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男とは何か18

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:第十八信学歴について 君もいよいよ後輩を持つ身になったわけだが、今年の新入社員はどう? とにかく新卒入社の人達が物になる
(单词翻译:双击或拖选)
 第十八信学歴について
 
 ——君もいよいよ後輩を持つ身になったわけだが、今年の新入社員はどう? とにかく新卒入社の人達が物になるのもならないのも最初が肝腎でね、その意味では君達一年先輩がどう彼等をケアするかで大きく分れる。しっかりやって欲しいと思う。
 その新卒でのことだが、最近のあきらかな傾向として、学歴に対する企業側の考え方に明確な変化が出てきたように思えてならない。端的に言えば学歴偏重傾向にはっきりと歯止めがかかってきた感じなのだ。もっとも慢性的な求人難のせいで人材確保が難しくなり、学歴にこだわっていたのでは人が集まらないということもあるのだろうが、どうもそれだけではなく、徒《いたずら》な一流校出身者への集中はたしかに弱まっている。
 いいことだと思う。やっとそうなってくれたかと、ホッとする思いだ。
 なにしろ、こんな莫迦《ばか》げた受験競争がいつまでも続いていいはずがない。それというのも、一流校、有名校にさえ上げておけば、それでエリート階層に組み込まれ、将来の出世間違いなしという神話を丸々親が信じ込んできたからに他ならない。
 たしかに戦後四十年、政界、官界、財界をリードしてきた人々の大多数は東大出身者で、それも法学部出が幅を利かせてきた。一流といわれた企業の幹部社員の学歴を調べてみると、まさにその日本の学歴序列がそのままピラミッド型を形成していて、この構造は当分の間変わるまいと、絶望的な気分にさせられたものだが、それに変化が出てきたのだから世の中捨てたものではない。
 だいたい、東大法学部などというのは役人の養成機関として明治以来位置づけられてきたもので、それを一般民間企業が無条件に有難がること自体誤りなのだ。もっとも、政官界と癒着して甘い汁を吸おうという狙いなら東大法学部閥の人脈活用を狙うのも分るが、そうでなければ、前近代的な血筋家柄有難がりという愚かな時代錯誤以外の何ものでもない。
 しかも、私のところのような中小企業に毛の生えたような会社における実感では、学歴ピッカピカの社員で現実の仕事の上で人に擢《ぬき》んでる成果を挙げる者はきわめて稀で、プロ野球のドラフト制度に譬《たと》えていえば、一位二位指名選手のような一流校出身者で一軍に定着する実績を挙げる者はきわめて少なく、クリーンアップを打つ選手のほとんどは、ドラフトのドン尻とかテスト生上がりのような末流校出身者だというのが現実だ。
 なぜそうなってしまうのか。
 東大のような超一流大学へ受かる子供は、当然ながら、学力があるだけでなく、優れた知識吸収力の持主で、人間の素質としては抜群のものに恵まれているはずだ。それがなぜ企業組織の中に入ると、しぼみ霞んでしまうのだろうか。
 一つには、学校の勉強が出来るというのは、記憶力に加えて吸収した知識の整理力が高いということだ。そして、間違った答えをより少なくする能力に優れているということでもある。が、その一方で彼等は、知らないこと、よく分らないことに不用意に乗り出して、あいまい不確かな考えをそのまま人様の前にひけらかすということはまずしないという性向の持主でもある。
 問題はそこなのだ。
 現実のビジネス世界でも、広く深く正確な知識の持主は貴重だし、知識の吸収及び整理能力も高ければ高い方がのぞまれる。つまり学校秀才型能力だ。しかしその種の能力は守備的部門では不可欠だが、攻撃面では逆にマイナス作用を来しかねない。
 何が正しいか、何がのぞましいかというバックデータを構築するためにはその能力で事足りるが、ビジネスの多くは、不確実な事柄に積極的にトライし、何がなんでも成功に結びつけるというアグレッシブな精神によってはじめて成就を見る性質のものであって、理に適わないことには腰を引いて手を出さないという姿勢ではほとんど役に立たない。
 超一流校出身者が、営業乃至《ないし》は新規プロジェクトのような部門で頭角を現わし難い裏には、そうした学校秀才ならではの“アキレスの腱”がブレーキになるからだ。
 そして、企業のトップの座に坐って全軍の隅々にまで目を光らせ、社員を活性化させ続けることの出来るリーダーは、そうした激烈なビジネス現場の修羅場を体を張って通り抜けてきたという経験なしには覚束ないのもまた事実だ。
 ということは、一流大学出身者も末流校出身者も、入社したその瞬間から同一スタートラインに立って、受験競争とはまったく無関係な別の種目の競技に挑戦する気持でのぞまなければならないということになる。
 ところが、一流校出身者には、とんでもない誤解の持主が少なくない。つまり、一流校を出さえすれば、社会人として別格の待遇を受けられると思い込んでいる点だ。
 それはたしかに大蔵省のような役所では、キャリア、ノンキャリアの区別が厳然とあって、東大法学部卒業者の特別扱いは現実にはいまなお続いている。だがそれに民間企業が右へならえしていると思ったら、それはもはや時代錯誤と呼ばなければならないとんでもない勘違いなのだ。
 会社の仕組みとしては、一般職、総合職の区別があり、中途試験による資格制度があって、それによってキャリア、ノンキャリアの差をつけていくということはある。が、一流大学卒が入社時から別扱いで、直ちに幹部候補の特別扱いを受けられるかというと、そうはいかないのがいまの現実なのだ。
 その現実にぶち当たり、(なんだ東大を出ていてもなんの役にも立たないではないか)という不満と挫折感にまみれた学校秀才が、気を取り直し、持ち前の頑張りと頭のよさで、末流校出身者なんかに負けてたまるか、という気になってくれればいいのだが、多くはその逆になり易《やす》い。いい加減な思いつきを恥ずかしげもなく上に提案し、それをパワーでなんとかものにしてしまうといった乱暴なやり方にどうしても加担できないからだ。
 もっと極端なことを言おうか。
 私達の時代、つまり戦前の教育レベルは結構高かったせいもあるが、小学校で秀才といわれたほどの学力のある人間は、その基礎教養だけで、十分仕事の場面で他に擢《ぬき》んでることが出来た。それに加えて中学五年をしっかり勉強さえしておけば、あとはいわゆるオン・ザ・ジョブトレーニングという現場体験の上乗せだけで、企業集団のトップに躍り出ることもけっして難しいことではなかった。
 いまもそれは基本的には変わっていないのではないか。言い替えれば、ビジネス世界というのは、知識学力以上に求められるものがあって、それに欠けている人間は、かりに一流大学卒であっても特別扱いしておくゆとりがないのだ。
 それなのに、母親も子供も、いまなお一流大学さえ出ておけばという誤解を捨てず、まだ年端もいかない小学生の頃から受験能力アップのためだけに、遊ぶ時間はおろか、夜も寝ずに勉強勉強のハードスケジュールを強い続けている。考えてみればこんな虚しいことはない。
 君も、会社へ入って一年経《た》ってみて、ようやく会社の中のマップが見え、会社がなんによって動き、どうやって伸びていくものかという仕組みが分ってきたのと一緒に、いま私が述べたような学歴の無力化傾向が強まる現実に気づきつつあると思う。
 一年後輩の新人育成の重要な部分が君達の手に委ねられていると始めに書いたが、君の後輩にもし一流校出身者の勘違い人間がいたら、一日も早く洗脳してやる必要があるし、それが君達の務めでもある。
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