つい昨日までコミック誌ばかり眺めてきた君のようないまの若者にとって、新聞を克明に読むというのはおそらく苦痛であり億劫《おつくう》に違いない。しかしだからといって読まずに済ませていたのでは、近頃のように情報化社会といわれる時代では落ちこぼれてしまう。
言い替えれば、新聞を読むのは仕事の一部であって、コミック誌を読むのとは土台ワケが違う。しかも仕事と名のつくからにはなんによらず段取りというものがあってその段取りが適切であるかどうかが、出来る人間とそうでないのとの分れ道になるくらいで、新聞の読み方にも、その段取りという知恵と芸が要る。朝刊をまず一般紙から読んだ方がいいと、前の手紙で書いたのも、その段取りの一つだからだ。
ビジネスマンと名がつく限り、新聞の経済面にソッポを向くわけにはいかないが、それもまず一般紙のそれから目を通す方が段取りとしてはいい。なぜなら一般紙は、事典を例にとれば大項目主義で、小項目にまで及ぶスペースのゆとりがない。“経済”についてはまさにそれで、「朝日」は到底「日経」のように細部に至るまで書くことは出来ない。だからまず「朝日」でおおまかなところを知っておき、その後で「日経」がそれをどうフォローしているかを読んだ方が能率がいいし、理解し易《やす》い。つまりその方が段取りがいいのだ。
それと、ビジネスマンはとかく自分の業界のニュースさえ見逃さずに読んでおけばいいと考えがちだが、こう経済が国際化してくるとそれだけではうまくない。アメリカの大統領府の補佐官のコメント一つで、為替相場や株が大きく動くご時世だから、政治面も見逃せないし、諸外国の経済の動きから目をそらすわけにはいかない。
日本における他業種の動向も、読み方次第では自分の仕事に大きな示唆を与えてくれることが多く、これもせめて見出しくらいは頭に入れておいた方がいい。読んではいるが頭の中から蒸発してしまうということもある。が、せめて円やマルクの動きと、前日の数字くらいは頭の中に刻みつけておかないと具合が悪い。それと注意を怠ってはいけないのが株の動きだ。
といって、君の仕事は営業だから、株式欄を隅から隅まで読めとはいわない。最低頭に入れておかなければならないのは、「日経平均」「単純平均」「日経五〇〇社平均」の数字で、おおまかな株価の動きを掴《つか》んでおくだけでいい。それと、自分の会社と関連のある会社の株価くらいは毎日見る癖をつけた方がいい。それも一部だけでなく二部上場企業も含めて。この辺までの数字が頭にちゃんと入っていれば、おそらくいまのサラリーマンとしては上の部に入るに違いないからだ。つまり近頃の若い連中がいかにそういうことに無関心かということの証拠なのだが、そういった十把《じつぱ》ひとからげの連中の仲間入りをしたくなければ、その程度の新聞の読み方をしておいた方がいい。
それともう一つ注意を払っておきたいのは人事情報だ。社長交替、役員の大幅入れ替えといった大きな動きは、決算後の株主総会シーズンに集中するが、そうでないときも注目を怠らないことだ。とくに経済紙の人事欄は必ず見落さないようにし、自分のところと関係のある会社の人事はメモをしておくようにすべきだ。何かの折に訪問したりするとき、先方の肩書きが変わっているのを知らずに、元の肩書きで呼んだりするくらいまずいこともないし、人事には敏感の上にも敏感であって損はない。
それは生きている人だけではない。むしろそういう経済界の人事以上に気を配っておかなければならないのは、死亡欄だ。
自分の仕事に関係のある人が亡くなるというのはめったにあることではないが、その人の親、夫人の死も、つきあいがあれば知らん顔は出来ない。いや、そんな現金な動機からだけではなく、新聞にその死が報じられるほどの人の死について無関心ということは、そのまま社会に対する無関心につながり褒めたことではない。
若い人はどうやら余り注意を払わないようだが、君の上司の年代の人達は、新聞を開いてまず見るのは死亡欄という人が結構多いということも忘れてはなるまい。試みに、関係先のしかるべき人の死を新聞で見たら、早速会社で聞いてみるといい、四十代以上の人達のほとんどが知っているはずだから。
それから、一般的話題に属するニュースもなおざりには出来ない。まして、いま問題になっているリクルート疑惑のような事件は克明にフォローしておいた方がいい、それがたとえ自分の会社に直接関係がないとしてもだ。
リクルート疑惑に象徴されるような企業がらみの問題で新聞に取り上げられるとすれば、それはほとんど贈収賄か脱税、そうでなければ使い込みを含めての背任行為といった紛れもない犯罪行為で、いまの自分には無縁な事件だけに、つい無責任にヤジウマ的関心だけで眺めがちだが、実はどんな企業にも、程度の差はあっても伏在している問題なのだ。だから、これにはまさに反面教師的な意味があるわけで、その目でしっかり事件の経緯を観察しておくのは、けっして無駄ではない。とくにこれからの企業社会は、国際化に伴ってますます法律的な対応をしっかり求められるようになるだけに、企業活動の違法性を現実のケースから学べるこうした機会を見過ごすテはない。
次は、私から改めて読めといわなくてもきっと毎日そこだけは読んでいるに違いないマンガのことだ。
新聞の四コマの連載マンガというのは、戦前私なんかが物心ついた頃にはもう載っていたから、その歴史はずいふん古いが、今も昔もこれだけは誰でも見ているという点で、大げさにいえば国民的な関心を集め続けている連載ものだ。マンガは世を映す鏡だ、というと君のようなマンガ漬け人間はニンマリするかも知れないが、新聞マンガはまさにそれで、どこでもしばしば話題のきっかけになる。
それに君のような新入社員にとって何が大切といって、先輩達の話題についていくことくらい大切なものもない。早く一人前になって仕事を覚え、先輩と肩を並べるようになるということも大事には違いないが、まずはどれだけ同化できるかということであり、そのために必要なのは共通の話題をどれだけ多く持てるかだ。
その意味では、マンガもそうだがサラリーマンの間で人気の高い新聞小説も無視は出来ない。私がまだ子供だった頃、吉川英治の『宮本武蔵』が朝日に載っていたのだが、これが大変な人気で、とくに男の大人で読んでいない人はいないというくらいだった。ただ戦時中で他に娯楽といえば映画とラジオくらいなものだということもあったが、それを割り引きしても凄い評判だったのには、あの小説には随所に吉川流の人生哲学が語られているせいもあったのだろう。
それはともかく、いまでも評判の新聞小説というのがある。たとえば数年前だが、渡辺淳一が「日経」に連載した『化粧』がサラリーマン達の間で大変な人気を得たことがあった。とくに三十代後半から上の、そう、君からすれば上司に当る世代の男達の間でよく読まれ、朝職場で顔を合わすとまずその小説の話が出るというくらいだった。
小説などというものは人それぞれの好みで、好きでもない作家の作品を無理に読むことはないが、それが上司との共通の話題となるならば、否でも応でも読んでおくのもまた君のような新入社員の務めの一つなのだ。
私もそうやって三十年余りを生きてきたのだが、そう遠くない日、そんな目つきで新聞を読まなくてもよくなると思うと、その日が来るのが楽しみといえなくもない。