ホテル大好き人間である。だいたい、ホテルほど利用価値のある空間はどこを探してもないのではないか。
まず泊まる(これは当たり前だ)、食事する、お酒を飲む、お茶とケーキを楽しむ、パーティーを開く、待ち合わせに使う、清潔なトイレを利用して入念な化粧直しをする、ロビーで本を読む、あるいはボンヤリと考えごとをする(ロビーで居眠りすると追い出されるそうです)、贅沢《ぜいたく》なアーケード街を冷やかして歩く、個室ふう電話ボックスで恋人に電話し、長々と愛の語らいをする……等々。
また、ホテルの一室は書斎や仕事場になり、瞑想《めいそう》にふけるための聖域になり、まずい事態に陥った時の恰好《かつこう》の隠れ家、あるいは密会場所になったりする。
かつて、今のように物書きの仕事にありつけなかった頃、私は新聞社のアルバイトをしていた。寒かろうが暑かろうが、街をうろつき、若い女性をつかまえてはインタビューする仕事である。
一日中、歩き回って疲れ果て、もう喫茶店を探す気力もない時など、よくホテルに飛び込んで、ロビーで休んだ。ふかふかのソファーに身体を埋めていると、様々な人たちが目の前を通り過ぎていく。パーティーの帰りなのか、ロングドレスを身にまとった女性たち、大きなスーツケースを携えた外国人夫婦、密会でもしているのか、こそこそとチェックインしてエレベーターに消えていくカップル……。
ふん、こっちは仕事中だっていうのにさ、などという品のない羨望《せんぼう》のまなこを極力、押し隠して、そうした優雅な光景を眺めているのは、それはそれで結構楽しいものだった。
人間観察の好きな人なら誰でも経験があることと思うが、ホテルのロビーほど人の観察ができる場所はない。それまでペチャクチャお喋《しやべ》りに興じておられたご婦人方が、ホテルの森閑としたロビーに一歩、足を踏み入れるやいなや、ひそひそ声に変わったり、突然、自意識過剰になって気取り始めたりするのを見ているのも面白いし、足がきれいでオッパイの大きいモデルふうの金髪女性が、颯爽《さつそう》と歩いていくのをチラリと新聞の陰から覗《のぞ》き見ているビジネスマンを観察するのも面白い。
一流ホテルに泊まるだけのお金も暇もなかった私は、その代わりにロビーでたくさんのファッションセンス、身のこなし、孤独とのつき合い方などを学ばせてもらった。これもまた、ホテルの有効な利用法のひとつになるかもしれない。
ホテルというのは、シティホテル、リゾートホテルの別なく、晴れの場所だと私は思っている。昔、祝日に国旗を玄関先に掲げる習慣がまだあったころ、祝日のことをよく「旗日《はたび》」と呼んだ。
旗日はなんとなく晴れがましい感じがしたものだ。正月ほどではないにせよ、大人たちはよく「今日は旗日だから」とかこじつけて、家事をさぼったり、午後からビールを飲みだしたりしていた。
その旗日のイメージが、私にとってホテルのイメージと重なって離れない。だから、今でもホテルを利用する時は、何か晴れがましい気分になる。
ホテルには日常がない。生活がない。自分の匂いが染み付いたシーツもなければ、新聞の集金人が鳴らすチャイムもない。これを晴れがましさと呼ばずして何と呼ぼう。
そんな晴れがましさを与えてくれるホテルをひとりで自由自在に使いこなせるようになったら、女も一人前である。恋人と一緒じゃなくちゃツマンナイ、とか、ひとりだとどうも不安だからグループで、とかいった利用の仕方は、私に言わせるとホテルへの冒涜《ぼうとく》ですらある。ホテルは喧噪《けんそう》や慌ただしい人間関係から逃れ、孤独を求める人間にとってのオアシスだ。ひとりになりたくて……と、それなりにちょっと晴れがましい顔をしながら、バーで一杯やっている気の強そうな女性を見ると、私などついつい、ぽんと肩を叩き、「わかるわかるその気持ち」と声をかけたくなるのである。