あの坂を下り、途中から山に分け入って、足が動かなくなった場所がここだった。
汗をぬぐうつもりで腕をあげると、制服は血で重く濡れている。顔をしかめて上着を脱いだ。脱いだセーラー服で剣をぬぐう。ぬぐった切っ先を目の前にかざしてみた。
いつだったか日本史の授業で、日本刀で切れるのは数人が限界、と聞いたことがある。刃こぼれと血油で使いものにならなくなる、と。さぞかし傷《いた》んでいるだろうと思ったのに、かるく布でぬぐっただけで曇りひとつない。
「……不思議」
陽子にしか抜けないことといい、妙な剣だと思った。最初に持ったときには重いような気がしたが、鞘《さや》を払えばひどく手に軽い。
陽子はすでに鋭利な煌《きらめ》きを取り戻している刀身を脱いだ服でくるむ。それを腕のなかに抱き込んで、しばらく息を整えていた。
鞘をあの場に残してしまった。取りにもどるべきだろうか。
剣と鞘とは離してはならないと、そういわれたが、それは鞘にもなにかの意味があるということなのだろうか。それとも、鞘には珠《たま》がついていたからだろうか。
汗が引くと制服の下に着ていたTシャツだけでは寒かったが、もう一度汚れた上着に袖《そで》を通す気にはなれない。落ちついてみると全身が痛んだ。腕も足も傷だらけだった。
Tシャツの袖には牙が通った痕《あと》がいくつもある。下から血がにじんで白い色を斑《まだら》に染めていた。スカートは裂けてしまっているし、その下の足にも無数の傷ができている。傷の大半からまだ血が出ていたが、男を一瞬のうちに殺した牙がつけた傷にしては、おそろしく軽傷だといってよかった。
おかしい、と思う。どう考えてもこんなに軽傷ですむはずがない。そういえば職員室のガラスが割れたときにも、周りの教師たちが大怪我をした中で、陽子だけは無傷だった。獣の背から落ちたときも、そこが空の上だったというのに擦《す》り傷しかなかった。
変だとは思うがしかし、姿形までが変わってしまったことを思うと取り立てて悩むほどのことでもないのかもしれない。
陽子はなんとなく息をつく。ためいきに似た呼吸をしてから、自分の左手が堅く拳《こぶし》をにぎったままなのに気がついた。強《こわ》ばるてのひらを開くと、青い珠が転がり出てくる。あらためてにぎり直すと、そこから痛みが引いていくのがわかった。