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男とは何か15

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:第十五信公私のけじめについて 私が若かった頃の上司にちょっと変わった人がいて、いまでも何かの折にその人のことを思い起す。
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 第十五信公私のけじめについて
 
 私が若かった頃の上司にちょっと変わった人がいて、いまでも何かの折にその人のことを思い起す。
 その人というのは明治末期生まれで、私が二十六、七の頃常務をやっていたのだがとにかく当時随分と厳しく仕込まれた。
 この人が社内で変わり者扱いされたその理由は、異常といっていいほど公私の別にやかましく、しかもそれは他人に対してというよりは自分に厳しかった点だ。
 だいたい先輩上司などというものは、自分のことは棚に上げて下《しも》じもの箸《はし》の上げ下ろしをあげつらうのが普通だが、この人だけは逆だった。
 その頃世間はいわゆる高度成長期に入って、残業は当り前だし、取引先とのつきあいや仲間うちの飲み会の連続で、会社から家へ直行することなど一年に数えるほどだった。
 だから終電に間に合わずに会社の負担でタクシーのご帰館も珍しくなかったのだが、その常務だけは違った。
 といってけっして謹厳居士ではなく、酒もたしなめば、宴席で渋い喉《のど》を披露したりもするさばけた人だったが、だからといってノンベンダラリといつまでも飲んでいるようなことはなく、十一時を回るとどんな相手と一緒のときでも、さっと立ち上がって帰っていく。
 まだその頃は役員すべてに専用車がつくということはなく、会長社長以外の専務常務はもっぱらハイヤーを使っていたが、その常務に限ってハイヤーはおろかタクシーさえ使おうとしなかった。
 私は「なぜですか」とそのことについて常務に訊いたことがあったが、「もったいないよ」のひとことでそのときは片付けられた。だが何かの折、その常務と二人で飲んだとき説教とか叱言《こごと》というのではなしに、じっくりと自分の信条について私に語ってくれた。
「……うちの親爺は会津藩士で例の戊辰《ぼしん》戦争の生き残りなんだが、これが融通の利かない堅物でね。新政府の役人の口を断わって貧乏教師で一生を終ったんだが、私が学校を出て就職するときその親爺から言われたことが一つあった。それは公私の別だけはしっかり守れという戒めでね、これこそ男が身を誤らずに一生を終るためのお守りのようなものだと言われたんだ。
 私は生来臆病な人間でね、少々悪いことをしてでも人に抜きん出ようなんて気にはまったくなれないタイプだったから、この親爺の戒めだけは何がなんでも守ろうと思った。
 私の親爺というのは、私にそれを求めるだけでなく自分自身にも厳しい人でね、たとえば学校で使う便箋一枚でも家に持ち帰って使うことはなかった。
 そういう生き方を見て育ったから私も会社の品物を私事に使うのに抵抗があってね、会社が買ってくれた定期券で休日に電車に乗るのでさえ気が咎《とが》めたものだ。ところが世の中に出てみると、親爺や私のような人間はごく稀《まれ》で、公私の別にこだわる人間はいまやまるで変人扱いだからな。
 たとえば些細なことと思うかも知れないが、今日も新入社員の一人がトイレットペーパーを丸のまま自分の抽出《ひきだ》しに入れておいて鼻紙代わりに使っているのを見たんだが、物凄く腹が立ってね、よっぽど注意してやろうと思ったな。だってトイレットペーパーというのは会社の備品の一つだし、トイレで使うために置いてあるんで、それを持ってきて鼻紙として使われたんじゃいくらあっても足りはしない。だいたい鼻紙なんてものは朝ハンカチと一緒に家から持ってくるのが普通で、そういう生活費は自分が貰う給料から出すもんだと昔から相場がきまっている。
