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父子鷹57

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:檻 秋の半《なかば》が過ぎていた。酷《ひど》く冷めたい日もあったが多くは青空がつゞいて、風もないのに思いがけなくひら/\
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 檻
 
 秋の半《なかば》が過ぎていた。酷《ひど》く冷めたい日もあったが多くは青空がつゞいて、風もないのに思いがけなくひら/\と木の葉が散ったりした。
 亀沢町へ移った男谷家は、遂い先頃まで大勢植木職人や、池を浚う人足が入っていて騒がしかったが、それも一応は落着し、池の水が鏡のように光って、庭石の影がくっきりとじっと黒い影を落している。
 とかくからだの不自由な平蔵は、この庭全体が見える日当りのいゝところを居間にしたが、向い合って池の向うの大きな松が逼うように枝を延ばしている下に出来ているのは、たった二た間に、油堀の時のように深い土廂《どびさし》の玄関のついた離れ座敷。これが実際は小吉夫婦の住居だが、表向き支配御老中水野越前守の処分で小吉を檻禁してある座敷牢だ。一と間は荒い牢格子で四方を囲い、潜りになっている戸前には大きな鉄の錠が下りている。
 小吉は今、この牢の中で机に向って頻りに草紙に字を書いている。彦四郎が手本を書いておいてあって毎日これを何枚かずつ習って置かなくてはひょっこりやって来て大声で喚き立てるのである。しかもその飛ばっちりがいつもお信にまでも行く。
 小吉はこれが堪らなかった。それと一緒に病んでいる父の耳へ、荒々しい兄のその声の聞こえるのもいっそ辛い。仕方なくいいつけられた通り書いて置かなくてはならない。
 それが仕合《しあわせ》に、彦四郎が、小吉が座敷牢へ閉込められてから一と月ばかりで突然信濃から越後蒲原郡|水原《すいばら》の代官に転任になった。新発田《しばた》から二里。六万石の支配でむかしからなか/\面倒の多い土地柄だから、自然代官も任地にいる方が多いので、あの頬をぴく/\させる大きな目も怒鳴り声もきかなくなったが、一と月ばかりの間に、苛めるにいゝだけ苛められたのがむしろ幸いな習慣になって、小吉は、字を習う事がいくらか好きになった。
 利平治が囲いの外へやって来た。
「また泣きに来たか、え。はッ/\は、泣くな/\。どうだ、おれも字がうまくなったろう」
 書いた一枚を高く上げて
「おれもこの牢へ入れられた時は、その晩の中に格子を二本ぶちこわして逃げようとしたが、あの時にお信がお前と共々云ったね。子として御父上の御最後をお見届け申さなくとも人の道は立ちますのでございますかとな」
「はい」
「父上はいつも/\、お前達夫婦は偉くはならなくともいゝ、真の人間になれとおっしゃる。おれは、近頃あのお言葉がしみ/″\肝にしみるようになったよ」
 利平治は、ほんとに、そっと涙を拭った。
「ほら、また泣く。まあ安心してくれ。こんな事もおれが生涯の間のほんの短い辛抱だろう。兄上はいつも此処を小吉奴の檻という。檻の内で、じっとおのれの心の移り変って行く態《さま》を見てると、おれが身には兄上の百日の説法をきいているよりぐんと増しだ。が、おれはいつ迄こうしていては済まぬ。父上が御不自由なおからだで、わしも小吉の檻の内へ移りたいと仰せられたとお前からきいて、ぶる/\と身慄いがした。それにお信も御祖母様亡き今日は、天上天下に頼るのはこの小吉が唯一人、またお信が生涯を見守ってやるもこの小吉が唯一人。そのおれが、これではならない」
「はい、はい、然様でございますとも——それにつきましても小吉様、あの、団野真帆斎先生がこの程は大層およろしくないとの事でございます」
「え、先生が」
「はい。何分にもわたくし奴同様、もうお年でございますからな」
