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父子鷹84

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:鳶《とんび》の子 姿を見て、小吉もお信もびっくりした。「ぬれ鼠で、どうしたのだ」「お許し下さい」 麟太郎は、畳へ手をつい
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 鳶《とんび》の子
 
 姿を見て、小吉もお信もびっくりした。
「ぬれ鼠で、どうしたのだ」
「お許し下さい」
 麟太郎は、畳へ手をついた。頭は下げているが、眼が額越しに、じっと小吉を見詰めている。
「一体どうしたというのだ。しかと云え」
「はい。麟太郎は、伯父のお許《もと》を出て参りました」
「断って出て来たか」
 麟太郎は左右に首をふった。小吉は眉を寄せた。
「どうして出た」
「伯父上はわたくしの前で、父上を人間の屑ともいうべき奴だと申しました」
「ほう。おれをか」
「はい。わたくしは父上の子でございます。その目の前で、父上の悪口雑言を申されて、黙って居る訳には参りませんでした。わたくしは間違っておりましょうか」
「うーむ」
「お前のおやじは、御番入の大切な瀬戸際に人を擲殺《なげころ》して座敷牢に入れられ、一生世に出る望みを失った愚か者と申しました。お前は、あの父のようにならぬよう、わしが骨身に仕込むと申されました」
 小吉は大口開いて急に笑い出した。
「おいお信、こ奴あやっぱりおれが子だよ。あ、よし/\」
 といった小吉の眼にはにじむように涙が浮かんで来た。
「何あに、兄が仕込む位のこと、おれに出来ないというはねえ筈だ。よし、麟太郎、これからはお前は父のおれが好きなような人間にする」
「はい」
 男谷精一郎が勝へ来たのは間もなくである。
「兄上が立腹だろうな」
 小吉が先きにそういった。
「そうです。大層な御立腹ですが、わたしは父上が間違っていられると思います。その子の面前で、その父を罵倒するなどは感心いたしませんよ」
 精一郎はにこ/\していた。
「いや、おれは兄上から見れば箸にも棒にもかゝらぬ人間というが本当だ。それに兄上はその子の前だろうが、誰の前だろうが、自分の思ったことを少しの遠慮もする人ではない。おれが事などは何んといったとていゝのよ。麟太郎はやっぱり、鳶《とんび》の子で鳶よ。すぐにくゎあーっと腹をたてるわ」
 小吉がいつもやるように自分の頭を軽く叩き乍ら、そう云うのへ、精一郎はいっそ笑顔で
「不思議でございますねえ。麟太郎さんが鳶に見えますかなあ。叔父上はあれ程お見事な剣術の行司をなさるに、麟太郎さんははっきり見る事はお出来なさいませんか。尤も高い山は麓からでは見えませんからね。余りお近いからです」
「へーえ、何んの事? お前、おやじそっくり、まかふしぎをいいおる」
「何年か後ちになりまして、精一郎奴、あの時妙な事を申したが、ははあん、これかあと、おうなずきなさる日がきっと参りましょう」
「そうかねえ」
「とにかく精一郎の参りましたは、父の名代と思召し下さるもよろしく、又、精一郎の気持だけで参ったと思召さるるもよろしゅうございますが、麟太郎さんはこのまゝお手許にお留めなさるが宜しいと存じます」
「確と受取った。兄上へは改めて詫びに行くがどうだ精一郎、お前、こ奴に剣術を教えてやってはくれぬか」
「叔父上と二人がかりなら引受けます。技はわたしが教えます。心は叔父上がお教え下さい」
「心?」
「は、心です。技は誰でも教えられます。が、心を教える事は並の人間には出来ないではございませんか」
「精一郎」
 と小吉はきっとなった。
「お前の云うはあべこべだ。技はおれが教える、心はお前に頼む。これはお前でなくてはならぬことだ」
