「卿伯《けいはく》、小臣《しょうしん》を連れて参りました」
言うと、険しい顔をした斡由が振り返る。
「ご苦労」
斡由は目に見えて憔悴《しょうすい》している。漉水の対岸に陣どった王師。その数、三万と一千。そのうえ城下から城内からの非難の声、不安の叫び、思いあまった者がいつ斡由に仇《あだ》なすか分からないゆえに、急遽《きゅうきょ》軍から小臣を追加した。
「腕は確かな者をそろえてございます。誰もが王には一言ある者ばかり、卿伯への忠誠を誓っております」
更夜は言って、背後を見たが、真実小臣らを信頼しているわけではない。
──とにかく自分が斡由の側を離れないことだ。自分と妖魔がいれば、たいがいの凶事は回避できるだろう。
斡由がうなずき、更夜の背後で平伏した小臣を見渡したとき、別の小臣が部屋の中に駆けこんできた。
「──卿伯!」
「どうした」
斡由の問いに、小臣は平伏するのも忘れて声を大にする。
「台輔が──おられません!」
なに、と斡由は立ち上がった。
「世話を命じておりました女官が、おそらく台輔を逃がしたのだと──」
その小臣の背後から別の小臣が女官を引きずるようにしてやってきた。
探せ、と斡由は低く呻《うめ》いた。更夜はすぐさま背後を振り返る。
「台輔をお探し申しあげよ。決して手荒なことはせず、丁寧にお戻りいただくように」
背後の新参たちはうなずいて、報をもたらした小臣とともに部屋を駆けだしていった。
女官は部屋の中央に放される。斡由はその女を見やった。
「なぜ、そのようなことをした」
女は恨《うら》みをこめた目を斡由に向ける。
「そう訊《き》きたいのはわたしのほうです。──なぜ、漉水を切ろうとなさる!」
斡由は大きく息を吐いた。
「それか……」
斡由は言って、軽く額に指を当てる。
「……お前たちはわたしにどうせよと言うのだ」
ひとつ首を振って、斡由は目の前の女を見た。
「勝つためには他に方策がない。それともお前はみすみすわたしに負けろと言うか」
女は斡由をにらんだまま、視点を微動だにさせない。
「漉水の堤《つつみ》を御旗《みはた》に掲げておきながら、あえて旗を汚すのですか」
「いいか、もう──」
「万民のためにお起《た》ちになったのではなかったのですか。新易を沈めてそれで道理が通りましょうか」
「──では他に手があるのか!」
「降伏なさいませ。卿伯はあまりに王を軽んじられすぎたのです」
斡由は深い息を吐いた。更夜を見る。
「更夜──連れていけ」