最近の若い女性たちは、男の「毛」を嫌うらしい。「毛」と言っても頭髪のことではない。ワキの下の毛、足と腕の毛、そして胸毛などの、いわゆるムダ毛のことである。
知人の二十二歳の女子大生は、恋人にワキ毛が多く、胸にもちらほら胸毛が生えているのが、いたく気にいらない、と文句を言う。あら、胸毛だなんてカッコいいじゃないの、と言っても聞く耳を持たない。いまどき、胸毛をはやらかして喜んでいる男は馬鹿の典型なのだそうだ。
彼女の恋人は二十四歳のサーファーお兄ちゃん。彼はどう反応するのか、と見ていると、いとしい彼女が自分のワキ毛と胸毛を嫌悪していると知り、愕然《がくぜん》としたらしい。早速、脱毛クリームを塗って、いとも簡単にワキ毛と胸毛をそっくり脱毛してしまったというから驚きである。
ひと昔前までは、毛深い男というのは、憧られこそすれ、軽蔑《けいべつ》されることは、滅多になかった。それだけ、男のムダ毛というものは、性的な魅力に通じていたのだと思う。
007シリーズのボンド役、ショーン・コネリーが胸毛を風にたなびかせているのを見て、多くの男たちはその精悍《せいかん》さを羨ましいと思い、女たちは彼の「毛」にこそセクシュアルなイメージを託したはずである。
それにたとえば西城秀樹あたりが、テレビの歌謡番組で、上半身タンクトップ一枚になり、激しい踊りを展開して、ワキ毛が黒々と垣間見《かいまみ》えても、別段、ファンたちは「わっ、いやらしい」とか「気持ち悪い」とか思わなかったはずだ。
だが、今や時代は変わった。男の「毛」は頭髪以外は嫌悪の対象になりつつあるらしい。「シルベスター・スタローンに胸毛がごっそり生えてたら、あたし、あの映画、絶対見なかったわよ」と言っていた女の子もいる。オヘソから胸を通過し、首まで至る立派な山脈のような胸毛をお持ちの或る青年は、それを女の子にさとられるのがいやで大層、悩み、常に立ち襟のシャツしか着ない。水着になるなど考えられない、とおっしゃる。
なるほど、注意してテレビなど見ていると、男の歌手たちはワキ毛の手入れをことの他、念入りに行っているらしく、昔のように「ギョッ」となるほどの剛毛には、なかなかお目にかからない。
これも時代の趨勢《すうせい》なのだろうが、いやはや、価値観はとてつもなく変わったものだ、とつくづく思う。
だが、一方では、女性たちのムダ毛に対する文字通りの「毛嫌い」は、これまた日を追ってヒステリックになってきている。
毎日毎日、新聞にはさまれてくる広告ちらし。うち三分の一は「脱毛サロン」の宣伝だというのを御存知か。
その内容たるや、時として首をひねりたくなるものばかり。ムダ毛は忌むべきもの、退治すべきもの……とまるで水虫のような扱いなのだ。毛は生えてて当たり前、そこまで言わなくても……と思うのだが、世間はどうやらそうは思っていないらしい。
女性のワキ毛が「はしたないもの」「下品なもの」「人目にさらすべきではないもの」という考え方は、ひとえにその社会の価値観が生み出すものである。フランス人の若い女性の二人に一人は、ムダ毛の処理に無頓着だし、第一、日本ほど女性たちの間で、やれエステティックだの脱毛だの、騒いでいるのは聞いたことがない。
これはメキシコあたりでも同じらしく、かの地に旅行した人は、等しく、「目のやり場に困る」とおっしゃる。なにしろ、とびっきりの美人(あちらは美人が多いそうで)が、腕を上げるとそこに剛毛が垣間見《かいまみ》える……というのだから、慣れない日本人にとっては、まさしくカルチャーショックであろう。
だが、最近、日本でも黒木香さんのように、女としてワキの下の毛をナチュラルに保つことを誇りとする人が現れた。わざわざ見せびらかす必要はないと思うが、あれはあれで我が国における「毛」に関する古くさい価値観を揺るがせる結果になる。まことに結構なことである。
え? 私ですか? 私は、何ぶん黒木さんのように勇気もなく、かと言って脱毛に何万円もの金を使うなんて考えられないケチなので、面倒だ面倒だ、と愚痴を言いつつ脱毛クリーム……のクチであります。
強いて言えば、私はムダ毛なんてものは男も女も取ろうが取るまいが、どっちだっていい、と思っている。脱毛に命をかけたい人には悪いけど、生えているべき場所に生えない人の悩みに比べれば、平和な悩み。まして男に胸毛が生えてたっていいじゃござんせんか。