陽子はその闇のなかに立っていた。
顔が向いた方向に、薄く紅蓮《ぐれん》のあかりが見える。その光を背に無数の影が蠢《うごめ》いている。異形《いぎょう》の獣の群れが踊りながら駆けてくる。
群れと自分のあいだはもう二百メートルほどしかない。異形のものたちが大きいだけに、それは恐ろしく短い距離に見える。哄笑《こうしょう》の形に口をあけた大きな猿の、赤い毛並みが光を弾《はじ》いて、跳躍するたびに盛り上がってはのびる筋肉の動きが見てとれる。もうそれだけの距離しかない。
体を動かすことも声をあげることもできなかった。まなじりが裂けるほど目を見張って、近づいてくる群れを見守っているしかない。
走る。跳躍する。踊るように駆けてくる。吹きつけてくる殺意は突風のように呼吸を詰まらせた。
──起きなきゃ。
あれがたどりつく前に、夢から覚めなければ。
そう念じても目覚める方法がわからない。意志の力で起きることができるのなら、とっくにそうしている。
なすすべもなく見つめるあいだに、距離はさらに半分に縮まった。
──起きなきゃ。
歯ぎしりするほどの焦燥《しょうそう》に襲われる。身内《みうち》でうずまいて肌を突き破りそうだ。荒い呼吸と速い鼓動と、駆けめぐる血潮が海鳴りに似た音を立てる。
──どうにかして、ここから逃げなければ。
そう思ったとき、突然頭上に気配を感じた。殺意が陽子を押しつぶす勢いで落下してくる。陽子は夢のなかで初めて身動きをした。頭上をふりあおいだ。
茶色の翼が見えた。同じく茶色のたくましい脚と、おそろしく鋭い太い爪と。
逃げる、という意志さえ念頭に浮かぶ暇がなかった。一瞬、体の中の潮騒が強くなって、陽子はただ悲鳴をあげた。