韓国の家族主義は父権主義でもある。ここでも、それは日本でも同じことだ、かつての日本にも、男がいばり女が虐《しいた》げられるという、いまの韓国と同じような状態があったと言われることが多い。確かに、表面ではそう言えるかもしれない。しかし、どうやらその下の方では、およそ韓国とは異なる日本が広大な裾《すそ》野《の》を形成して、しっかりと腰をすえている。
それは言うまでもなく母性を尊重する母権主義的な価値観と文化である。
日本人と家族の話をすると、なぜか父親の影が薄いものに感じられるのが実に奇妙だった。そして、少し親しくなった日本人の家庭におじゃましてみると、多くの奥さんがご主人に対しても母親的なのだ。また、ご主人も奥さんに対してまるで子どものような接し方をして喜んでいる。これは韓国人にとっては驚くべきことである。
また、日本の男たちは次のようなことを口癖のように言う。
「父親なんて働きアリみたいなもんでね、子どもはみんな母親の味方だし、僕なんかおカミさんがデンと取り仕切る家に生活費を運んで、それでなんとか面倒を見てもらってるわけさ、哀れなもんですよ」
もちろん、これはジョークだろう。自分を揶《や》揄《ゆ》してみせることによって、いかに自分の家族では父親の力が小さく、母親の力が大きいのかを強調してみせている。韓国ではこんなジョークは成り立ちようがないから、額面どおりに受け取られて軽《けい》蔑《べつ》されることにもなりかねない。
このような、母親の方に権威のある家族のあり方が、見かけだけではなく、実際に内容のともなったものかどうかは個々に違うかもしれない。ただ、このジョークでは、「そのような家族がよい」という無意識の価値観が語られていると思うのだ。「そのような家族はよくない」と思っているのならば、ジョークになるわけはなく、悔《くや》しさや怒りとして表現されるはずである。
なぜ日本ではお母さんの力が目立つのか?
日本の民俗学の本をいくつか読んでみてやっと納得できたのだが、なるほど日本は母の国なのだ。それに対して韓国は文句なく父の国である。それもおそらく、世界でも最も強固な父権主義社会である。韓国人が英語で書いた文献を読むと、自分の生まれた国をマザーランドと表記する世界の常識に反して、ほとんどの者がファーザーランドと表記しているのである。
韓国ではいまでも、父親の前で子どもが煙草を吸ったりお酒を飲むことを許さない家は珍しくない。厳しい家では眼鏡をかけて父親の前に出ることも許されない。そのような行為は父親の権威を汚すものだからである。韓国では眼鏡はおしゃれ用具の感じが強い。
韓国の普通の家庭ならばどこでも、父親が帰宅すれば、それまで緩んでいた家の空気は一瞬張りつめたものとなり、やがて中心を取り戻した独《こ》楽《ま》のような安定感が家族を満たすのである。