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父子鷹32

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:甲州神座山《こうしゆうじんざさん》 坂を下りて、お濠端へ出たら、市ケ谷田町の方からやって来た四人づれの女がちらりと目に入
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 甲州神座山《こうしゆうじんざさん》
 
 坂を下りて、お濠端へ出たら、市ケ谷田町の方からやって来た四人づれの女がちらりと目に入ったが、満々とした水の色を背景にした濠の柳の緑が何んとも云えず美しいので、小吉はそっちを見ていると
「あら、勝の先生」
 女の声でびっくりしてそっちを向いた。
「おゝ、佐野槌の女将《おかみ》か」
「おかみかでは御座りませぬよ、とんとまあひどいお見限りで、あれ以来お顔もお見せ下さらず、先生、ひどう御座いますよ」
「剣術遣いの義理では出て行くが、おのれで吉原なんぞへ行けるものか。だが、おのしも達者で祝着《しゆうちやく》だ」
「あんな事をおっしゃってでいらっしゃる。本当に憎らしいお方でございますね」
「はっ/\。おれは正月早々から御支配からの他行留でな、たった今お屋敷へ呼出されてお許しが出てけえる道だが、おのし何処へ行って来たえ」
「はい、願懸けの筋がござりましてね。すぐそこの愛敬稲荷様へお詣りでございますよ」
「ほう、吉原からは大層な道程《みちのり》だ、信心なことだな」
 といって、小吉ははじめて、女の一人/\の顔を見た。
 おかみの外にまだ肩揚をした下女が一人。外の二人はいゝ年頃だが、小吉はその一人の方を見て、ちょっと首をかしげた。
「おのし、見た事がある」
「ほほゝゝ」
 その女は急に唇を押さえて、こゞむようにして笑った。
「さようで御座りますか」
 といった。鼻の高いすっとした顔かたちであった。
「おゝ知れたわ」
 と小吉は少し反身《そりみ》で、手を打って
「お糸さんといったねえ——元は村田の長吉の許嫁《いいなずけ》、はっ/\、その後《のち》、摩利支天の神主が舎弟の女房でいた時も逢ったっけねえ」
「さようで御座いますよ」
「それから番場町の山崎直弥という御家人と一緒だったと、これは長吉からきいたっけが、大層変ったではないか」
「はい。この通り変りました。今は母方の御縁をいゝ事に、おかみさんへおすがり申し東両国《こりば》で矢場《やば》をやって居ります」
「矢場?」
「一と頃は御旗本の御新造《ごしん》さんも、こうなっては、とんと下《さが》ったもので御座います」
「そうかねえ。下ったかねえ。人間定命五十年という、やりてえ事をやって終るもいゝではないか」
 そう云う小吉はもう歩き出していた。少しそよ風が出たと見え、濠端の柳が思い出したようにゆれた。
 佐野槌のおかみは、お糸さんはあたしの伯母の縁つゞきですが連《つ》れ合《あい》の運が悪くて、三度も不縁になりましたが、もう諦めて、これから先きは女手一つでやって行くというので、いろ/\訊いて見ると、何処かで綺麗な矢取女を揃えて矢場をやりたいという。手蔓でだん/\探したら少々下卑てはいるが垢離場《こりば》に一軒、芝の神明に一軒、いゝ株が売りに出ていると知ったので、それを手に入れて、はじめました。もう一人の女は、神明の方にいつもいる者でございますよという。
「滅法な別嬪《べつぴん》じゃねえか」
「そうでございますともさあ。神明のおときと云って江戸中へ通っているのでございますから」
「そうかねえ」
 と小吉は
「おい、それにしてもお糸さん、お前、天下を掌握するような偉え侍でなくては嫌やだといっていたが、思い切りよく趣向をけえた。偉いねえ」
 笑いながらいった。
「さようで御座います。三人も亭主にして見て、ほと/\侍というものの世界に愛想が尽きました。何にもかも賄賂《わいろ》の世の中、お金のないものが腕で立身するなどとは、お月様をつかもうとしているようなものだとよく/\わかりましたら、侍がほんとに嫌やになりました。他愛もない夢をずいぶん長い間、本気になって見つゞけまして御座います」
「そうかねえ。そうなると可哀そうな事をしたのは村田の長吉、立派な侍になって、お前さんを新造《しんぞ》にしようと、一と頃は、ぐれた侍の仲にまで入ってむごい苦労をしてね」