「そうかあ。大恩のある先生が、そういう事ときいてもお見舞にも参れぬ今の境涯だ、残念だな」
「御推察申しますが、何んともならぬ事でございます」
 小吉の檻の鍵は利平治が彦四郎から預けられてある。
「大事の際の外は、決して用いては相成らんぞ」
 彦四郎は例の怖い顔で、何度もそう念を押して渡して行ったが、後でこの事をきいた平蔵は
「あ奴にしては上出来だ。その鍵は夜になったらお信に渡せ」
 そういって、泣き笑いをした。
 暮には帰る筈の彦四郎が年を越して、しかも五月になってやっと越後から帰って来た。小吉の檻の外へ立って、まるで獣でも眺めるようにじっとしていたが、そのまゝ一言もいわずに母屋へかえって行った。
 日が暮れて青葉をさら/\とゆする風が立って来た。もう|五つ《はちじ》の刻限だった。いつもならお信が檻へ来るのだが、とっくに麻布へ帰っただろうとばかり思っていた彦四郎が、またのっそりと檻へやって来た。利平治が何にやら衣類の入った乱れ箱を抱えてついている。
「わしと一緒に外へ出る。仕度せよ」
「は」
「役筋との話はついているが、何れにもせよ天下御威光を軽んじてはならん。顔をかくせ」
 利平治が戸前の錠をがちゃりと脱《はず》して入って来た。
「さ、お仕度を」
「どうするのだ」
「団野先生が、臨終《いまわ》の際《きわ》に是非あなたに逢いたいと仰せの由で」
 耳元へ早口にそういう利平治へ、小吉は眼を丸くした。
 やがて、小吉は初夏だというに茶納戸|紬《つむぎ》の山岡頭巾で顔を包んだ。汗がにじみ出て来る。二人揃って母屋へ行くと、彦四郎の養子になってこの頃はずっと麻布にいる精一郎がそこに待っていた。後ちの古今の剣士といわれた男谷下総守信友。年は十五だが、ぴりッとして一分の隙もない。
 三人が連れ立って団野道場へ行った。
「先生!」
 思わずそう声をかけた小吉は、病室の端へ坐って両手をついたきり、顔を上げる事も出来なかった。額をすりつけて、声を上げて泣いている。
「勝、逢えてよかった」
 と先生は細い声でやっといって
「わしも寿命が来た。世の中に未練は露程もない。が、たゞ、わしの剣を伝えた者は大勢あるが、何れも真髄に遠いのでのう。酒井良佑などは、弥勒寺で人を斬ってからまるで邪《よこしま》の道へ入って終った。頼みは不思議に男谷殿の血をひいたお前とその精一郎との二人だけじゃ」
「はい、はい」
 小吉はまだ顔を上げない。
「お前たち二人で、わし亡き後ちは、この道場をついでの、団野の剣法はこうであったと後々に残して貰いたいのじゃ。これだけが未練で、今迄死ねなんだ。もう、これでいゝ、もうこれでな」
 小吉は、しずかに先生の側へにじり寄っていた。
「先生、わたくしは、御承知のような人間です。今も檻の内にいる人間。このような人間が、直心影にあっては流儀の汚れになります。しかし精一郎はまだ世の中の色にも垢にも染《し》みず、剣脈も一通りではないのでございます。先生御道場はこの者にお残しいたゞき、後々小吉奴が世に出る事もござりましたならば、力一ぱいの助力を仕りますでございます」
 先生は細い眼を開けて、じっと小吉を見てからそれをそのまゝ精一郎へ、更らに彦四郎へ移して
「お前は檻へ入ろうと何にをしようと少しも卑下する事はない。お前は人として立派じゃ。が、ふと思いついた、道場の事などは好まぬであろうなあ」
 彦四郎父子は麻布へ帰って、小吉は檻へ戻ると、いつものようにお信とたった二人になった。
「久しぶりで本所の初夏の街の辻行灯を見た。うれしかった」
「ほんによろしゅう御座いましたねえ。でも先生がそのような御様子では」
 お信は団扇で風を送ってやっている。
「すでに御寿命とあきらめて、悠々としていられる。まことに御立派な御境涯だ——が、お信。それにしてもお前、何処か悪いのではないか」
「いゝえ別に」
「そうか。それなればいゝが隠す事はない。お前、若しひょっとして」
