昨夜、大学時代の仲間と久しぶりで会って話したのだが、青春を共にした男達が六十近くなって集まるというのは、いわば若い頃に描いた理想と、現実に行きついた先とを、それぞれに曝《さら》け出し合う場面でもあるわけで、見ようによってはこんな残酷なこともない。だがそれだけに“男と仕事”というテーマについて考えるには絶好の機会で、今回はその席でのやりとりを書くことにする。“理想”に委《ゆだ》ねていた身を“現実”に投げ入れたばかりの若い君が、果してこれをどう読むか少々心配ではあるけれど。
昨夜集まったのは七人で、もちろん同い年なのだが、見た目も社会的な立場もまことにさまざまで、最初のうちは妙にぎこちなかったのだが、酒が回るにつれて昔の“俺、お前”に戻ると、懐しさがすべての遠慮を忘れさせてくれた。
なかんずく出世頭と目される、某都銀の副頭取で、新聞や経済誌でしょっちゅう顔写真を見かけるAが、新聞社に入り、すでに定年を迎えフリーライターになっているBに向かってこんなことを言い出した。
「……俺は就職のとき君が羨《うらや》ましくてね、正直のところ随分長い間君に嫉妬《しつと》を感じてた。俺もマスコミ志望だったんだが、新聞社も出版社も全部落ちてね、しようがなくていまの銀行に入ったんだが、東京の郊外の支店に回され、朝から晩まで自転車で得意先の商店を回らされる毎日でね、その頃何度(銀行を辞めてもう一回新聞社の入社試験に挑戦しようか)と思ったか知れない。
本店へ配置が変わって業務にいたときだったか、うちの頭取に会いに来た君とバッタリ顔を合わせたことがあったが、君は見るからに颯爽とした一流紙の記者で、俺の目には後光が射してるみたいに眩《まぶ》しかった。なにしろその頃の俺はベテランの女子行員にクンづけで呼ばれ顎で使われてた雑用係だったからね。俺はそのとき、人生ってやつはスタートは同じでもこんなに差がつくものかって、つくづく僻《ひが》んだもんだよ。
君はさっき俺のことを羨んで、『それにひきかえ、新聞記者のなれの果てなんてみじめなもんだ』って言ってたが、そう言う君を俺は三十年羨み続けてたからな、いや、いまだって君の名前を活字で見るたびにそう思う。
それはたしかに俺は運がよかったんだろう、銀行員としては一応のところまで来れたが、これすなわち夢のすべてを犠牲にし、没個性の忍耐の日々の賜物《たまもの》であってね。しかもかりに頭取になったとしても所詮《しよせん》はサラリーマンだからな、定年が何年か先になるだけの違いでしかない」
すると当のBがこう言った。
「……しかし、そうは言ってもやっぱりお前は大したもんだよ、本来なら俺達みたいな下《しも》じもがじかに物を言える人じゃないんだから。俺達の同期で他の銀行に行ったので、役員にもなれずにいるのもいるわけで、羨まれてもしようがないんだよ。それにサラリーマンとしては五十歩百歩だみたいなことを言うが、まず給料が違うし、いざ辞めるとなったらその退職金は凄いだろうからな、やっぱり俺達とは人種が違うんだよ。いや、別に僻んで言ってるわけじゃなくて、ここにいる誰もがそうだと思うんだが、そういう君を誇りに思ってるんだから……」
「しかしね、好きなことをやって一生を終える方が俺はやっぱり羨ましいね。言いたいこともやりたいこともすべて我慢し、行内ではニコニコ、ひとたび外へ出ればペコペコ頭を下げっぱなしの人生を四半世紀も強いられてる人間の身になって欲しいな。
戦後財界の天皇と呼ばれた石坂泰三さんが第一生命から東芝に移るときに、『保険なんてものは男子一生の事業に非ず』ってタンカを切ったという話が石坂さんの自著にも出てくるが、俺なんかに言わせれば銀行員なんてまさに男子一生の事業じゃないな、もっとも銀行の中じゃまったく逆のことを行員に言ってるんだが。