「え?」
「いろ/\やったが矢っ張り駄目よ。夢は何処まで行っても夢だから。今は漆喰絵の修行にずうーっと旅へ出てるがね。房総からお終いには甲州路へも行くという。どうだ、お前、あ奴の女房になる気はねえか」
「いゝえ、もう懲々《こりごり》でございます。男は断ちました」
「そうか。——が、長吉が帰って来て、お前が今はこう/\と知ったら、どんな気持になるだろう。忘れたような顔はしているが、あれはきっと未練があるよ」
「いゝえ。あの人もあれで案外な片意地なところが御座います。もう、わたくしにも、ほと/\愛想が尽き、そのような事はないで御座りましょう」
「そ奴はおれにもわからねえが、もし未練だったらどうする」
「今更飛んでも御座りませぬ」
 そうきいたら小吉は口をつぐんで終った。
 女達といつ迄一緒に歩くのも嫌やだ。小吉は新坂下の辺りへ来て、佐野槌のおかみが、何処かその辺で休みましょうというのを振切って別れて終った。
 屋敷へ帰ったら、お信が赤飯に小さな鯛をつけて祝膳が出来ていた。小吉は横に紅い小蒲団でねているお順の顔を覗《のぞ》き込んで
「章魚《たこ》見たようだね」
 そんな事を云い乍ら胡坐《あぐら》をかいた。
「きょうは吉原の佐野槌のおかみに逢って汗をかいたわ。二階から銭座の小役人を投げ飛ばした騒動で、いろ/\迷惑をかけたろうが、松五郎たち頭手合がおれの名代で出て行ってはいるものの、こっちは、あれっきりだからねえ。平気な面《つら》は装っていたが、いや、実に弱った」
「さようで御座いましたか。およろしくない事をなされますと、いろ/\なお酬いが何時参るか知れないもので御座いますねえ」
「はっ/\。そうだねえ——が、もっと驚いたは、あの村田の長吉のお糸というが、佐野槌の遠縁で、垢離場《こりば》で矢場をやっているというが一緒でね。垢離場と云えばこゝからも長吉のいる花町とも目の鼻だ。よく今日まで出逢わなかったものだ」
「さようでござりますか、いつぞや屋敷へも参られたあのお人?」
「あ奴よ」
「これがまた何にか騒動の種になるのでは御座りませんでしょうか」
「別に騒動もねえだろう。おれも先っきそんな気はしたが」
 しかしいゝ塩梅に何事もなく、涼風の立つ秋になって、小吉は、お順をもう章魚のようだとは云わなくなった。
 爽やかな秋はあッという間に冬になり、ちら/\雪の降る日がつゞいたと思うと、またのどかな春が来る。歳月は水の流れるように来ては去り、また来ては去り、天保八年春、十一代将軍家斉は、職を世子家慶に譲って、西丸に隠居し、大御所と称した。
 翌九年。麟太郎はこの間にたった二度、入江町に両親を見舞っただけであった。
 小吉三十七歳。
 麟太郎十六歳。
 彦四郎すでに六十二歳。いよ/\痩《や》せて鶴の如く眼光のみが炯々《けい/\》としていた。
 精一郎二十八歳。
 麟太郎がはじめて来た時、小吉は撫でるようにして
「是非一度|遣《つか》うを見たいと思っている島田虎之助は修行から戻ったか」
 ときいた。
「まだで御座います。お戻りなされば、先生はそなたを、あれに預けると申して居られました」
「そうか。この間きいたが、お前、東間の胴を払って気絶させたというは真実か」
「東間先生が、わざと、あのようなお真似をなされたのでございましょう」
「よし、よし」
 二度目の時は
「阿蘭陀はやっているか」
 と顔を見るとすぐきいた。
「は。唯今はグラマチカをやって居ります」
「何んだそのグラマチカてえのは」
「文法です」
「文法とは何んだ」
 お信がそっと小吉の袖をひいた。
「あゝ、そうか、よし/\。文法をやっているか」
「はい」
「島田虎之助はまだ帰らないか」
「まだですが信濃路から先生のお許へおたよりがありました。近々におかえりのようです」
「そうか。帰ったら、おれが一度遣って見る」
 麟太郎は、そういう小吉をにこりと上眼で見たが何んにも云わなかった。
 麟太郎が帰ると
「おい」
 とお信をよんで
「まるで他人のようにしやがる。が、あ奴、余っ程学文が進んだようだな」
「さようで御座います。でも他人のようにするどころか、門の外へ送って出たわたくしへ、父上は少しお顔の色がお悪い、どうぞ気をおつけ下さい、麟太郎が成人致します迄は必ずお患いなどのないように、母上、お願い仕りますとあの子に珍しく眼をうるませ呉々も申し残して参りました」
