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父子鷹82

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:青雲 出しぬけの彦四郎からの申伝えで、小吉は正月の三日、上下を着けて、その彦四郎の馬のうしろについて一緒に御城の一位様の
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 青雲
 
 出しぬけの彦四郎からの申伝えで、小吉は正月の三日、上下を着けて、その彦四郎の馬のうしろについて一緒に御城の一位様の御殿へ行った。ぼうーっとしたからだが小さく慄えて天にも昇る心地であった。入江町を出がけに、ふり返ったら、玄関へ送っていたお信が眼に一ぱい涙をためてにっこりした。
 兄の話では、阿茶の局の言葉で、今日は御殿で麟太郎にも逢えるし、もし万の一つの幸福が降って来れば、春之丞君は固より、遥かにでも一位様のお目通りが叶えるかも知れないということで、小吉の胸が割れるようにとゞろきつゞけて御城の小砂利を踏んでいた。御殿の甍が見えただけで、もう、腰をかゞめている。
 しかし一位様や春之丞君のお姿にまみえるどころか、麟太郎にも阿茶の局にも逢う事は出来なかった。
 御玄関式台で平伏している眼にちらりと白髪の六十を過ぎた痩せた人が出て来て、少し前の方に矢っ張り平伏している彦四郎へ何にやら小声で云ってまたあわたゞしく引込んだのをちらりと見ただけである。
 帰りの道々、彦四郎は不機嫌に口をへの字に沈黙して、砂利の音だけが耳につく。小吉はいつ迄も黙っていることに段々辛抱がしきれなくなって来た。
「兄上、今日は如何なる次第でありましたか」
 と小さい声できいた。彦四郎は暫く答えない。そしてやがてぷつりと
「剣術遣いが気がつかぬか。御殿が何んとなく沈んでいたろう」
 といった。
「は。仰せの通りです」
「春之丞君が元旦より深い御悩《ごのう》じゃ、勿体なくも一位様まで夜も御枕元へお添いなされるという」
「えーっ? 然様でございますか」
「麟太郎もお傍だ」
 それっきり彦四郎はまた何んにもいわなかった。馬溜から馬へのって、黙々として本所へ帰る兄のうしろに、小吉もやっぱり黙々とついて戻った。正月の江戸の市中の賑わしさも、人の往来《ゆきき》もまるで眼には入らない。
 亀沢町の屋敷へ着いた時も、彦四郎は何んにもいわなかったし、小吉も無言で一礼しただけで帰ろうとした。
 一度入りかけた彦四郎が、急に
「こら小吉。お前は、よく妙見などの世話を焼くそうじゃが、こういう時こそ神仏の御加護を祈れ」
 そういって忙《せ》わしく奥へ入り乍ら、何にかがみ/\小女を叱りつける声がきこえた。
 小吉は急ぎ足で入江町へ帰って来た。
「お信」
 と座敷へ入るなり手荒らに上下をはねて
「逢えなかった。春之丞君が御病気だ」
「まあ」
「おれは妙見へ行く」
「でも、あの一件とやらで先程綱渡りの太夫元が見えましたが」
「馬鹿奴! それどころか——」
 途方もない声で叱りつけて怖い目をした。
 正月というにそれっきり小吉は家へ戻らない。男谷道場の稽古はじめにも姿を見せないので、不思議がった者もいたが、多くの者には勝先生は朝も夜も水垢離とって、妙見菩薩を祈っている。それが先生ばかりか、弁治も来ているし、五助も来ている。剣術遣いの東間陳助も右金吾も、道具市の世話焼さん栄助までが加わっての荒行だと知れていた。
 十日は一七日の満願だ。小吉は月代も、頬から顎へ髭も延びて、頬もげっそりこけ真っ青な顔をして入江町へ戻って来た。
 七日の間には霙も降ったし、雪も降った。今日も積るという程ではないが、ちら/\と白い物が時折り空に舞って凍るように寒かった。
「熱い白湯《さゆ》を一ぺえくれろ」
 小吉は、火鉢の前へどっかりと坐って、ぷうーっと大きく息を吐いた。
「御苦労様でございました」