「叔父上、あなたは麟太郎さんを唯の剣術遣いになさるお考えでありますか。わたしは麟太郎さんをある程度の剣術遣いにする事は出来る自信はあります。しかし、それは何処にもおりましょう。そんな事では詰りません」
「うむ?」
「叔父上、麟太郎さんを唯の剣術遣いなどにしては勿体ない」
「どうしてだ」
「それは先程申したいつの日にかおわかりになりましょうと申す事です。わたしは、麟太郎さんをわたしの父上の傍に置く事も元々不賛成でありました。だから今日こうしてやって来たのです。うれしい気持で」
「はっ/\は」
 小吉はいよいよ烈しく頭を叩いて
「こ奴を前に、お前と議論をしてもはじまらない。とにかく明日からお前の道場へ通わせる」
 といった。
 精一郎は、それは引受けましたが、わたしは麟太郎さんの為めにいゝ学問の師匠もすでに見定めて来てある。
「わたしの道場の戻りにはそこへ参られては如何です」
 という。
「文武は両輪の如しというからそれもいゝだろう。だが、師匠というは何処の誰だ」
「は。三ツ目橋通りの多羅尾七郎三郎様御用人滝川|靱負《ゆきえ》先生です」
「おゝ滝川先生か、名前は知ってる。だが、滅多に門人はとらないと聞いてたが」
「いや、御願い申してお承諾を得て参りました」
「ほう、そ奴あ滅法手廻しがいゝね。多羅尾様の屋敷なら第一近くていゝ」
 多羅尾は五百石の旗本だが、滝川は当主の七郎三郎が、表四番町の千五百石の本家から別れる時に付家老のようになって来た用人で、学殖は当時天下に鳴り響いていたから、小吉も知っていたのだろう。
「結構だ」
 改めてそういった。
「わたしが御目見得につれて参ります」
「いやあ、それはおれが行く」
「では二人で参りましょう。これから直ぐ」
「え、直ぐ?」
「そうです」
 小吉も些かびっくりした。が明日明後日と延ばす事もない。精一郎はお信のお茶を一碗喫すると、間もなく小さな麟太郎を真ん中に挟んで三つ傘を並べて出て行った。小吉は近頃にないようなうれしそうな顔をしていた。
 入江町を南へぬけて右へ切れて、二番目の四つ辻の左右が三ツ目の通り。四つ辻の手前の左にひと屋敷程の空地があって、その隣りが多羅尾の屋敷である。
 空地には青草が延びていたが、取壊した屋敷の土台石だの庭石だの半分欠けた小さな山灯籠などが置き放してあって、隅っこの方に池があり、その脇に八重の桜がたった一本咲いて雨に煙っている。
「目と鼻だ。余り近すぎるかなあ」
「いや、夜など遅くなる事がありましょう。何んと云ってもまだ小さいのですから。この方がいいでしょう」
 すでに精一郎が話してある。滝川靱負は自分のお長屋で待っていたようであった。もう五十をすぐ前にした柔和な顔つきで、しかもとても謙虚な態度であった。
 応対をしていて小吉は何んだか背中に汗が流れた。
「よろしくお願い申します」
「男谷先生が余り御執心に仰せられますのでお引受け仕りましたが御期待にお添い出来ますかどうか。しかし勝様、もうわたくし共の学問などは死学問であるかも知れませぬよ」
 と滝川は小さな声でいった。
 小吉はその意味がよくわからない。
「はあ」
 といっただけだったが、精一郎が静かな調子で
「どうしてでございますか」
 ときいた。
「日進月歩という言葉があるが、これが今の学問の成行にいやもうぴったり当てはまるのですよ。新しい阿蘭陀学がどん/\とわれ/\の古い学問を追抜いて行きましてな。ついこの程も長崎のシーボルト先生の門下外科医方の戸塚静海氏が医業を表向きに実は蘭学の塾を茅場町に開きましてな。滝野玄朴氏も姓を伊東と改めて鍋島藩主の侍医になるという有様。坪井信道先生の塾などは門人が折重なって御講釈をうかゞっているという。宇田川玄真先生が公儀の天文台訳員を辞されて、これも塾をお開きなさる。高野長英先生も何にか大著を御発刊なさるという。斯く西洋医の隆昌は御国の為めにも、若い人達の為めにも慶賀に堪えん事です」
