昨夜君が言っていたことだが、それについて私の考えを伝えておきたいと思って筆を執った。
君の話だと、昨日、直属上司の課長から、君が出した提案について、まったく見当違いの、というよりほとんど読みもしなかったのではないかとしか思えないひどい批評をされ、それについて反論しようと思ったが、まだ入社して一年を過ぎたばかりの人間がそんなことをしていいものかどうか悩んだ揚句、黙って引き下がったというようなことがあったそうだね。そして君は、その場面で一言もなく引き下がってきた自分に、ひどく後侮しているようだった。
そのことに限定して僕の意見を言わせて貰えば、そういう君の対応は半分の点で正しかったと、私は思う。もちろん私はその場に居合わせたわけでもないから、君の提案とやらいうものがどの程度のものだったのか、そしてそれに加えた課長なる人物の批判なるものがどのくらいトンチンカンだったのかは知る由もない。にも拘わらず、君が反論を差し控えたことに対して私が賛同する理由を挙げるなら、それはすこぶる大ざっぱに言って三つある。
まず第一は、君がとっさに踏み止まったそのためらいの根にあった(自分はまだ入社二年目に入ったばかりの人間だ)という自制だ。
スポーツの世界は年功序列も何もなしに、記録さえよければルーキーもたちまちスーパースターになれるが、サラリーマン社会はそうはいかない。数学の問題のように正解はただ一つというわけにはいかず、見方によっては百点満点から三十点くらいまでの、判定幅があるものだからだ。しかもその判定はほとんどの場合絶対神聖であり、もしそれに表立って逆らいでもしようものなら、出場停止処分ということにもなりかねない。
要するにサラリーマンという存在は、相撲世界で兄弟子に対する絶対服従を比喩的に言う“ムリ偏にゲンコツ”に忍び耐えながら、実力をつけ、やがてその立場にとって代わるというプロセスを、多少の差はあれ通らずには済まないものなのだ。
そしてそれは、世の中というものは必ずしも「理だけ」によって動いているわけではなく、むしろ理不尽の比率の方が「理」よりも高いとさえいえるわけで、会社というのはその中で棲息していくための免疫体質を強くするための鍛練の場といえなくもない。
その意味で入社一、二年という時期は、どんなに抜群の能力の持主でも、ムリ偏にゲンコツを誰彼の区別なしに雨アラレと受ける覚悟を強いられる季節でもあり、そのゲンコツの是非を問うてもなんの意味もないと知るべきなのだ。
第二の理由は、君の上司が、君の提案に対しておよそ見当はずれの批評を加えたという点だが、それがかりにどれほど不当であったとしても、ルーキーである君はそれに甘んじなければならない立場だからだ。
なぜなら、君はその提案作製なる作業を一人前の仕事師になったつもりで作り上げたのだろうが、上司からすれば、スプリングキャンプで新人投手の仕上がり具合をチェックしているベテランキャッチャーのように、それに期待する気持なんかこれっぽっちもなく、ただただアラ探しをしようと待ち構えているだけであって、オープン戦のピッチングでさえないのだから、むしろ単なるエクササイズだと考えるべきなのだ。そう思えば、少々見当はずれの批評をされたからといっていちいち目くじらを立てることもないではないか。
第三の理由は、他人の批評の受け止め方の問題だ。
人間誰しも、他人から批評がましいことを言われるのは嫌なものだ。そして、それにいちいち喰ってかからないまでも、心中では耳を塞ぐ。しかし、後になって振り返ってみるとこんな損なことはないと、つくづく思う。
世にワンマンといわれる人物は、唯我独尊で、他人の話に耳を貸さないものとされているが、大成したほどの人は、一見そう見えながら、実は他人の意見を上手く選別して聞く技術の持主が多い。
テレビドラマにもなった武田信玄は、戦国大名の中でもきわ立った聞き上手とされており、会議で議論し合って物事をきめるという方法を日本で初めて採った人ということになっているくらい、他人の意見を活用した人物のようだ。
同じ戦国期の織田信長は、信玄とは対照的にスーパーワンマンということになっているが、その情報蒐《しゆう》 集《しゆう》 力《りよく》は大変なもので、それはとりも直さず自分の考えをまとめるために、第三者の目を最大限に活用するということで、ある意味で大変な聞き上手といえる。
そうやって古今東西の優れた男達を思い浮べてみると、そのほとんどが他人のもたらす知識意見にすこぶる貪《どん》らんであることが分る。そしてその逆に、こうと思い込んだら最後、他人にとやかくいわれるのを嫌い、自分の考え通りにやみくもに突っ走る者で大成した例は少なく、了見の狭さは小人に共通するものだということがよく分る。
つまり、どんなにトンチンカンでも、もたもたとじれったい物言いでも、他人のその言い分の中に、ほんの少しでもいいから耳を傾けるに価するものがあるかないかに、じっと神経を研ぎ澄ます方がはるかに得だと知らなければならない。
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それはたしかにそうなのだが、一方で、部下の上司への対し方という観点からすると、昨日の君のように、上に逆らうことによる後々の不利だけを考え、不満をそっくり肚の中へ押し込めてただ引き下がってくるというのはあまり褒めたことではないと思う。
立場を変えて、上の人間の立場に立ってみるとどうか。上の人間とすれば、君の提案を無視してただポンと突き返すことだってやれなくはない。それを、思いつきにもせよ、あれこれ批評をするというのは、一つにはその批評に対して君がどう反応し、それによっては二段三段の助言をしてやろうと思っているかも知れないのだ。
つまり、君達のような教育訓練段階の人間に対して上司は、常にどうやったら一日も早く一人前に出来ないものかと、鍛練の場を少しでも多くしようと考えているものなのだ。
ということは、君の反論を期待しているということでもあって、それに応じないというのは上司の期待を裏切ることにもなるわけだから、後々の不利を考えるならかえって反論をした方がいいとさえ言える。
ただそこで考えなければならないのは、上司先輩にもいろいろあって、大人もいれば小人もいるという点だ。
君達のようないわばヒヨッ子が、小賢しくも小理屈を並べて攻撃的に反論するのを、(なかなか見所のある根性だ)と目を細めてくれる大人はきわめて少数であって、多くは(なにをこの半人前が)と頭に血をのぼらせるに違いない。それではどんなに正しい反論をしたところで、徒《いたずら》に上司の心証を悪くするだけで、サラリーマンとしてはこんな愚かなやり方もない。
ではどうしたらいいのか。
簡単なことだ。ついこの間までやっていた師と弟子の関係を思い出せばいい。ただ、大学で入ったゼミの教授には前提として尊敬の気持があるのに対し、上司はタダの上の人間としか考えないきらいがあり、それをまず捨て、どんなに頼りなくとも師は師だと自分に言い聞かせることだ。弟子が師に問う礼儀なり技術なりなら君達はエキスパートのはずだし、その極意で対されて怒る上司はまずいないと考えてよかろう。