例のリクルート疑惑の一連の出来事を眺めながら、私は江副浩正《えぞえひろまさ》という人をつくづく気の毒だと思った。
といってあの人の弁護をしようというつもりもなければその不運に同情しているわけでもなく、あれだけ交遊の幅の広い男にただ一人として友人らしい友人がいないのが、哀れでもあり気の毒だと思ったのだ。
私は男だから女同士の友情というのは知らないが、男の人生にとって本当に友人と呼べるに価する友人の存在は何にもまして大きいと思う。
世間には、「男は三人の友人を持つべきだ。それは医者と弁護士とバンカー(銀行家)である」という言い伝えがあるが、私はそういう考え方に加担しない。そうした功利的な目的でつき合っている相手を“友人”の概念に入れるのは不賛成だからだ。江副氏の交遊の実態をハッキリと知るよしもないが、少なくとも未公開株の譲渡対象者がもしも“友人”である、とすれば、それは「医者と弁護士と銀行家」的友人であり、その種の功利に基づく友人が、いざというときいかに“友人”として機能しないかということの、あれはまさに好例なのだ。
私が友人の概念規定の第一に挙げる条件は、友が反社会的な事件を起こし、それが法律に触れ、人倫に悖《もと》るがゆえに世間から寄ってたかって指弾を受けようとも、自分一人は変わらぬ友情を持ち続けられる男である、ということだ。
男がこの世を生きるということは、思いもかけぬ悪事に捲《ま》き込まれることもあれば、心ならずも反道徳的な行為に走らざるを得ないという場面がゼロとは限らず、それはそのままやっと築き上げた財も信用も一気に失う非運との遭遇である。もちろんその原因を作ったのは自分自身であり、悪いと知りつつやったことが天罰てきめん裏目に出るという場合もあり、周囲から非難と侮蔑を買うのもまた当然の結果だろう。だから当人がその罰を甘んじて受けなければならないのは致し方ないが、昨日の友までが手のひらを返して世間と同じように指さし貶《おとし》めるのを見ると、私は悪事を犯した当人以上に浅ましく品性卑しいヤツだと、その人間を蔑《さげす》みたくなる。
男にとってのよき友とは、善良で優秀で力量備わった尊敬出来る人物でなければならないとは限らない。それでは“医者と弁護士と銀行家”をよき友の最右翼とするのと同じ功利的選択になるからで、そんなことより何より肝腎なのは心を許せるかどうかなのだ。
他の人間には悪いことを平気でやってのけるが、自分に対してだけは替え難いよき友ということもあり、それを友と堂々と呼べ、その交遊を恥じないのが、私は友情というものではないかと思う。
* * *
あれはたしか君が高校に入ったばかりのことだと思うが、君は高校で知り合った新しい友達を家へ二人連れてきたことがあった。
一人はごく普通の子だったが、一人の方はパンチパーマというのか、よく暴力団の人間がしているような髪型で、暴走族のような派手なジャンパーを着ていて、一見チンピラ愚連隊ふうだった。
その二人が君の部屋に入り、そこに飲み物と菓子を持っていった母さんは、居間へ戻ってくるなり眉をひそめて私にこう言った。
「いやあね、あんな不良みたいな子連れてきて。本当に友達になってるのかしら。でももしそうだったら大変だわ、ああいう子の影響受けて悪いグループにでも入られたら、それこそ将来メチャメチャよ。ねえ、あなたからちゃんと言ってやってくださいな、友達は選ばなきゃいけないって」
私はそのとき「フンフン」とうなずくだけで母さんには何も言わなかった。なぜなら女には男の友情というのはいくら説明しても理解して貰えるとは思えないからだ。
ただ、そのときそう言いはしなかったが、母さんにこう説明してやりたかった。
——いま私が親友だと思っている人間が三人いるが、これは幼《おさな》馴染《なじ》みが一人、中学時代からのつき合いのが一人、そしてもう一人は同期入社のヤツだ。もちろんこの他にもいろいろな段階段階で親しくつき合っていた人間は大勢いるが、結局のところ変わらぬ友情を保ち合っているのはこの三人だけだ。
母さんはこの三人の友人をあまり好もしく思っていないようだが、その理由は三人ともどちらかといえばウダツの上がらないマイナス要素を背負っている男だからに違いない。その一人である幼馴染みは在日韓国人で、いまでこそ小さいながら工務店の親爺に収まっているものの、二十代までは箸にも棒にもかからない暴れん坊で、警察の厄介になったことも数えきれないくらいあった。ただ不思議なことに、私の言うことだけはチャンと聞いてくれ、私が止めるとどんな喧嘩もやめてくれた。
中学時代からの友人はといえば、どういう性格なのか女性関係が絶え間なくあり、いまの細君は四人目で、しかも他に三人程きまった女がいるという厄介な病気の持主なのだ。母さんのような立場からすればこういう男は女性の敵なんだろうが、私はその男がなんとなく分るような気がするのだ。とにかくやたらと人間に優しい男で、けっしてプレイボーイのように女を追っかけ回すわけでもないのに、次から次と女と出来てしまうのは、その過剰な優しさのせいに違いない。だから邪険《じやけん》に女を捨てることが出来ず、ついついダブってしまってそれで苦労し、離婚をするたびに家財を全部先方に渡し、別れた後もその家のローンを払い続けているといった按配《あんばい》らしいから、いくら働いても金なんか残るはずもない。もうそろそろ六十だっていうのに、目の色変えて人の二倍三倍働かないわけにはいかないのだから、いっそ気の毒というべきなんだろう。
いまの会社へ同期で入った男は、けっして莫迦《ばか》でもなければ無能でもないんだが、結局のところ役員はおろか部長にもなれないまま去年定年で子会社の嘱託になって会社を辞めていった。なぜそうなのかというと、とにかく人と競争するのが嫌いなタチで、そういう仕事を上から当てがわれるとなんだかんだといって断わってしまうのは、同じ仲間を蹴落すことをやるくらいなら、出世なんかしない方がいいっていう考え方のせいだ。だからといって与えられた仕事はキチッとこなすし、私なんかから見れば安心して見ていられる名内野手みたいな存在だと思うんだが、いざ人事異動ということになると上に上がり難い。上の人間からすれば当然だが、そうやって出世の機会を自分から逃し続けてきた人間なのだ。
しかし、友人としてこんなに心を許せる男もいなかった。そんなふうだからたいした蓄えもない様子なのだが、彼が酒に酔ったときの口癖は、「お前は出世したし俺より金持なのはたしかだが、もしもお前がコロッといったら、俺は自分の家族はさしおいても、お前のところの力になるからな。だからいつでも安心していっちゃっていいぞ」っていうセリフで、私もそっくり同じことを彼に言うんだが、それがその場の勢いで言っているリップサービスでないことだけはお互いにこれっぽっちも疑っていない。
そしてこの三人に共通するのは、誰がどう出世しようと金持になろうとまったく変わらない物言いをし、妙に遠慮したり僻《ひが》んだりするようなところが絶対ないという点だ。
その意味では、同じ三人の友でも「医者と弁護士と銀行家」というわけにはいかないが、私の三人の友をそれよりも落ちるとは思えず、私の人生も満更捨てたものではなかったという自負を負け惜しみではなく持っている。
——一度、君の友人の話も聞いてみたいと思う、酒でも飲みながら。