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猫を抱いて長電話51

时间: 2020-08-11    进入日语论坛
核心提示:快楽の原則 古今東西、凡百という意見が出るのが�今の若者は�というテーマについてであろう。 かつて、その道の(?)活動家
(单词翻译:双击或拖选)
 快楽の原則
 
 古今東西、凡百という意見が出るのが�今の若者は�というテーマについてであろう。
 かつて、その道の(?)活動家だったような人が、�今の若者は�なんて分析を始めるのを見ているのは、なんだか面白く、懐かしく、また同時に不思議な感じさえする。かつて、彼ら自身が、オジサンオバサンから�今の若者は�と言われ、勝手に分析統合され、それに抗議するために、また新たなブームを巻き起こしては、オトナをコケにしていた時代があった。歴史は、この、世代の飽くことなき交代によって、動いていくものだとわかっていても、なお、不思議さは拭《ぬぐ》えない。
 ……と、つまらないことをのっけから書いたが、さて、「カウチポテト現象」について、である。
 カウチポテト現象とは、㈰カウチに寝そべって、ポテトチップスを食い荒らしながらゴロゴロとTVなどを見る若者たち㈪若者たちがカウチの上に転がしたポテトのように、日がな一日、ごろごろしていること……のいずれかであるらしいが、確固たる定義はなさそうだ。
 どちらにしても、この現象は昨今の若者たちの「室内おこもり願望」を表現するものであることに変わりはない。
 これまで一般的に言えば、若者の活動する場所は室内ではなく、外……と考えられていたし、実際、そうだった。
 たとえば私が過ごした六十年代末から七十年初頭にかけての、あの結構面白かった時代のことを言えば、家というのは、口うるさく束縛してくる親がいるところであり、生活の匂いがプンプンする、保守的で創造性のかけらもない、退屈な役所のような場所でしかなかった。
 たとえ、一人暮らしをしていたとしても、四畳半一間、風呂なし、トイレ共同、月額八千五百円也……の、アンモニアの匂いが漂う、ゴキブリの巣窟《そうくつ》のような部屋は、廃品の山から拾い出してきた、NHKしか映らないTVと、雑音だらけのトランジスタラジオと、家具と言えば折り畳み式の四角いテーブルだけ……といった殺風景な部屋が主流で、そこは連れ込み旅館(私も古いですねえ)に行く金を惜しむために、異性を連れて来るためにのみ、存在していたと言っていい。
 たまに、お金持ちの友達が住んでいる高級マンションの一室を留守番という名目で借りて、異性とリッチに夜を過ごすことはあっても、それも一夜かぎりの儚《はかな》い夢、一夜明ければ、盗み飲みしてしまった友人のサントリーオールドの瓶に、水を足してごまかし、やっぱりジャズ喫茶でウツウツとしていたほうが、性に合ってるなあ、と思いつつ、あたふたと外に出る、といった具合だった。
 とにもかくにも、TVを自室に持っている人が数えるほどしかいなかった時代である。汚い部屋にこもっていても、本を読むこと以外、何もすることがない。電話もないから、友人と長話して時間をつぶすこともできない。だから、目は自然に外部に向かう。外に出れば、きっと何か面白いことがある。刺激的なことがある。そう信じて、日夜、街を徘徊《はいかい》するのが、当時のごく一般的な若者たちの風景だった。
 ところが、現代はたいていの若者が自室にTVを持っている。ステレオ、CDプレーヤー、ビデオデッキだって、相当数の連中が所有している。パソコンは無理としても、ファミコン程度なら、楽にそろえられる。
 彼らがどこまで、�快・不快�の原則に忠実でいられるのか、私には見当もつかない。学校を卒業し、就職してしまったら、突然、豹変《ひようへん》して、案外、長いものに巻かれろ……式に、やたら世間のリズムに従順になってしまうのかもしれない。また、自己認識に欠ける分だけ、快楽の味つけさえしてあれば、どんなことでも、無自覚に受け入れてしまう危険性もあるのかもしれない。
 だが、一方で、カウチポテトの若者たちに期待できる何かがあるような気もしている。
 最近、オジサンたちの世界では「ビフォア9」の活用……つまり、出社前の朝の数時間を英会話や各種勉強会に当てる人たちが増えている。朝七時から勉強会! こういうのに参加するオジサンたちは、いったい何なのだろう。
 朝七時に始まる勉強会に出るためには、少なくとも五時半には起きねばならないわけだ。当然、前の晩は十二時過ぎまで接待で飲んでいたんだろう。慢性睡眠不足と戦い、痛めつけた肝臓をだまし、世間のあらゆる情報を咀嚼《そしやく》してやろう、と無駄な努力をし、なおかつ、競争社会で生き残らんとする、この痛々しさ!
