急いで小吉の側へ寄って、小さな声でそれを告げた。
「いゝよ」
と小吉は引返そうとはしなかった。
この夜更けてから屋敷へ帰った。お信がやっぱり他行留を破った事をひどく気にした。
「おれへの摂州行の礼が不届だと腹を立てて、殿様を斬ろうとして、それがために倒れた隠居を、望みの死場所までおれが送らずにはいられねえよ。こんど知らせがあっても、その時はもうどう馳《は》せつけても死目には逢えねえのだからねえ」
「それはわたくしでも、そう致す事で御座いましょうけれど、御上の掟をお破りなさるという事が——」
「これから気をつけましょう」
小吉はそういって頭をかゝえて笑った。
しかし、いゝ塩梅《あんばい》に、その一件はわからずに終って春はだん/\色が濃くなる。若葉の美しさは小さな勝の庭にも満ち溢れて、楓《かえで》や、錦木《にしきぎ》などのすうーっと軟かく延びた葉先が人の肌には感じられない程の微風にもなよ/\とゆらぐ有様はまことに風情があった。
世話焼さんをはじめ、なじみの人は、朝から晩まで、引っ切り無しに来ているし、殊に漆喰絵の村田長吉が毎日やって来て縁側の片隅の壁を一枚彩色の綺麗な山水にぬりつぶしたりしたが、小吉には何処へも出れないという事が、とても堪らなかった。
長吉は、この絵が出来ると
「修行に出て参ります。宿場などの旅籠、女部屋の二階の戸袋などに、名も知れぬ職人の拵《こさ》えましたずいぶんいゝ物もあり、まして、お寺や社にもあると思いますので、どんな物か、一つ/\にぶっつかって見る気でございます」
といって、本当に次の朝は、菅の一文字笠に、到って身軽な風態で、行先も定めずに出て行った。
「お糸の事をどうしても忘れる事が出来ないといっていたが、おれが、その中に探してやると投《ほ》ったらかして置く中に、やっぱり、ほとぼりがさめたのだねえ。こゝ迄来れあ、あの人、夢中になってる漆喰絵が真物《ほんもの》になるかも知れねえよ」
とお信を見て
「女なんぞは困るが、人間打込むというは尊いものだよ。はっ/\/\は」
何んでもないのに、急に笑い出して
「おれなんぞは仕様がないね」
と例によって寝ころがって暫く黙っていてから
「どうにも余り退屈だから、明日から、庭作りでもやろうか」
「え、お庭作り」
「あっちの木をこっちへやり、こっちの木をあっちへやり、いくらか眺めが変ったら、気も替ろうさ」
お信はにこ/\した。小吉が庭作りなどという事をやろうという。喜ぶというよりは、何にかしら、ほっとしたのである。
次の日から、小吉は朝まだ昏《くら》い中に起きて、剣術の稽古着一枚で、素《す》跣足《はだし》になって庭へ降りると、ほんの僅かよりない木を、本当にあっちへ移したりこっちへ移したり、土だらけになってやり出した。
これが二、三日つゞくと、おなじみの人達がみんな気がついた。先ず世話焼さんが、次の朝樺色の美しい蓮華つゝじの大株を素焼の水盤へ置いたものを、手車へのせて運んで来た。
「花のある間はお床の間へお置きなさいましてね。散ったら土へお下ろしなさるとよろしいそうでございますよ」
「いろ/\|つゝじ《ヽヽヽ》もあるがこ奴は滅法美しい。何んとも云えねえ色だねえ」
「持ってた者が、箱根などには沢山あるが江戸には珍しいと自慢をして居りました」
みんないろ/\な植木を持込んで来る。
「おれは、まるで植木職だわ」
小吉はそんな事をいっている中に、庭は足の踏みどころもない程に植木に埋まって終った。
縁へ腰かけて、両腕をうしろに支えて反りかえり
「どうだ、お信、いゝだろう」
「さようで御座いますねえ」
