男と女がつき合うことに対する考え方、つまり恋愛観や結婚観は、時代とともに変化するものです。かつてはトンデモナイ、と思われていたものが、いまではスバラシイと評価される、なんてことは、恋愛観に限らず、どんな世界でもよくあることですね。
要するに、あらゆるものの価値は、社会の風潮によっていくらでも、それに従って変わっていくものなわけです。不倫とされていたものが常識となり、淫乱《いんらん》と呼ばれていたものが当たりまえの感覚となっていたりもするんですよね。
あなたの恋愛観は、まだ、ずいぶん窮屈なものではないですか?
もちろん、恋愛に胸ときめかせるのは、ほかならぬあなたです。ボクがよけいな口出しをすることはありません。でも、いま、現在、こんな「恋愛の形」があるのだ、ということを知っておいても、損はないと思うんです。恋愛を楽しみ、恋愛を重ねることで、あなたの人生はいままでよりも、何倍も何十倍も豊かになるはず。そのための「恋愛術」をアドバイスしよう、というわけです。
恋愛をすること自体、心の充足を得ることになるわけですから、恋愛そのものが目的なわけです。もちろん、恋愛を手段として用いて、セックスや結婚という目的に到達する、という形態もあるでしょう。しかし、それは恋愛の楽しみを、十分に堪能《たんのう》するやり方ではないような気がします。
そこで、恋愛という現象において、どういうことが表面に現れてくるか、という傾向を探ってみましょう。そこを事前に研究しておけば、実際の恋愛経験を体験する際に、その現象をうまくコントロールするヒントになるはずです。恋愛を十分に楽しむためには、このハンドリング技術が、必要になるからです。
恋愛は、男女間で行われますから、恋愛現象の特性は、当然、男女別々に現れます。
その男女の違いは、最も顕著なケースとしては、浪人時代の恋愛にみることができます。浪人中に男女がつき合っていると、男のコはたいてい、受験に失敗します。第一志望校にね。一方、女のコは合格する。女のコにとって、恋愛は苦しい受験生生活のリフレッシュメントになっているわけです。恋愛は、受験勉強のレクリエーション、というわけです。
ところが、男のコの場合、もうだめです。予備校に通っていて、彼女と月に何度かはセックスができるとしても、受験勉強よりもセックスにのめり込んでしまいます。セックスできない場合は、もっと暗く、机に向かっても、やりたさがつのってきてしまって手におえない。ウジウジ考え込むばかり。
女のコは、デートのときにキスだけして帰ってきても、勉強、がんばれます。男のコの場合は、セックスして帰ってくると、かえって、ムラムラの気分のままです。しようがなくて『スコラ』や『GORO』のヌードを見てオナニーするから、勉強はかどらないよね。で、オナニーすると、やっぱり、疲れます。だもんですから、グーグーぐっすり眠っちゃいます。ますます勉強はかどらない。ガバッと起きて、机に向かったところで、またまたモヤモヤとやりたさが衝《つ》きあげてくる。
どうにもなりません。
受験生でなくても、恋愛において、男女にかかるプレッシャーは、かなり違いますね。特に、童貞を失うまでの性的なことに対するプレッシャーは、男女では比較になりません。女のコの場合、処女を失うときも、別に、横になってればいいわけです。痛かったら「痛ァい」といえばいいだけです。一刻も早くバージンにさよならしたい、と思えば、イヤじゃないな、と思える範囲で、男のコを選べばいいわけですし。
男のコは、ものすごいプレッシャーを感じるものなんです。キスひとつにしても、まだ経験していない場合は「鼻が当たるんじゃないか」とか「歯が当たったらどうしよう」なんてことを、すごくマジメに心配します。「ホントに立つのかなあ」とか「実際にコレが入るもんだろうか」なんていう不安は、男のコにとっては、ものすごく真剣に悩まされる問題なんです。
また、男のコにとって、恋愛の対象に「母親」を求める部分がある、ということも大きな特性のひとつです。ですから、女のコは、恋愛において、母親役を演じる、ということが特性にならざるをえません。
たとえば、女のコがダスティン・ホフマンの映画を観《み》るとしましょう。ダスティン・ホフマンは、レストランで相手の女性に対し、椅子《いす》も引いてくれる、メニューもとってくれる、ドアも開けてくれる。「ワァ、いいなァ」と思うわけです。
ところが、いまつき合っている彼は、椅子も引いてくれないし、オシボリもとってくれたことがないし、むしろ私がしてあげないと怒っちゃう。「ああ、ヤダなァ」と思ってしまうわけです。映画のなかでのようになれればいいのに、と思いますよね。
学生のカップルが、レストランで食事。割り勘なわけです。
「きょうは寒いから、オレ、先に行って車のエンジンかけとくからサ」
といって、男のコは、キーをジャラジャラいわせながら、サッサと行こうとします。
「まったく、もう」
女のコは、そう思いながら、レジのところで急いでお金を払い、彼を追うようにお店を出ようとします。
「ねェ、待って待って」
そのとき、自動ドアじゃなかったので、彼が先に開けたドアが、ポーンと戻ってきて、彼女の低い鼻は、よけいに低くなってしまいました。
彼女はその瞬間、「まったく……」と思います。思うんだけれども、同時に「こういう男のコなんだから、自分は彼のことを全部|把握《はあく》しているんだわ」と思える部分もあるのじゃないでしょうか。
理想像は、もちろんありますね。ダスティン・ホフマンだって、そのひとつでしょう。でも、実際につき合う相手が、まったく理想像そのままだったら、不安なわけですよ。やっぱり「自分はこのヒトを把握している」という部分が欲しい。つまり、恋愛において、女のコの側にも、無意識的に「母親」的になっている面がある、ということです。
男のコの側から考えると、最初のうちは椅子を引いてあげてても、そのうちにだんだんいばりだす。相手に母親を求めるのと同時に、その裏返しとして「自分は男なんだ」という威厳を保ちたいがために、わざとそうしている、というところもあるわけです。
もうひとつ、恋愛前・恋愛中の意識の恋化について、知っておくべきことがあります。特に、肉体関係後の意識変化のことですが、男のコは、一回セックスすると、相手の女のコを「自分のもの」だという感覚ができてしまうのですね。逆に、女のコは女のコで「これで私は彼のもの」という感覚が芽生えたりもする。
どちら側にも、相手を征服したい、独占していたい、という感情はあるわけで、その気持ちを持続させることが、恋愛をつねに新鮮にする基本ですが、これはかなりハイレベルのテクニックを要します。どちらかが急に立ち止まって、しなだれかかってくる感じになると、すごく重荷に思えてくる。これが「重たい」という感覚ですが、この現象は、肉体関係のあとで「自分のもの」と考えてしまう意識変化と、どこかでつながっているものです。恋愛の初心者には、すごくありがちなことですし、そうした意識変化は、かなり自然な人間感情の動きからきています。それだけに、これをコントロールするのは、相当にむずかしく思えることでしょう。
そこで、恋愛の�前奏部分�いわばオードブルとスープの部分を、ある程度長くとる、というやり方を勉強することにしましょう。