「はっ/\。奴め、滅法大人びて来やがった」
 笑った小吉の眼も少しうるんだようであった。
 村田の長吉が、旅から戻って参りましたといって、土産の品を持って松五郎頭と二人で訪ねて来た宵《よい》は晩春の煙るような雨であった。
 長吉は小吉の顔を見るなり
「先生、平川右金吾さんにお目にかゝりました」
 といった。
「ど、何処で逢った、どんな服装《なり》をしていた」
 小吉は一気にいって息をのんで瞬きもせずに見詰めた。
「甲州の黒駒村、あすこに神座山檜峰の社というのがあります。社域の山林が三里四方、それに廿六石五斗いくらという大公儀の御朱印がございまして大層なものでござります。その拝殿に見たいものがあって参りましたところ、神主の武藤外記という人のところに、平川さんが厄介になっていられました」
「で?」
「御病気のようで、余程お悪いか、いやもう大層おやつれで、杖をついて近くの五里ッ原というところへ散策に出て来たところと、ぱったりお逢いしたので御座います」
「何にか云ったか」
「先生には飛んだ迷惑をかけてこの世でお目にかゝれぬおれだ。こゝでおれに逢ったとは必ず云ってはならぬ——いゝお天気の日でございましたが、平川さんは、あの黒駒村を抱くように高く高く聳《そび》えている神座山を指さされましてね。あの巨木の盛上るように茂り合った神々しさはどうだ、あんな不思議な美しい山は決して外にはない。おれはな、朝夕、あの山を仰いでこゝで命を果てる覚悟をしている。山には霧がかゝり靄《もや》がかゝり、一日中いろ/\な姿を見せてくれるばかりか、小鳥がおれのねている枕の前まで来てさえずって呉れると、そんな外事《よそごと》を云い乍らも泣いていられました」
 小吉は長吉の腕をつかんでいた。
「それでどうした」
「でもやっぱり江戸が恋しい、先生がなつかしい。おれはよく先生の夢を見る、三晩も四晩もつづけて見る事もあるんだよ。おれはな、先生がお金を持ってそっと岡野の屋敷へ来ては、渡して下さった、あのお姿が忘れられないと」
「そうか」
「世話になっていられる武藤という神主は毎年伐出す神座山の杉木が莫大なので、申さば土地の豪族、公儀の代官も何にも手は出ませぬ。四町四方の宏大な屋敷を構え、その地内の竹藪では、毎日ばくちが出来るのです。あれから石和《いさわ》甲府へかけ、やくざ者の多いところでございますから、神主とは云え、その総元締のような恰好で、どうも様子では平川さんも誰か界隈《かいわい》のばくち打ちの用心棒でもしていたのを、病んでから、こゝへ引取られたようでございました」
 話し乍らも度々軽い咳《せき》をした。真っ青で血の気もないから、わたしはひょっとすると癆咳《はいびよう》ではないだろうかと思いました、という。
 小吉はそれから長い間口をきかずに眼を閉じていたが
「ちょいと世話焼さんのところへ行って来る。おう、お前らも来てくれ」
 そういって、松頭と長吉をつれて出て行った。
 夜更けて帰って来て
「お信、また心配をかけてすまねえが、おれはちょいと甲州へ行って来る」
「はい。さっき長吉さんのお話をうかゞって、あなたの御気性故多分そのような事になるだろうと、覚悟を致して居りました」
「他行留なんぞは屁でもない。唯、将軍家《だんな》へ御《おん》申訳はねえ次第だが、平川がそんな有様でいるときいて、黙って済まされねえのが、生れついてのおれの因果だ」
「はい」
「麟太郎はもう大人だ。おれがどのような事になろうとも、立派にお前に孝行はしてくれる——そ、それあ、あ奴に、これッぽっちの迷惑もかけたくはねえが、な、お信、おれは、そこ迄の覚悟をきめて甲州へ行くのだ」
「はい。後々の事は心配なされずに、どうぞお出でなされませ」
「甲府迄には小仏の難所《なんしよ》はあるが多寡の知れた卅六里、行きけえりに十日とはかゝるまい。お前《めえ》、その間だけ眼をつぶっていてくれろ」
 その夜、雨の中を、小吉は赤合羽に饅頭笠、若党の拵えで、長吉を案内につれて江戸を出発していた。
 府中の八幡宿で夜の明ける鐘をきいた。糠《ぬか》雨がまだ降っていて、野も山も模糊《もこ》としている。
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