社長は韓国では確かに最も階級の高い者と尊敬される。それは不思議なもので、社長でなかったときには、特別尊敬されてもいなかった人が、社長の肩書を持ったとたんに、周りの人たちが一目置くようになるのである。
したがって、会社が倒産したときほど、社長が自分をみじめに感じるときはない。それまで、周りから羨《せん》望《ぼう》の目で見られていたのが、一晩で軽《けい》蔑《べつ》の対象となってしまうのだ。
私の知る韓国人にも、そうしたとても悲惨な目にあった人がいる。
彼は個人工場の経営者。工場をはじめてから十四年ほど経っていた。彼はなかなかの人格者で、そういうことでも、周りから尊敬されていた。しかし、売掛金が焦げついて、ついに不渡手形を出して倒産してしまった。
そして、次の日から仕事仲間や近所の人の態度がガラッと変わった。挨《あい》拶《さつ》ひとつすることもなく、冷たい、軽蔑の目で見られる毎日がはじまった。それまでの誇りを突然捨てることを要求されたのである。彼も家族もいたたまれない恥《ち》辱《じよく》感の毎日に、その土地にはとてもいられないと、夜逃げ同然で引っ越したのだった。
不渡りを出したままでその返済をしなければ、韓国では犯罪となり、刑務所へ入れられることになる。同じ学校出身の友だちも、同じ土地出身の友だちも、彼にお金を貸してはくれなかった。そんなとき、韓国では家族しか頼れるものがなくなってしまう。彼はなんとか親にお金を工面してもらい、刑期を軽くすることができた。
韓国の社会では、安定期には学縁が、次には地縁が、そして混乱期には血縁が最も強く働くと言われる。それは個人にしても同じことなのである。
最近、教育者としても名のある人物が経営する、中学・高校・大学を合わせ抱える学校法人が倒産した事件があった。彼は高齢になって息子に経営を任せたのだが、息子は経営規模を広げようと野心を持ち、銀行から借金をして校舎を建て替えるなど、多額の投資を続けていった。しかし、規模拡大がそれほどの収益を生まず、狙《ねら》いが裏目に出て倒産してしまった。
この事件のことは、韓国から知り合いが電話してくるときには、よく耳にした。なかで、その老教育者と親しくしていたというある人は、一片の同情をみせることなく、「ああいうふうにして滅んでいくんだよ」と冷たく言い放っていた。
日本人がまるでそういう人たちではないことを、私は最近しみじみと体験させられた。
私もよく知る日本人が事業に失敗して倒産したのだったが、その後間もなく、周りの者たちで彼の「励まし会」を開くので出席して欲しいという連絡が入ったのである。
私も参加したが、誰もが「自分も出来るだけの力を貸すから、めげずにがんばれ」とはっぱをかけている。そして声援の言葉だけではなく、取り引きでもこんな便宜をはかれるからと、具体的な提示をして、再出発へと力を与えているのだ。
韓国では、誰もそんなことをやろうと発想する者はいない。相手にすることもしないし、また本人もかつての仕事仲間からは逃げてしまっていることだろう。そんなとき、韓国では、あれほど固いきずなを結んでいたはずの友だちも、ほとんど寄りつかなくなってしまうことが多いのである。やはり韓国では家族しか残らない。それまで家族に無関心であった父でも、家族は温かく包んでくれる。