日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

猫を抱いて長電話10

时间: 2020-08-09    进入日语论坛
核心提示:私はサディスト? スポーツ観戦が、結構好きである。ゲームの面白さはもちろんのこと、試合中に怪我をした連中の凄い回復力を見
(单词翻译:双击或拖选)
 私はサディスト?
 
 スポーツ観戦が、結構好きである。ゲームの面白さはもちろんのこと、試合中に怪我をした連中の凄い回復力を見るのが、痛快だからである。
 だから、ひどい話だが、プロ野球でも誰かがデッドボールを受けはしないか、と心待ちにする。ひとたび、デッドボールシーンがあると、もう大変。テレビに身を乗り出して「わあ、痛そう。わあ、大変」などと、ひとりわめきちらす。
 そして、選手が痛みをこらえてすっくと起き上がり、何事もなかったように歩き出すのを見て、スカーッとした気分を味わうのだ。
 こんな調子であるから、やわなスポーツよりも、激しいスポーツ……怪我や死と隣り合わせの肉弾相撃つスポーツには目がない。
 ことにヘビー級のボクシング。これは興奮します。この間、放送された世界チャンピオンのタイソンの試合なんかは、もう、手に汗握り、第八ラウンドでタイソンがKO勝ち(相手はほとんど死んだように伸びていたが)になった時は、今すぐアメリカに飛んで行ってキスしてあげたくなってしまった。
 あの鋼鉄のような筋肉に囲まれた彼の身体は、セクシーとかエロティックとか美しい、とかいう次元を超えて、生ける戦闘機そのものだ。戦闘機を相手に闘うなんて、対戦相手も相当な根性である。これぞ、まさに死と隣り合わせになったスポーツでなくて何であろう。
 あとはやはりラグビーですね。ゲームルールなど、ほとんどわからないのだが、見ていて楽しいのは、脳しんとうか何かをおこしてぶっ倒れた男たちに、大きなヤカンの水をぶっかけるシーン。おかしなことに水をぶっかけられると、それまで死んだようになっていた男たちは、みるみるうちに甦《よみがえ》る。あれは見ていて本当に痛快である。
 肉体が訓練によって一種の機械のようになっている彼らの姿は、感動的だ。一回、脳しんとうでもおこそうものなら、三日三晩、ベッドにもぐりこんで、お粥《かゆ》でもすすっているであろう、ひ弱な私のことを思うと、別世界。そこがまた新たな感動を呼びおこすのである。
 言いたくはないが、私はひどい運動音痴。小学校の時の体育の成績が、五段階評価で「3」以上に上がったことがないし、「2」だったことも何度かある。
 それに、私のもっとも恥ずかしい記録は、大学に入った時の体力測定で、五十メートルを十秒かかって走ったこと。百メートルではない。五十メートルを十秒なのだ。当然、クラスで最下位だった。
 まだ十八か十九の、もっとも体力があったころの成績がそうなのだから、今もし測定したとしたら、五十メートルを二十秒かかって走るのかもしれない。何をかいわんや、である。
 決して運動神経がないわけではない。テニスだって卓球だって、まあまあ人並みにはプレイできる。水泳だって、まったくのカナヅチではないから、足が底につくような海やプールでなら、なんとか背泳ぎで二十五メートルは泳げる(クロールは駄目なのだ。息つぎが出来ないから。それに何故か、平泳ぎも駄目。一生懸命、水を掻《か》いても、進まないのである)。
 ごく稀《まれ》に、気が狂ったようにして突然、ジョギングをやってみようと思いたつことがあるが、そうした時でも二キロから三キロまでなら、わりと楽に走ることができる。運動能力がゼロというわけではないらしい。
 では何が私のスポーツに対する不器用さの原因になっているかと言えば、それは明らかに「恐怖心」である。
 恐怖心……自分の肉体が傷つき、死と隣り合わせになりはしないか、という想像力が、この厄介な感情を生み出す。
 たとえばスキーは、足の骨を折りそうで怖いし、登山は崖から滑り落ちそうで怖い。スキューバダイビングなんて、もっての外。海中でウツボにでも出会ったら、私などパニックを起こして、たちまち酸素を使い切ってしまうに決まっている。
 バレーボールは突き指が怖いし(もう、こうなると馬鹿丸出しだ)、器械体操は捻挫《ねんざ》が怖い。昔、テニスをやり始めたころボールを打ったと思った途端、打ったのは自分の脛《すね》で、しばらく歩けなくなったこともあった。
 この異常な恐怖心、早く直そうと努力した時期もあったが、結局は失敗に終わっている。今ではもう、諦めの心境で、だからこそ、他人が「死と隣り合わせ」になって競技するスポーツを見ることにより、満足するのだ。ほとんどサディストではないか、と時折、怖くなることもあるのだけど。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%