「が、実はこうなると正直いうとやっぱり素人には手に及《お》えない。おれは降参した。植木職は植木職で当人は改めてそれと知ってはいめえが代々の長い間に不思議な尊い物を身につけているものだった。俄か庭作りがこれを冒す事は出来ねえ。偉いものだ。こゝだと思って植込んでも一日見ていると飽きて来る。考えて見ると、おれが手をつけなかった、あの元の庭がやっぱりよかった」
「ほほゝゝ」
「植木職を呼んではじめからやり直しだ」
「ほほゝゝ。あなたのお弱音を信ははじめて承わりました」
五月に入ったら石榴《ざくろ》が咲いて、石灯籠の横にも、誰がいつの間に植えたのか蝦夷《えぞ》菊が小さな可愛い花をつけた。
もう梅雨が近づいて薄曇りの日が多かったが、その代り晴れたとなるとそのすが/\しい空の色の美しさは外の季節には見れない。きら/\した雲の峰が忽ちにして形を変え、舞い登るかと思えばすぐにまた銀の海のように平らになる。
小吉はよく縁側へ胡坐《あぐら》をかいてぼんやりとこれを見ていた。今日にもお信が子が生れる。世話焼さんをはじめ誰かしら引っきり無しにやって来るし産婆《とりあげ》さんも一日おきには来る。篠田玄斎も通りすがりだろうが時々外から大きな声で
「変りはないかな」
などといって行く。
小吉は気になって、何にをする気も出なかった。尤《もつと》も他行留で何処へも出れないのだが——。
「まだかねえ」
と出しぬけにお信にそんな事を云って、それからきっと
「男かねえ」
と訊く。流石《さすが》のお信もこれには弱った。
しかし遂々《とうとう》、その日は来た。五月四日。男の節句を明日にして、みんな手が揃って、お信は安らかに子をうんだ。
「男かえ、女かえ」
小吉が遠くから覗《のぞ》き込むような恰好をして、次の間からこうきいた。
「はい。女子様《おなごさま》でござります」
産婆《とりあげ》さんがいった。
「女子《おなご》?」
と小吉は首を縮めて
「はっ/\。こればかりは仕方がねえやねえ」
と自分で自分に云ってきかせるような顔つきをした。
母子共にすこやかである。
道具市の人達は当分来るのを遠慮して、唯東間陳助、世話焼だけが、一日《いち》ン日《ち》中詰めている。
お七夜だ。
不意に彦四郎がまた家来をつれてやって来た。その調子が麟太郎が生れた時と、まるで型で押したように少しも違わない。
「名前はわしが付けて来た」
「は」
「お順とせよ」
「お順?」
「明通記に上天心に順《したが》い下民望に従うとあり、順は従、随、循等と同じ。要は道理にしたがいて逆《さから》わずという事だ。女子はこれが第一。お順とせよ」
「はあ」
「お前はおかしな人間だ。麟太郎は一間住居の時に生れ、今度の子は他行留の間に生れた。小吉ッ」
と急に大声で
「とっくりと考えて見よ」
彦四郎の肩が少し持上った。
小吉は法華経の御曼陀羅《おまんだら》を奉じ妙見菩薩を安置した仏壇の前へ、兄の命名の奉書をのせてその前に長々と腹ン逼《ばい》になって、煙管《きせる》の雁首で背中をかき乍ら
「兄のいう通りだ。麟太郎は座敷牢、今度の子は他行留。はっ/\、兄はいつも、貴様は常に道理に逆《さから》っていると叱っていつか流水不逆なんぞと下手っ糞な字を書いてくれたが、やっぱりそのようだ」
にや/\笑って
「お信。お順とはいゝ名かねえ」
といった。お信はまた床の中にいる。
「はい。女子は道理に暗く、とかく情に溺れ易いもの。夫に順《したが》って逆《さから》わず、夫の唱えに随って参りますが一番|幸福《しあわせ》でござりましょう」
「ほい」
と大声で
「そうときいたらお順とは滅法いゝ名だ」
「兄上様はわたくしに申していられました。女の子だ、とても末々小吉の側へは置けぬ、今度こそ、わしが養育をする。その覚悟で居るようにと」
「ほう、麟太郎で懲性《こりしよう》もなくまたそんな事を云ったか。仕様のねえ兄だ」
「お心遣いは有難い事でござります。それにしても兄上様とんとお老けなされましてございますねえ」
