多くの日本人が、韓国は反日感情が強いとはいえ、そこは礼を重んじるお国柄、お客さんに対してはまさかそうした感情をぶつけることはないだろうと考えている。
最近、まさしくそのように考えて韓国旅行をしたという、ある日本人の読者から、こんな手紙をいただいた。
ソウルの町を見物しながら歩いていると、「靴を磨きませんか」と日本語で親しげに声をかけられたので、みやげ話にとやってもらうことにした。ところが、靴磨きが終わると、最初に言った値段よりも数倍も高い値段を要求してくる。彼は、「そんなおかしな話はない」と言いながら、あくまで最初に相手が言った値段で支払おうとして口論となった。
すると、いつとはなしに仲間の者たちが周りに集まってきて、いかにも暴力をふるうような態度を見せる。驚いていると、一人の靴磨きが割って入って、口々に叫ぶ仲間を押し止めながらも、彼に対してこう言うのである。
「いいじゃないか、あなたたちは過去に悪いことをしたのだから、そのぐらいは当然だろう」
彼は、「観光に行ったのになんであんな失礼な態度をとるんでしょうか、韓国は『東方礼儀之国』ではなかったんですか」と、その憤《ふん》懣《まん》を書き送って来たのだった。
観光で韓国に行ったにもかかわらず、あちこちで過去のことについて感情的に出てくる韓国人に接することになり、とても嫌な気持ちになるという話は、日本人から耳にタコができるほど聞かされてきた。観光客に対して、そんな迎え方はないだろうと、多くの日本人が傷つけられた体験を語るのだが、韓国人に言わせれば、観光客であれなんであれ、日本人は日本人なのだ。
すまない気持ちを持って、先祖たちがいかに悪いことをしたのか、日本人ならばそれを確かめるために韓国旅行をしなくてはならないと考える。だから、嬉しい気持ちで旅行してもらっては困るのであって、すまない気持ちで過去の罪を償うために旅行をすべきなのだと考える。
したがって、韓国旅行でスリにあったとしても、日本人なら文句を言うべき筋合いのものではなく、当然、我慢しなくてはならない、またそうしたことを積極的にされて当たり前なのだと考える。
みやげ物屋では、日本人に対しては、通常の何倍もの高い値段をつけるのが普通である。しかし、お金があるからということだけで日本人客を狙《ねら》う他の外国人とは違う。過去のことからすれば、日本人からは高くとって当たり前という論理ならぬ感情なのである。日本人は自分は一個人に過ぎないと言うのだが、個人にも責任があるとするのが韓国人だ。先祖は先祖、国は国、そして私は私という考え方は韓国人には通用しない。
あらゆる場面でこうしたことが現われる。ビジネス関係で、自分の方の責任で相手に損をかけても、日本側が一定の損をしても当然だと、損害の責任を回避する韓国人ビジネスマンが多いという話もよく耳にすることだ。