 と滝川先生は、わたしのところへ参られる事はもう一度考え直して見てはどうかというような顔をした。
 精一郎もそれはわかっている。しかしこの際は麟太郎へ新しい学問を仕込む事だけが目的ではない。何分にも年が幼い。相当な年になる迄に、もっと/\腹へ叩き込んで置くべきものがある筈だと、こう考えているのである。
 とにかく、滝川先生にお目見得して、それでは明夜から参ぜさせますといってやがて三人は引取って来た。
 途で
「どうです滝川先生は」
 と精一郎が訊いた。小吉は、黙って二度も三度も頭を下げて
「いゝお方だ。気に入ったよ」
 といって
「お前が年をとったような方だな」
 と笑った。
「さあ、わたしが年をとっても、あすこ迄参られますかどうですか」
 精一郎はそういったが、にこっとした。
 三ツ目通りの四つ辻で精一郎は西へ、小吉達は東へ別れた。やっぱり雨が降りつゞいている。
 入江町へ帰って見てびっくりした。家来が二人、狭い玄関内に待っていて、思いがけず彦四郎が来ているのだ。
 怖い目でじろッと先ず麟太郎を見た。挨拶もせず、いきなり
「小吉、麟太郎は病み犬のようなところがある。いつ、人間に咬みついて来るのか知れない。気をつけよ」
 といった。
「は?」
「おれはお前の兄だ。その兄が、お前について間違いのない本当の事をいった。それが気に喰わんかして」
 彦四郎はごくり/\と唾をのんで次の言葉が出なかった。少し興奮している。大きな眼であった。
「不意に立ち上って、今にもわしへ打ってかゝろうという身の構えをした。わしも真逆十歳にもならぬ子供に打ちのめされる程老耄はしておらぬが、その時に見たこ奴の」
 と麟太郎を指さして
「眼光は唯の眼光ではない。正に気違い、子供に似ず、らん/\として、真っ紅に燃えていた。怖い子じゃ。気をつけるがいゝ。わしのいい度いは唯それだけ」
 いい終ると、不意に立って、そのまゝ足音荒く玄関へ出て行った。お信が送ろうとした。小吉はその着物の裾を押さえて
「あれこそ病犬《やみいぬ》だ。ほって置け」
 といった。が、お信は力一ぱいそれを引きはなして送って出た。
「まことに御無礼を仕りました。お詫び申し上げます」
「いや、いゝのじゃ」
 と彦四郎は、たった今とはまるで別人のように優しく振返って、声をひそめ、顔を寄せるようにして
「実はな、こういう世の中じゃ。却ってあれ位の気性の烈しいがいゝのかも知れんのだ。唯、お前の梶の取りようが悪ければ、麟太郎も小吉のようになるぞ。父子《おやこ》とはいいよく似たものだ。くれぐれも気をつけて呉れ。わしの今の叱言は、麟太郎に寄せて、実は小吉を叱ったのじゃ」
 早口にいって、家来が傘をさしかけるのも待たず、とっとと出て行った。
 お信が戻る。
「行ったか」
「はい」
「病犬とは誰でもない、あの兄が事よ。もう余命いくばくぞというに年から年中あんな苦虫を咬みつぶしたような顔をして、ぽん/\叱言ばかりぬかして、あれで世の中が面白いのかなあ」
「さあ、兄上様には兄上様のわたし共のわからぬ深い思召しがございますのでしょう。わたしは御立派なお方のように存じられます」
「しかし、おれは今日気がついたが、あの怒った顔に妙にこう淋しいものが閃めいた。ひょっとすると、何処か悪いのではないかなあ」
「先程のお話に、夜お眠りなされぬ事が多くて困る、それに時々目まいをなさいますとやら」
「ほう、それじゃあ雲松院《おやじ》と同じ中風ででも死ぬか」
「縁起でもござりませぬ、そのような事をおっしゃいますな」
「そうは云うが、あのまゝ死んだのではあの人も詰らない。考えて見ると、岡野の隠居のような生き方をするもいゝかも知れねえね。これも一生、あれも一生よ」
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