 とお信は三つ指のお辞儀をして、すぐに湯呑へ湯を出したが、小吉はそれをのみもせず、仰向けに長々と引っくり返って
「東間や右金吾はいくらか鍛えた身体だが弁治や五助や世話焼なんざあ、障りがなくてくれりゃあいゝが」
 と呟くようにひとり言をいった。
「みんなおれが題目に付座をして水垢離とって祈って呉れたわ」
「然様でしたか、それは有難いことでございました」
 彦四郎が、まるで前|倒《のめ》るような恰好で、息を切ってこゝへ来たのはそれから間もなくであった。家来が二人うしろにつき精一郎が脇にいて、深く腕をかゝえるようにしているが、彦四郎ははあ/\と如何にも烈しい呼吸であった。
 座敷へ上ってたったまゝ
「小吉」
 出迎えてまだ坐らない小吉の両手をぐっとつかんで
「春之丞君は俄かに御他界遊ばした」
「えーッ?」
 小吉はのけ反る。お信はくた/\と膝が崩れてまるで町家の女のようにべったりと尻を落して坐って終った。
「麟太郎が——麟太郎が——」
 と彦四郎は泣きじゃくるような声で
「どうなるのだ」
 しかし小吉は声が出ない。
「糞妙見奴! 何にが菩薩だ。勝小吉をたぶらかしゃがったな」
 やっとそういった時は、眼が真っ紅に逆上していた。
 精一郎だけが、きっちり一隅に坐って端然と、父や叔父の動作を見ている。
「しかし気を落すな、麟太郎は、きっとわしが物にする」
 彦四郎がお信に優しいことをいって帰って行ったのは半刻ばかりもしてからである。茶一ぱいも喫しなかった。精一郎は少し後へ残って
「阿茶の局からのお知らせで、父上もはじめは少々逆上の御気味でしてね、大層な御落胆のようですが、叔父上、わたしはそんなにこだわる事はないと思います。それは当然麟太郎さんはお宿下りになりましょう。しかし、御城へ上る外に世の中にはまだ/\いろ/\な道があると思いますよ。第一、学問——」
 そういった途端に
「何にが学問だ」
 と小吉は投げつけるように低くいってじろりと睨んだ。
「精一郎、帰ってくれぬか。あれはなあ、やがては一橋家の御重役にも立身すべき奴だった。正に青雲へのった。それを踏みはずして真っ逆様に落ちて来るのだ。本所入江町の四十俵取小普請ものの埃溜《ごみため》へよ。親としてそれをどうにも出来ない。おい、精一郎、あの麟太郎が、雲をふみはずして落ちて来る、落ちて来る」
 小吉の頬に涙が落ちた。
 精一郎は、こういう悲しみの中に他人のいる事は却っていけないと思った。静かに戻るとすぐ
「お信、酒を飲む、酒を」
「で、でも、あなたは」
「飲めても飲めなくてもいゝ、飲む、買って来てくれ」
 小吉ははじめてぐい/\酒をのんだ。が、そのまゝまるで卒中でも発したように打倒れて前後もわからなくなって終った。ふう/\苦しそうにして倒れている。それを見ているお信は本当に苦しかった。
 夜更けてから小吉はやっと正気づいた。自分のからだに血が流れているのか、止っているのかさえはっきりしない。唯喉が腫れて唾も飲込めない程に痛い事だけはわかる。むく/\と起き上って
「お信、水が欲しい」
「はい」
 差出した水をのんだが、ぷッとむせて、だら/\と唇から顎へ流して終った。
「おゝ、喉がはれて、一滴の水ものめない。はっ/\。可哀そうに、おれは、少々取乱したようだなあ。勝小吉とも云われる男がよ——恥しいわ」
 と苦笑した。
「それにしてもいつ、麟太郎はどんな淋しい顔で戻って来るか。労わってやろうの」
「さようで御座いますねえ」
「だが、忌々しい事だ」
「何にがでございますか」
「何にもかもだ」
 小吉はまたどーんと仰向けに倒れて、じっと天井を見詰めていた。
 噂が何処からか伝わる。弁治と五助が揃ってやって来て、一と言も物をいわず、ぽろ/\泣いて玄関でお辞儀をして戻って行って終った。道具市の世話焼さんも来て泣くし、東間も右金吾も黙って拳で涙を拭いて戻った。
「何にを泣きゃがるんだ、大べら棒奴」
 その度に、小吉が破鐘のような大きな声で怒鳴りつけた。
 しかし直ぐにでも宿下りになるかと思った麟太郎は二月に入っても戻って来ない。