「ほほゝゝ。よくお気づきなされました。御父上様は、あなたが何にかおいい出しなさる迄、黙っておれとの事で申上げませんでございましたが、|赤ん坊《やゝ》が出来ましてございます」
 小吉は暫く息をのんで眼をぱち/\した。
「父上は何んと申しておられたか」
「座敷牢の中で出来た子だ、並の子ではないぞと仰せで、およろこび下さいました」
「ふーむ」
「兄上様にもお話しなされ、もう檻から出すよう奔走せよと厳しい声で仰せでございました」
「そうか」
 文政五年十二月三十日、小吉は座敷牢を出た。年二十一歳。父平蔵七十一歳。兄彦四郎は四十六歳である。
 明くる正月四日、牢格子をすっかり取払って、襖障子を張替え、畳を新しくした例の一室で、お信は一子を産んだ。少し小さいがからだつきのがっちりとした見るからに利かぬ気らしいものがそのからだから溢れ出ているような赤ン坊であった。
 正月で忙がしい彦四郎が一日おいた六日に麻上下でやって来た。
「小吉、お前という奴は途方もない事ばかりやっているが、子供だけは立派に拵えおった」
「はあ」
 ふだんは小吉をまるで大犯人のようにして、家人さえ一歩も近づけてはならぬとがみ/\いっている彦四郎が、どうした風の吹廻しか真面目くさった顔でこんな事をいっていた。その応対が妙におかしかったので、平蔵は一人で思わずにや/\した。やっぱり血のつながる兄弟だ、彦四郎とて唯頑固ばかりでもないなあと思った。
「名前は、わしがつけてやる」
「はあ」
 小吉は腹の中では、兄奴、父上は唯の本箱だという。全くだ、碌な名など考えるものか、大切な伜の名、おれが考えて鼻をあかしてやるわ、そう思っている。
「名前はわしがつけるぞ。妙な名をつけて、お前などにあやかられては困る」
 彦四郎は重ねてまたそういった。
 お七夜に奉書が三宝へのってうや/\しく届けられた。小吉は、平蔵の前で押しいたゞいてこれを開いた。
「麟太郎」
 鮮やかな文字で、筆太に大きい。
「はっ/\」
 平蔵は唇をゆがめて笑い乍ら、いつもの廻らぬ舌で、
「お前、ゆうべ、獅子太郎は如何でしょうなどといったな。あれはいゝとわしも思ったが、彦四郎は儒者だからやっぱりこの方が上だ。勝麟太郎、勝麟太郎。うむ、いゝ名だ、いゝ名だ」
「はあ」
「何? 書いてあるな。ふむ、麟というのは、聖人が出て王道行わるれば現れる霊獣だとよ、牡を麟と云い、牝を麒というか。いゝ/\。はっ/\、いゝ/\。早くお信にも知らせてやれ」
 小吉は離れへ戻って行った。お信と並んで髪の毛の濃く黒い赤ん坊がすや/\と眠っている。
 彦四郎の奉書をお信へ見せて、そのまゝ枕元にどっかりと坐った小吉は
「おれもこれからは今迄のような事では、いかないなあ」
 とひとり言をいった。
 堅く医者にとめられてある酒をほんの少しばかりだが飲んだためか、この正月の二十日の夜半に、平蔵は二度目の発作があった。もう何にをするにも人手を借りなくては駄目になった。固より口は利けない。たゞ、じっと、枕元へ来る人達を見詰めている事はいるが、それがどうも見えてはいないようである。
 知らせで夜の白々明けに馳せつけて来た時の彦四郎の剣幕は怖ろしかった。
 前に医者のいるのなどは眼に入らぬのか、
「中風の身が酒を飲むなどとは何事です。莨と酒は間違ってもとあれ程申してあるではありませぬか。いゝお年で余りにも醜い、父上、死にたいなら御切腹をなさるがいゝのだ。都合によってはわしが介錯を致すもよく、あなたが眼へ入れても痛くない剣術だけより外には何一つ出来ない小吉という男も身近にいる。中風などで、長くねていられては、第一に周囲の者が迷惑千万。わしは己れを慎しむ事の出来ないような人間は獣と同じだと卑みます」
 医者も、いつも平蔵を介抱している若い女も、とう/\その場にいたゝまらなくなってこそこそと奥へ逃げて終った。
 小吉と、お信と、利平治だけが、じっとしてそこにいる。
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