 それはたしかにトイレットペーパーなんて安いものかも知れんが、安かろうと高かろうと会社の物は会社の物で、私物との間にハッキリと一線を画しておくべきなんだな。
 そんなふうだから、社用で使う交通費をなんとかかんとか理由をつけて水増しして小遣いの足しにすることにちっとも良心が咎めないんだろうな。しかしそういう行為は厳密にいえば窃盗なんであって、もしバレたらそれを理由にクビを切られても何もいえないはずだろう。考えてみればそんなことにクビを賭けるなんてまことに間尺《ましやく》の合わないことで、私にはそんな勇気はないな。
 近頃接待がめっきり盛んになったが、あれもサラリーマンにとっては罠《わな》だな。会社の金でタダ酒を飲むのがクセになると、仲間うちだけの飲み代まで平気で会社にツケるようになってブレーキが利かなくなる。そうなるともう坂道を転げ落ちるようなもので、夜毎《よごと》会社の金を使って自分自身を接待することにこれっぽっちも心が痛まなくなる。
 ところが会社というものは、そういう社員一人一人の金の使い方をじっくり長期にわたって継続観察しているから、その場限りのゴマカシはかりにうまくいっても、長い間にわたって見ていればどんなにお人よしの上司でも簡単に見破ってしまうに違いない。それによって受ける代償があまりにも大きいことを考えれば、ハシタ金にだらしなくなることがどんなに莫迦莫迦《ばかばか》しいか、改めてハカリにかけるまでもあるまい。
 私はね、謹厳実直でもなければ聖人君子でもなんでもないタダの臆病者だから、とにかく公私のけじめのことで他人に後ろ指だけは指されまいとずっと自分に言い聞かせてきた。だから酒は自分の金でしか飲まないし、従って縄のれんか安バーくらいにしか足を運ばない。帰りにタクシーに乗らずに電車しか利用しないのは、それが癖になったらついつい会社の金で乗るようになるのが目に見えているからだ。他の役員は皆平気でハイヤーを使ってるのになぜと思うかも知れないが、役員連中の使ったハイヤーの請求明細はしっかりと比較チェックされていることを知ったら、いっそ乗らずにおこうという気になるだろう。
 ただ、断わっておくが、私がそうやって身辺に気を遣うのは、なにもそうすることで上の覚えをよくしてもう一段も二段も出世しようと思っているからではけっしてなく、そんなことで不安な気分で生きるのが嫌なだけなんだな」
 この話を聞いてからもう三十年が経《た》つが、私はこの人ほどに徹底も出来なかった。それでも、ちょっと公私混同めいた場面にぶっつかると、必ずこの人の自嘲的ともいえるこの述懐が頭に浮んで、自然にブレーキがかかったものだ。
 そういう私を、他人《ひ と》様《さま》は蔭でつまらない男と言っているかも知れないが、それでもいいじゃないかと、負け惜しみでも何でもなしにそう思う。少なくとも、金に汚いと言われるよりは“つまらない男”の方がよほどましだと思うからだ。
 しかし、それにしても近頃の世の中を見ていると、公私のけじめがあまりにもなさ過ぎる。例のリクルート事件はまさにその象徴で、薄汚れた金にすっかり麻痺してしまい、あれっぽっちの金で大事な後半生を棒に振っていったエリート達の姿を見ていると、たしかにそういう人達と較べればまったくパッとはしないが、私は自分の生き方の方がよほど帳尻としてはマシなのではないかと思う。
 君もそろそろ入社二年目に入る。サラリーマンはそのあたりから会社に馴染み、硬直気味だった気持もほぐれてくるものだが、それと一緒に水垢のように公私混同の悪癖も身につき出す時期だ。
 私は、この時期にいい癖をつけるかどうかで大きく先が変わるのがサラリーマン人生だと思う。だからいまこの時期にこの手紙を書いたのだが、もしも私の考え方が融通が利かなさ過ぎると思うようなら、試みに、そういう目つきで君の周辺を眺め直してみるといい。きっと崖っぷちを往くような危険な生き方をしている男が何人か見つかるはずだ。
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