「どうしやがったんだろう」
「さようで御座いますね」
「どうせ要らねえからだに成ったのだ。早くけえしたらよさそうなものだ」
 とう/\三月になった。
 いゝ月の晩で、風もない。朧ろと迄は行かなくともふっくりとした光が暮れたばかりの街に静かに流れている。
 彦四郎から封書をもった使が来た。衣服を改めて直ぐにやって来いというのである。
「吉か凶か」
「今のわたくし共の身の上にこの上の凶は無いでございましょう」
「いやあ」
 と小吉は急に元気づいて、ぱっと左の拳を右で叩くと
「おいお信、これあひょっとすると麟太郎が帰って来るよ」
「わたしもそんな気が致します」
 小吉は出て行った。雪駄ばきの姿が地べたへ黒くはっきり映っている。
 小吉もこの頃は気持もやゝ落着いている。
「諦めりゃあ、何んでもない事だったのだ」
 よくお信へそんな事をいったが、そればかりでなく、一時は、妙な事にもなりそうだった綱渡り小屋の小新の一件も太夫元が骨を折ったのと小吉の正体が次第にはっきりして来ると共にやくざ共もちょいと泣寝入になって終ったような恰好で、二月末に大阪へ引揚げる時は、みんな揃って挨拶に来て行った。
 後で小吉がにや/\して
「おい、麟太郎がけえると、また不浄の出入はさせられないね」
 とお信にいった。
「どうぞそうして下さい。今迄よりは、これからの方が大切でございます。殊に、子供心にも麟太郎は心に傷手を負っておりましたでございましょうから」
「そうだなあ。だが、お信、これからどうしたものだろうの」
「学問を致させましょう」
「学問? ふーむ、学問ねえ。お前、亀沢町の兄が流儀だねえ」
 そんな事も話していた。
 亀沢町へ着くと、玄関に精一郎が出て来ていた。
「叔父上、麟太郎さんが戻りました。立派になりました」
「ほう、そうか。虫の知らせかおれも何んだかそんなような気がしてやって来たよ」
「それに阿茶の局様もお見えです。そのおつもりでと、父上のお言葉を予めお取次いたします」
「え? 阿茶の局様?」
「あなたにも親しく逢いたいと、おっしゃっていられるようです」
「そうか」
 奥の広座敷へ通ると、正面床を背に阿茶の局、それに並んで麟太郎。少し下って彦四郎。立派なお膳が並んで、今、阿茶の局が盃を手にして唇へ運ぼうとしているところであった。
 小吉は廊下近くへ坐って平伏した。
「小吉どの、叔母が阿茶じゃ。久しゅうお目にかゝりませなんだなあ。まあ近うお寄りなされ、今度はまた麟太郎が事につき」
 いいかけると彦四郎は
「仰せ聞けは、わたくしより改めて伝えます。たゞお盃をおつかわし下され」
 といった。
「然様でありまするか。これ小吉どの、叔母が盃受けてたもれ」
「ははっ」
 小吉は流石に膝行した。そして盃を受け乍ら眼はじいーっと隣席の麟太郎から離れなかった。
 父のこの場の有様を見ても、きっちりと膝を揃えて両手をその上にびくともしない。しかもよろこびもうれしさも少しも見せない落着き払った眼つきで、父を見ている表情は、思わず、こっちで頭が下る程であった。麟太郎、僅かに九歳。
 盃を受ける小吉へ、阿茶の局は
「委細は彦四郎どのへ話しましたが、この先き、何んぞの用もあらば、いつでも、阿茶がところへ参られるがいゝぞや。出来るだけの骨折はして進ぜましょう」
 にこ/\しながらそういった。
「麟太郎がこともしかと心掛けてありますぞえ」
 それから半刻余りで、小吉は麟太郎の手をとるようにして辞去した。局はこの夜はこの屋敷へ泊るそうだし、麟太郎の荷物、下され物などは、明朝届くそうであった。
 精一郎が帰る二人を門の外まで送って来た。
「叔父上、おうれしそうですね」
「そう見えるか」
「見えます。そういうお姿がやっぱり叔父上らしくて一番いゝですね」
「ふーん。生涯世に出る見込のない男が、天に昇り損ねて落っこちた子供の手をひいて、月の下をとぼ/\と茅屋へ戻る姿がな」
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