個々人というよりは、韓国人一般の反日感情の質は、過去に日本の侵略を受けていかに苦しい目にあわされたかという、先祖あるいは民族の苦痛に対するものとしてある。これを「うらみ」だと理解する日本人が多いのだが、うらみというよりは、憎しみだと言った方が近い。したがって、相手に復讐して積年の怨恨を晴らそうという性質のものではまったくない。
また当然のことだが、韓国人特有の、自分をみじめな位置に置いて、そうした状況にある自分を「恨《ハン》嘆《タン》」するものでも、タリョンのような性質のものでもない。不幸な自分の運命を嘆くときの、あてどころのない恨ではない。
韓国人の反日感情は、もともとの彷徨《さまよ》える自らの運命に対する恨が、自らの国家の運命と重なることによって、日本という具体的な対象を獲得した——そこに出発するものだと思う。
この感情の内容を素描してみれば、日本人は韓国人を、野蛮なやり方で痛めつけた憎むべき悪人だ、だから彼らは道徳的に私たちの下に立つべき者たちだ。そのことを彼らが忘れないように、常にはっきりさせておかなくてはならない。彼らがそれを受け入れなければ、容《よう》赦《しや》なく攻撃するべきである、といったものになるだろう。
韓国人であればだいたい、初めて会った日本人には、まず日帝時代のことを頭に浮かべ、機会をつかんで、ひとことでも国のために何かを言っておきたい気持ちを強く持っている。たとえば、韓国駐在のある日本人ビジネスマンの奥さんが、帰国してから私にこんな話をして憤《ふん》慨《がい》したことがある。
あちらで韓国製の自動車を買ったのだがすぐに故障してしまった。彼女はとてもうまく韓国語が話せるので、自ら故障の状態を販売店に説明してなおすように言ったのだが、いつまでたってもなおそうとしない。そこで、ソウルの「消費者センター」へ相談に行った。そのとき、窓口の者にこう言われたという。
「あなたは日本人か、ならば、あなたにそんなことを言う資格はない。日帝三十六年の支配で、日本人は韓国人に対して悪いことをたくさんやって来たではないか、まずそのことを謝罪すべきであるのに、韓国人を非難するような言い方は許すことができない」
いまにして思えば、私もこういう決まり文句をずいぶんと口にしたものだった。
韓国人にとっての日本人は、常に自分たちに許しを乞うべき者であり、常に自分たちに対して下の方に位置することを忘れてはならない存在なのだ。そこで、「下にいるべき者が下にいること」を教えてやらなくてはという欲求が働き、機会をとらえては「日帝三十六年云々」が出てくることになるのだ。