「そうよ。もうすぐ死ぬだろう」
「まあ」
たぶん彦四郎の云いつけだろう、麟太郎はとう/\来なかったが、精一郎が祝儀を述べにやって来たのは、それからまた七日ばかり経ってからであった。家来を一人つれて上下《かみしも》を着けていた。
「実は少々建議の筋がございまして、御城へ十日程詰めて居りました」
という。
「しかし叔父上、わたしの建議は残念ながらとてもお取上げいたゞけそうではありません」
「何だその建議というのは」
「はい。もう世の中は剣槍《けんそう》だけではいけない。剣槍よりはむしろ銃砲火術、洋式調練、海軍操練、こうした事の方が先きだと信じましてね。それらを一つの学堂に集めて一斉に研究調練致すよう、学文《がくもん》とても同様、旧来のものだけに固執していては眼界が狭い。阿蘭陀は元より、フランス、イギリスなどをやらなくてはと御老中御若年寄方、一々お詰の間に推参して説きました」
「ほう、お前がか——偉えなあ」
「しかし、わたしの学文もとんと未熟です。ぎり/\の決着へ参りますとまるで真っ暗でしてね。御老中方を説得する事は出来ませんでした」
「はっ/\。身分も低し、お前のような若い者の言分が、すうーっと通るようなら、こんなに世の中に浪人が多く、貧乏人が多く、家禄をいたゞく御旗本さえ小普請《むやく》で、みんなふくれッ面でうようよしているものか」
精一郎は何んだか眠っていた叔父の不平の虫を突起して終ったのではないかと思って、はっとして、暫く黙っていた。
「それは、それと致しまして、今日はよろこばしい事を耳に致しました。叔父上の他行留が解けるそうです」
小吉は眼を丸くして
「そうか。誰からきいたえ」
「城中御広庭で父上に逢いました時に申されて居りました。叔父上、父上はなか/\あれで蔭へ廻って奔走したようです」
「そうか。すまねえ」
「今は申してもよろしいでしょうが夜陰に及んで三度程船河原の屋敷に御支配頭戸塚備前守をお訪ねしたようでした」
「へん、また賄賂《わいろ》かえ。精一郎、おれあね、他行留は別に苦にはならねえよ。兄上も余計な事をしてくれるわ」
「そうでしたかなあ」
精一郎はから/\笑って、やがてお信に、くれ/″\も大切にして下さるようにと、行儀正しく挨拶を述べて帰って行った。
この話はそのまゝ真実で、それから二日目に戸塚備前守から呼出しがあった。
「実はこの程詳しい話を知ったが、その方の摂州行は、物見遊山などなぐさみ事ではなく、余儀ない事だったと承知した。それにしても、如何に岡野孫一郎が家を救い、由緒ある御旗本の面目を保ったとは云え関所を越えた事は重々の不埒《ふらち》であるから、本日迄の他行留を不服に思うては相成らんぞ。しかし最早慎しみの態も神妙に存ずるから、今日より他行差支えない」
「有難く存じ奉る」
小吉はそれでも尤《もつと》もらしく平伏した。
「噂にきけば、よく市井の者共の世話面倒など見るそうだが、定めし不自由であったろう。申渡の砌《みぎり》、岡野の事を詳細に陳述すれば、何にかと法もあったに、何故黙って居ったか」
「は。微禄ながら御旗本が自儘の他行、罪は悉くわたくしにあり、重々申訳なしと存じましたので」
「いや、感じ入る節もある。将来何にかと力にも相成ろう。時折は屋敷へも参れ」
備前守はそういった。申渡しの時はずいぶん意地が悪そうで、脂ッこくて嫌やな奴だと思ったが今日はそれ程でもなかった。
「賄賂をとって偉そうなことをいってるよ。馬鹿にしてやがる」
小吉はそう思って、むか/\しながら、顔も見ずに引退って終った。
他行留なんか、何んでもないようなものだが、こう、はっきり免じられたとなると、やっぱり、気も心ものび/\してうれしかった。
小吉は鼻唄で、あの逢坂を下りて来た。唄といっても節にも何んにもなっていない下手っ糞である。