「それでな」
と楽俊は小さな手に大きな蒸しパンの塊《かたまり》をかかえて言う。
「雁《えん》国に行ってみるのがいいんじゃねえか、って話をしていたところなんだ」
母親はうなずく。
「そうだね。それがいいだろうね」
「そういうわけで、おいらは陽子をカンキュウまで送ってくる。着るものを持たせてやってくんな」
楽俊が言うと、母親は目に見えて強《こわ》ばった顔をした。
「そんな、……おまえ」
「心配するこたねえよ。ちょっとひとっぱりしりしてくらぁ。なぁに、土地にふなれな客人を送ってくるだけだ。母ちゃんはしっかり者だから、ひとりでもだいじょうぶだな?」
母親はすこしのあいだ楽俊を見つめて、それからうなずいた。
「あいよ。──気をつけて」
「楽俊」
陽子は言葉をはさんだ。
「気持ちはありがたいけど、そこまで迷惑はかけられない。道なら聞いたからなんとかなると思う」
同行者は怖いのだ、とはさすがに言えなかった。
「さっきの地図を、なにかに書いてもらえるかな。手間を取らせて悪いけど」
「陽子。雁国に入るだけならともかく、王を訪ねるとなればおまえだけじゃむりだ。たとえ道はわかっても、カンキュウまでは三ヶ月以上はかかる道のりだ。そのあいだ、食う物はどうする。宿はどうする? 銭はもっているのか?」
陽子は押し黙る。
「とてもひとりじゃ行かせられねえ。おまえはこちらのことを、なにもわからないんじゃねぇか」
陽子は考え込む。長いあいだ迷って、それからうなずいた。
「……ありがとう」
いいながら視野の端で剣の包みをとらえていた。
たしかに楽俊には同行してもらったほうがいい。この母子は一見、陽子を助けようとしているように見えるが、それが本当だとは限らない。敵か味方かわからないが、行く先を知られている以上、わからないまま放置しておくことはできない。陽子がここを出て即座に役所に訴え出られたら、阿岸《あがん》で待っているのは船ではなく罠《わな》なのだから。
連れていけばこの女に対しての人質《ひとじち》になる。万が一楽俊が自分にとって危険な存在になれば、剣にものをいわせればすむことだ。
──そう考え、ひどく自分が情け無い生き物になった気がした。