 殺伐としたサバイバルゲームに積極的になるフリをしなければならない人たちの苦しみ、自己抑圧はどれほどのものか、想像しただけで、同情の涙がわく。
 オジサンたちオトナの世界では、�快・不快�の原則は、ただのフィクション、遠い南の島でしか起こりえないファンタジーにすぎないのだ。
 カウチポテト現象が、すべての年代に広まったとしたら……と考えると楽しくなる。どうせ、世紀末なのだ。日本全国、日々是カウチポテト……となってみるのも、時代の病巣をショック療法で根治させるのに少しは役立ちそうな気もするのだが、乱暴に過ぎる発想だろうか。
 電話ももちろんある。冷蔵庫の中には、缶ビールやジュース、果物がいつも冷えている。ポテトチップスやプリッツ、サキイカなどは、なくなったら、近所のセブンイレブンですぐに買える。ついでにコミック雑誌やレンタルビデオも夜中だって手に入る。値段はどれも安い。セブンイレブンでポテトチップスと缶コーラ、コミック雑誌を買って、隣のレンタルビデオ屋で『13日の金曜日・パート5』を借りたとして、出ていく金はせいぜい千円ちょっとである。六本木|界隈《かいわい》のカフェバーに出かけ、女の子におごってやることを考えたら、信じがたく安い出費と言える。
 そのうえ、自室でごろごろと一人で楽しむ時に、気取った服装も、シャンプーしたてのさらさらの髪も、また疲れるお喋《しやべ》り、お愛想笑いも必要ではなくなる。気楽な短パンにヨレヨレのTシャツでも着て、丸井で買ったソファに寝そべり、照明を一ランク落とし、電話を留守番電話に切り換えれば、たちまちのうちに自室は映画館、ホテルの個室、そしてひとりだけのレストランに早変わりするのだ。
 つまり、これは誰の目から見ても快楽なのである。オジサン、オバサンだって、こんな楽しみ方をしたいと思っている。孤独が欲しいから? 人間関係に疲れたから? いやいや。そんな生真面目な分析の仕方は、おそらく的はずれに違いない。
 人は誰しも快楽を追う。そのことを咎《とが》めることは誰にもできない。そして、快楽というのは、ほとんどの場合、生身の自分を何の抑圧もなく表現するということに尽きる。
 たったひとりで、自分の好きな物を食べ、好きなひとりごとを言い、好きな恰好《かつこう》をして、好きなことをする……この贅沢《ぜいたく》さを超える快楽というのが、いったいこの世にあるだろうか。
 オトナたちは、現代の若者たちをとらえて、「熱狂しない」「冷めている」「人間関係を持ちたがらない」などと批判的なことを言いたがるが、……私はちょっと見方が違う。今の若者たちは、素直に快楽を追っている。冷めているのでもなく、人間との関わり方が下手なのでもない。彼らは、ただ�快・不快�の原則に従って、素直に生きているだけだ。
 いやなことはやらない。自分を抑圧するようなことはしない。自分が常に心地よい状態にありたいと願う。
 カウチポテトの若者たちが、かつての世代の人間たちと比べて、観念的な考え方をするのが苦手になった、とはよく言われることだし、また事実だろう。だが、彼らが不真面目で不勉強だからそうなった、と言うのは必ずしも当たっていない気がする。
 観念はあくまで頭が生み出すものだ。ということは、他者や書物、あるいは環境が少なからず影響を及ぼす。影響を受けて編み出した観念は、どこかで自己抑圧を生む。××という考えに基づけば、俺《おれ》は○○であらねばならない、本当は俺は○×なのだが、やはり○○になるようにしなければ、整合性がなくなる……といったように。゛
 カウチポテトの若者たちは、些細《ささい》な自己抑圧ですら拒否する。彼らが観念を排し、一見、不真面目に見えるほど、だらだらと生きるのは、快楽こそが人生の要である、ということを肌で知りつくしているせいだと思う。
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