最近、休みを利用して日本に来た、数人の韓国の女子大生と話す機会があった。私は「みんなどんな男の人とつき合いたいと思ってるの?」と聞いてみた。一人の快活そうな学生がすぐに口を開いた。
「女子大生の間ではね、社会的に地位のある男を誰が先に愛人にするかというのが流《は》行《や》っていますよ」
彼女たちはお互いに顔を見合わせながら、「そうなのよね」とうなずき合っている。
「なぜって、若い男たちって、なんか青くさくて、年をとっている人の方が女の扱いがうまいじゃないですか? こちらが何か間違いをしても愛《あい》嬌《きよう》で見てくれるけど、若い男はマジメになるから疲れますよ。デートでも、電車かバスに乗ってみすぼらしい食堂で食事するのが精いっぱいでしょ? でもある程度の地位のある人だったら、自家用車で高級レストランに乗りつけて食事もできるじゃないですか。若い男は経済的な余裕があったにしてもデートの相手としては嫌ですね」
彼女を援護するように別の一人が言う。
「中年の人と一回つき合ったら、もう若い男となんかはつき合う気にならなくなりますよ」
うなずきながらも、一人の学生がそれにちょっと反発してみせる。
「私は年寄りの男は嫌だな。でも、結婚相手ならば十歳くらい差がある男がいいわ」
そこから結婚相手にはどんな男がいいかという話に移っていった。
一人が言う。
「結婚するなら、結婚した経験がある人がいいと思うな。それに、たくさんの女を知っている男がいいわ。なぜって、もう浮気に疲れて飽《あ》きてしまってるでしょ、だから自分が最後の女になれるわ」
この意見にはみんな賛成で、口々に「私も、私も」と言うのには驚いた。なぜかと聞くと、こんな答えがかえって来た。
「韓国では『女は我慢して生きるもの』とか言われるでしょ。でも、我慢して生きてきた母のような生活はしたくないですね。浮気を我慢するくらいなら、浮気の相手になる方が全然いいですよ、だっていつも愛をもらえるじゃないですか」
子どもっぽいと思われるかもしれないが、彼女たちの男性観は韓国の一般の女のそれと、それほど変わるものではない。彼女たちも、もっと年上の女たちと同じように、若さよりも安心して頼れることの方に重点を置いているのだ。そして同じように、彼女たちからも、男に依存することなく生きようとする意志を感ずることはできない。
韓国の男女の愛は、通常、男に依存する女という構図でつくられてゆく。そのような構図が崩れると、恋人関係にもひびが入ることが多く、ほとんどの夫婦関係が崩れてゆく。実際、私の知る韓国の女医は、サラリーマンの夫と共稼ぎをしているが、あるとき自分の給料が夫より高くなってしまった。彼女はそのことを悩み、結局、病院に頼んで自分の給料を夫より安くなるように下げてもらっている。
経済力でも知識でも、すべてについて男が上で女が下。この関係が逆にならないようにということでも、夫は十歳ほど上がよいとする考え方が出てくるのだ。そのため、極端な年齢の差もそんなに男女の愛の壁にはならない。二十代の女が六十代、七十代の男に愛を感じることも、韓国ではとくに変わったことでも珍しいことでもない。