君は収入のことを言うが、いまの日本の税制じゃ少々余計に貰ったって手許《てもと》に残るのはたいして違わないし、つきあいの出費はふえる一方だし、家のローンの払いに追われてる身としては、ちっとも羨ましがられることなんかないと思うんだがな」
すると、親の跡を継いで中規模の印刷会社の社長に若い頃から収まっているCがこう言うのだ。
「……そうだな、隣の芝生ってこともあるからな、外見じゃあ人間の幸福は計れないよ。しかし、男子一生の事業って、いったいなんなのかな。石坂さんはそう言って東芝に行ったわけだが、じゃあ東芝が石坂さんにとって男子一生の事業と呼べるほどのものだったかどうかは、大いに疑問だからな。
僕は、君達が就職のときいろいろと夢を語っているのを横で聞きながら、ちっぽけな印刷屋のおやじになる宿命を負わされてる自分がいまいましかった。さっきAが言ってたが、新聞社にきまったBの意気軒昂《けんこう》といった話しぶりを聞いてるうちに腹が立ってきたくらいでね。あの頃日の出の勢いで倍率が物凄く高かったカネ偏の一流会社へ受かったAとは、その就職がきまってからというもの、わざと遠ざかって物を言うのを避けたもんだよ。
しかし、いまこの年になって考えてみると、果してそれが羨むほどのものだったのかって思うね。百人ちょっとの従業員を抱えている零細な印刷屋なんてものは、ほら“寅さん”の映画に出てくる隣の印刷屋に毛の生えた程度なんだが、それでも従業員の家族に対する責任を考えなきゃならない立場っていうのは並大抵じゃないんでね。だが、三十年余りそれをやってきて思うのは、この人生もけっして悪くなかった、ってことなんだな。いや、儲《もうか》って儲ってしようがないなんてことはないんでね、むしろこういう技術革新の時代は機械や設備をどんどん新しくしなきゃ競争に追いついていけないんで、そのための借金に追われる毎日なんだが、それでも、どう言ったらいいかな、ま、一所懸命ってやつなんだろう、それなりの自負が持てるんだな。
正直言って、僕はいま誰も羨ましくないし、おそらく死ぬまで働きづめのくらしが続くんだと思うが、それでいいじゃないかって気がしてるんだ。もっとも、AやBみたいに世間の脚光を浴びるなんてことはまったくない一生ではあるけれど」
すると、中規模の商事会社で常務をやってるDが、こんなことを言った。
「ま、男子一生の事業がなんなのかは分らないが、Cのいまの話は説得力があるな。たしかに一流銀行の副頭取であるAはサラリーマンとしては頂点を極めた数少ない一人だから羨望《せんぼう》に値するが、かといって当人であるAがそれで満足しているわけではないのもよく分る。サラリーマンなんてものは所詮コップの中の競争で、そのコップが大きいか小さいかの違いに過ぎないからな。Bのようなジャーナリストにしたって、傍《はた》から見るとカッコいいみたいだが、Bが浮かない顔してるのも、なんとなく分るような気がするしね。
要するに、もうゴール直前のこの年になると、仕事に優劣や貴賤なんてものもなければ、ゴールに何着で入ったかも問題ではなく、ただ自分がどれだけその仕事と真剣に取り組んでこれたか、ということだけが気になるんじゃないのかな。俺ももう再来年は役員定年だからな、ここまでくると正直いって世俗的な羨望《せんぼう》さえ稀薄になるね」
私は皆の話を聞いていて、これまでの自分の人生の中で、もう一人の私が心中で何度となく意地悪く囁《ささや》きかけた「それが果して男子一生の事業と言えるだろうか」という声に対して、もはやたじろぎさえ覚えなくなった理由が分るような気がしたものだ。
君のこのことに対する意見を聞いてみたいな。