き別れをしたような宙ぶらりんの気分のままに、さまざまなイメージで思い描くしかない親友ヨンスギへの思いは、私のいまの韓国への気持ちそのものでもあるように思える。
どんなに紆《う》余《よ》曲《きよく》折《せつ》を経ようとも、ヨンスギのかつての輝きはどこかに生きている、そしていつの日か再び輝き出したヨンスギと出会うことがあるかもしれない、そんな日には私自身も輝いていたい……。そう思うことが私にできなくなったとき、今度は私が宙に浮く番に違いない。
「何言ってるの。この前ディスコへ行ったでしょ、あのとき日本人に紹介してやった彼女たち三人から二万円ずつで六万円の紹介料をもらってるのよ。みんなこうして副収入をあげてるんだわ。私一人でもらっちゃ悪いからあなたに半分あげようと思ったんだけど、どうせ受け取らないだろうから、こうして人参なんかを買って来たのよ。あなたは日本へ行ってやせたみたいね。人参を食べてもっと太ってね」
昔とは一八〇度変わってしまったヨンスギ。しかし私への友情だけは変わらないヨンスギ。何が善なのか、何が悪なのか、私にはとうていわからない。ただ涙ばかりが出てしまう。理性とか冷静さとかが、このときほどわからなくなったときはなかった。
私の国だからいつも帰りたいと思っていた韓国だったが、この国の何かが私を拒絶している——そんな感覚にとらわれながら、飛行機の窓からだんだん遠ざかるソウルの街を見下ろす私は、溢《あふ》れる涙を拭《ぬぐ》うことも忘れていた。
それから一年後、韓国に帰った折りにヨンスギに電話をしたのだが、ママさんハウスにヨンスギはいなかった。聞いてみてもだれもヨンスギの行方を知らない。母親も引っ越してしまってかつての住所にはいなかった。
クウェートの人とうまくいって、ビルを買って足を洗ったに違いない。私はそう思おうとつとめたが、気分は重くなる一方だった。もっと探してみようかとも思った。しかし、私もそれなりに忙しい。私は私、彼女は彼女だ。そう考えて、それっきり彼女を探すことはしていない。
五年ぶりに再会して人生に大転換のあったことを知り、まるで生き別れをしたような宙ぶらりんの気分のままに、さまざまなイメージで思い描くしかない親友ヨンスギへの思いは、私のいまの韓国への気持ちそのものでもあるように思える。
どんなに紆《う》余《よ》曲《きよく》折《せつ》を経ようとも、ヨンスギのかつての輝きはどこかに生きている、そしていつの日か再び輝き出したヨンスギと出会うことがあるかもしれない、そんな日には私自身も輝いていたい……。そう思うことが私にできなくなったとき、今度は私が宙に浮く番に違いない。